隣の部屋の少女

ささき

第1話 隣の部屋の少女

 これは私の回想の記録である。いつごろか。中1か中2か、正確な年齢は忘れてしまった。

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 ある日、私たちの家族は片田舎の一軒家から、都会のタワーマンションに引っ越した。以前の家はテラスの広い立派な家屋だったが、親戚家族と同居していたため部屋の数は足りなかった。私が自分の部屋を持てたのは、タワーマンションに住んでからである。

 引っ越しの当日、私は有頂天だった。

「うわ!広い!これが俺の部屋?」

 普段ろくに会話しない母にそういったのを覚えている。真っ白な部屋だった。今思うと、それほど大きい部屋ではなかったが、当時の私にはとてつもなく広く感じたものだ。

「ベランダもすげー広い!!」

 ベランダに関しては、今思い返しても、かなり広かったと思う。きっとあの物件の特徴なのだろう。

  

 一通り荷ほどきをすませ、部屋の構成を整えたころ。日は陰り、黄昏時。両親は、ご近所さんへの挨拶周りに出かけていった。その際、「あんたも行くのよ」と、玄関先から母が呼びかけたが、「いやだ。めんどくさい」と、そっけなく私は断った。私は、ベッドに寝転がり、ぼーっと携帯を眺めた。

 その時、私は気が付いた。

<このマンションの壁は薄い>

 軽く耳を壁につけるだけで、隣人のやり取りが筒抜けとなった。今、振り返ると、欠陥住宅だったのではないかと思えてくる。

(隣に越してきた人がくれたクッキー食べる?)

 若い男(とはいっても、当時の私からしたら年上のお兄さん)の声が聞こえた。

(いらないわよ)

 若い女性の声が聞こえた。

(なんだよそっけないな)と男の声。


 夕飯の際、おしゃべり好きな母は、収穫した情報をすべて暴露した。隣の部屋は若い男女がルームシェアして暮らしていて、そのメンバーはひっきりなしに変わっているらしい。

「なんか不気味だな」

 父が母の情報に反応した。

「そうでしょ?ほんと、今の若い人って変なのが多いわ。夜中五月蠅くないかしら」

「あんまり酷かったら、会社に言って、また引っ越しさせてもらおうか」

 この部屋の契約主は父の会社である。地方から都会の本社へ異動となった社員のための、借り上げマンションとしているのだ。こういった部屋はいくつあり、事情があれば別の物件へ移動することも可能だった。

「あんたはあんまり隣の人とは関わらないことね。うるさかったら母さんか父さんに言いなさい。管理会社に言ってきてあげる。それでも騒ぐようだったら、引っ越ししましょ」

 私には、このタワーマンションに固執する理由はなかった。気に入らなければすぐに引っ越せばよかったのだ。

(こんないいところ引っ越すわけない)

 その時は、そう思った。しかし、後に私はその事実に救われた。


 部屋に戻ると、すぐに私は壁に耳をつけた。壁一枚隔てた先には、別の世界が広がっていた。

(みんな、紹介しよう。新しいメンバーのトシアキだ)

(よろしく)

(トシアキ。この子は桜(さくら))

(よろしく)

(よろしく)

(うわ、滅茶苦茶かわいい)

・・・


(どうやら、最初に聞いた女性の声の主は、「桜」という名前のようだ。そしてどうやら、、、かわいいようだ)

私は、聞こえてくる会話の節々から、隣の部屋の分析を行った。人数は6人、男女比は3対3。一度に部屋に住む人数6人は変わらないのだが、母の言うようにメンバーは頻繁に入れ替わるようで、これは余談だが、後日、私が認識した部屋の住人の数をすべて足し合わせると13人になった。


 気が付けば、深夜。

(桜、、、トシアキのことどう思う?、、、かっこよくない?)

(ちょっと女々しくない?私より弱そう)

(えー、そう?わたし一番いいと思うんだけど、、、桜のこと可愛いっていってたじゃん!)

(みんなに言ってたでしょ?)

(私言われてないよ)

(そう?)


