第22話 職を辞する通訳官
結局あの後4日間もレンは戻って来なかった。
勿論言伝などの連絡もない。
それと同時にお城の中で貴族令嬢と至る所で逢瀬を楽しんでいるという噂を聞く様になった。悲しい事に実際に私は何度かそれを目撃してしまった。
色んな事を考え過ぎて眠れない夜が続き心が擦り切れ、ヨハンさんに以前提案された「ヨハンと付き合う事になった」という事を今日レンに言ってスッキリ清算しようと決めた。レンがヨハンさんと付き合う事を特に気にしなければ、『旧原始の魔術書』の翻訳が終わったと同時に退職願を出してヨハンさんがついて来なくてもヨハンさんの故郷に行ってみようと思う。
私はまだこの国から出た事がないからもっと視野を広げれば、レンの事を忘れる事ができる事が出来るかも知れない。今レンの事しか目に入らないのもレンの側に居るからだというだけだと思うし、離れればいつかは忘れる。
早く心臓を締め付ける蔦を燃やしてしまいたい。
バレンス総長にレンの居場所を魔術で突き止めてもらいその場所に転移して貰う。確かにその場にレンは居た。そして間の悪い事に美しい女性と肌を重ね合っているところであった。
しかし、ここで言わなかったらずっと言う機会がない気がしたので思い切って言おうと思い息を整えた。
『ん?ミュナではないか?どうした?』
背中を向けていたレンは少しだけミュナのいる方に顔を向け、一瞬だけ目が合う。ミュナは久しぶりにレンと目があった事に仄かに喜びを感じたもののその未練を振り払う。
「ーーレン、あのね護衛魔術師のヨハンさんとお付き合い・・・恋人になろうと思うの」
『ほう?それで?』
室内の温度が下がった気がするが気のせいだとミュナは話を続ける。レンに組み敷かれていた女はその時顔が真っ青になっていたが、レンで隠れていてミュナの視界には入らなかった。
「・・・もうレンには私必要ないでしょ?だからね、今日お別れ言いに来たの。近いうちにお城の仕事辞めるから。もし、家にある物で必要な物があったら取りに来てね」
既にレンの顔はミュナに向けられてはいない。
『・・・我は一度見たものは何度でも作れる。必要な物などない。くだらぬ事で我を邪魔するな』
「・・・そっか。そうだね!うん。短い間だったけどありがとう。元気でね」
最後は笑顔でお別れしたかったのに、こちらに背を向けたまま再び顔を向ける事なく美しい女性と行為を再開され心臓に巻きついた蔦がミシミシと音を立てながら息が止まりそうな程締め付ける。
部屋から出るとここがどこかは分からなかったけれど、闇雲に突き進んだ。今止まったら蹲って動けなくなってしまいそうだったから。ひたすら階段を見つけるたびに下りていたらいつの間にか知っている場所にたどり着いた。
早速バレンス総長に今行っている翻訳が終わったら、王城から去る事を伝えた。かなり渋られたがレンの通訳がもう必要ない事、無駄に私に賃金を払う必要も無くなる事等を全面に押してなんとか頷いて貰えた。今後どうするのか聞かれたのでヨハンさんと共にヨハンさんの生まれた国に向かう事を伝えると、総長は小さくため息を吐くと本日の護衛でないヨハンさんをすぐに執務室に呼びだした。
少し総長が寂しそうに見えたのはどこかで私がそう望んだからなのだろうか・・・?
「ヨハン・テイル。やはり国に帰るのか?」
「はい。折角、魔術団に入れて頂いたのにご恩を返せずに申し訳なく思っております。それに、ゆなさんの心の隙を突く様な真似をしてしまった事を深く反省しております」
神妙な面持ちでヨハンがバレンス総長に話すのをミュナは黙って聞いていた。
「ーー構わんさ。元々2人ともこの国に根を張っておらんかったのは気づいていた。いつかはここを離れるのだろうとな。まぁ・・・、思っていたより早かったが。ゆな嬢、翻訳大変助かった。君は気付いていなかったが、この翻訳は各国が驚く様な偉業であったのだよ。働いた分の給金に色を付けておくから、これからの人生に役立ててくれ」
「ーーーっ!、バレンス総長短い間でしたがありがとうございましたっ!!」
見かけは眷属になって若返ったがミュナには祖父の様な存在であった。総長に会えなくなるのは寂しいけれど少し残業して翻訳を終わらせ、明日には王都を出る事にした。一刻の間涙が溢れ止まらなかったが、その間ずっとヨハンが側にいてくれた為にすぐに泣き止む事が出来た。
ミュナは予定通りアパートを引き払い翌日には退職し、朝受け取った働いた分の給金を持ってヨハンと共に国を出た。
今朝給金をバレンス総長から受け取りに行った際