 年上のお姉さんたちの深夜のヒソヒソ声は、思春期に差し掛かったウブな私にとって、十分な”オカズ”になり得た。

 私のペニスは硬くなっていた。不思議な尿意に襲われた。明らかにもよおしているのに、不快感はない。トイレに駆け込むべきなのに、壁から耳を離したくない、この部屋から離れたくない。


(今日の桜のパジャマなんかエロくない?)

(それ私も思った。意識してるの?本命はセイヤ君?、、、でも、セイヤ君やめたほうがいいよ。ここだけの話、、、あいつ、モモコとやってたから)

(ええ!私と桜が引っ越しする前にいた人でしょ?知ってる!モモコってバージンじゃなかったっけ)

(そんなわけないじゃない)


 ちょうど会話がこれくらいの時、”不思議な”尿意は完全にコントロールできない状態になっていた。どういうことかというと、尿道を必死で封鎖しているはずなのに、尿は全く意に介さず、ゆっくりとペニスの先へと向かっていくのである。

ゆっくり、ゆっくりと、尿は体外への道を進んでいき、ついに、私は生まれて初めて果てたのだ。


 私はすぐに正気を取り戻し、すぐに理解した。「これは、先輩が言っていた射精である!」と。壁は、汗でぐちゃぐちゃに湿っていた。同じ体勢を維持していたせいで、首に痛みが走った。

(もう一度、”する”には、何かしらの改善が必要だ)

 完璧な”答え”を見出すのに5秒とかからなかった。


 <俺の母は看護師だ!!!>


 いつも家には聴診器があり、夜になると私はそれを拝借することができた。これにより、隣の部屋の声がより鮮明に聞こえる上に、無理な姿勢をとる必要はない。

 私の”作業”の効率は、飛躍的に上昇した。長時間、彼、彼女らの生活に聞き耳を立てていると、さらに色んなことが分かってきて、面白かった。

 男女は皆、隣の部屋に来るまで、接点はないもの同士。皆、何かしら夢を持っていて、「俳優」、「ミュージシャン」、「モデル」の卵が家賃を浮かすために集まっているようだ。


 バラバラの大人たちの共同生活。秩序を守るために、いくつかルールが存在していた。洗濯は、女子の日と男子の日と分けられていること。夜11時以降は、男は女部屋に入ってはならない。飲酒した後に、男は女部屋に入ってはならない。もちろん、逆もしかり、、、などなど。


 私が”愛していたルール”がある。

「夜9時から30分間は、必ず全員同じ部屋に集まって、今日の出来事を話し合うこと」、、、だ。

 夜のミーティングと、皆は言っていた。ただ生活をより良くするために、話し合うのが目的と、セイヤは言っていたが、大抵は”不満をぶちまける”会になっていた。私は、9時からの30分間。絶対に部屋から出なかった。行われるミーティングを聞き取ることに夢中になったのだ。


 ミーティングは、本当に些細な不満から始まる。例えば、「セイヤが電気を消して出かけなかった」とか、、、。大抵、「ごめん、気を付ける」という返答が返ってくるのだが、驚くべきは、そこからだ。そこで終わればいいのに、終わらない。

 「そういえば、前も」、「そもそも、ずぼらな性格」、「そういうところがほんとに無理」

 1対5の構図が即座に創造される。1に勝ち目などない。みんなのイライラがおさまるまで、耐えるしかないのだ。


 1となった人間が、5に襲われているとき、私は興奮した。私は、何とも言えない恐ろしさと、それをはるか上回る欲情に満たされていく。

「よくもまぁ、毎日、次々と不満がたまること、、、」

 とあきれる人もいるだろうが、私はそうは思わなかった。

<毎日、毎日、溜まるのだ。>

 だから、毎日、吐き出す必要があった。


<毎日のことだからと決めてかかり、わずかに上昇していく不満の肥大率に誰も気づけずにいた。>

 自然と、事象は一つの臨界点へと到達する。


 私のお気に入りは”桜”だった。

 その理由は、<桜が一番強そうだったから>


 さばさばとした性格、低めの声質、大人の強い女性という印象の”桜”。


 彼女は頻繁にミーティングで標的にされた。私は、強い女性が責められているという事実に、激しく興奮した。

 強い”桜”だが、例にもれず、5人という多勢に押され、あまり言い返すことがない。言いくるめられるままでいる、、、そのギャップが良かった。強い人間が、”非暴力”の攻撃によって攻撃されている。”非暴力”、、、皮肉なことに、あのミーティングでは、”殴られない限り”、勝ち目はない、、、”殴りでもしない限り”正義は5にある。

 

 あの日も、”桜”は標的となっていた。きっかけや、内容は全く覚えていない。例にもれず、全く意味のない。価値のない会話だったからだろう。今の私には、印象はない。大事なのは”内容”ではなく”事象”。出来事である。


 午後9時30分、ひたすら責められた”桜”に、私はすでに果てていた。私は、いつも通り、後処理をしようとした瞬間「ちょっと待ちなさいよ」と”桜”が、自らミーティングの継続を希望した。そして、そこからヒステリックな”桜”の独白が始まった。彼女の金切り声に、私は2回目のエクスタシーを確信した。誰よりも、あの5人よりも遥かに、私は”桜”の叫びに耳を傾けた。

 内容は覚えていないが、最後の言葉だけ覚えている。

「誰も賛成してくれないの?」

 一瞬、「俺は賛成するよ」と言いかけたが、やめた。2回目のエクスタシーがそこまで来ていたから、、、。その後、無傷の5からの反撃はすさまじかった、”桜”への非難はさらに続き、私はその日、3回果てたのだった。


((ねぇ、聞こえてるんでしょ))

 次の日、学校から早退し、部屋で昼寝しようかとベッドに横たわった時、壁から”桜”の声が聞こえた。明らかに私へ向けたメッセージだった。私の全身は凍り付いた。そして、手が震えだした。まさか、バレているとは思わなかった。

((私には、聞こえてたわよあんたの声))

 彼女に言われて初めて気づいたのだが、私は、果てる直前の数秒間、無意識的に独り言をつぶやいているようだ。その内容は、5と同じ、、、1を非難する言葉を呟いていたのだという。

「皆さん。気づいているんですか?」

 冷静なふりをしたが、私の額からは汗が滝のように流れ、目には涙がたまっていた。

((私だけよ。私のベットからしか聞こえないみたい))

「すいませんでした」

 私は固まったまま、会話をつづけた。

((どうでもいいわ))

「もうやりません」

((どうでもいいわ。それより、あなたは、どう思うの?あなたも、皆と同じ意見?))

「はい?」

((とぼけないでよ。あなたも皆と同じ意見?))

 彼女は、自分の言い分に対する是非を私に問うた。彼女は、私が昨日の話を全て聞いていると考え、そんな質問をしたのだろう。ああ、確かに、私はしっかりと彼女の話を聞いていた。

(う、、、)

私はうろたえた。なぜなら、<内容の一切を覚えていない>のである。その事実を隠すため、私は安易に相槌を打った。私の頭の中は、正常ではなかった。混乱し、目の前は、ぐるぐると回っていた。

「ああ、うん」


((そう、やっぱり。そうなの。ありがとう))

 彼女が、そう言った瞬間、私は冷静さを取り戻す。

「君は自己中心的過ぎる」

 覚えたての言葉が、私の口から、ふと飛び出した。彼女はすぐさま((そうね))と、同意した。

「言葉が汚すぎる。言い方には気を付けないと」

 彼女は、また同意する。

「いいや。分かってない。だって、ずっとみんなが言い続けているのに、君が反省している様子はない」

 彼女は沈黙した。代わりに、私のペニスは勃起した。

「人の悪いところばっかり気が付く癖に、自分を反省することはない。ほんとにうんざりする。君みたいな人間には、きっと何を言っても響かないんだろうね。皆、同じ考えだよ。君とはもう話したくないって、出て行ってほしいって・・・」

 私は、果てた。そうだ、学校をさぼり、昼寝をしようとしていた、、、ささいな時間だった。


 わずかな沈黙の後、彼女はまた口を開く。

((私は、どうすればいいと思う?))

 満足しきっていた私の脳は溶けていた。パンツはずらしたままだった。

「君のしたいようにすればいい」

 私は、パンツをもとに戻すついでにそう言った。どうして、そういったかはわからない。意味はない。

 しかし、それっきり、彼女の声は聞こえなくなった。私は特に気にも留めず、激しい眠気に襲われ、意識を失った。


 その日の夜。ミーティングは行われなかった。ミーティングの無い日なんてなかったのに、なぜ?

(何があったんだろ?)

 代わりにバタバタと大きな音が数分続いた後、静かになった。あらかじめずらしておいたパンツを、私は元に戻した。

 

 次の日も、ミーティングどころか、物音ひとつ聞こえない。

 性欲のはけ口が突然なくなり、私は激しいストレスと戦わねばならなかった。

「うるさいババア!」

 私は、生まれて初めて、母を罵倒した。

「あらら、思春期ね」

 母は素知らぬ顔で、私をあしらった。

 その日、貧乏ゆすりがとまらなかった。夜が長く、長く感じた。

 

 ところが、その次の日も、静寂は続いた。夜。いてもたってもいられなくなった私は、ついにベランダへと飛び出した。隣の部屋のベランダと私の部屋のベランダを隔てるものは、薄い壁一枚であり、少し頭を出して覗き込むだけで、隣の部屋の様子は確認できる。私はそう思ったのだ。

 確かに覗き込むことは容易だったが、部屋の明かりはなく、加えてカーテンが閉められていて何も見えない。

(くそっ!くそっ!)

 私は心の中で、叫んだ。ストレスで頬にニキビができた。


 明け方。ついに、眠れなかった私は、もう一度、隣の部屋を覗き込むことにした。カーテンとカーテンの境目にわずかな隙間があり、太陽の光があれば、中を確認できると思ったのだ。今思えば、暴挙以外の何物でもない行為だが、当時の私は性欲の操り人形であり、人間ではなかった。


 一切の罪悪感なく、隣のベランダへと私は侵入し、私はカーテンの隙間を覗き込む。


 明け方の日光。それは、生まれたての新鮮な光。わずかに赤みを帯びた純粋無垢な光が、澄み切った空気を貫き、隣の部屋に差し込む。その光のすべての動きを、私の瞳は完璧にとらえたのだ。


 カーテンの隙間から、首を吊った隣の部屋の少女が見えた。

 そう、少女。

 死体の少女はあまりにも幼かった。彼女は年上どころか、私と同い年、もしかしたら年下ではないかと思うほどに幼かった。あの声からは、決して想像できないような華奢な少女が、カーテンの向こうで、天井から伸びる細いロープにぶら下がっていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私の回想は、これで終わりだ。


 後から分かったことだが、ほかの住人は死んでいる彼女を見たとき、パニックになって全員部屋から出ていったそう。警察に連絡したのは、私の母だ。放心状態の私が、色々と口走っていたらしい。無論、私は覚えていない。なぜ、警察に連絡しなかったのかを彼、彼女らに質問しても、パニックになっていたから、正常な思考ができなかった、、、というバカげたことしか言わなかったらしい。嘘だ。と私は今でも思っている。


 私たち家族は、その後、すぐに別のマンションに引っ越した。ちょうどそのタイミングで、私は学校に行くことをやめた。両親を含め、周りの人たちは、死体を見てしまったことのショックから、私が精神を病んだと思っている。(しょうがない、、、時間をかけて、なんとかトラウマから救ってあげたい)と、当時は憐みの目で私を見ていた。


 皆、なにも理解していない。


 私は、いまだに眠れない。

 

 それは腐乱死体を目の当たりにした恐ろしさでも、腐乱臭を嗅いだ嫌悪感からでもない。


 あの日から、私は眠れない。


 だから、私は眠るために、今日も隣の部屋の声を聴いている。

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隣の部屋の少女 ささき @hihiok111

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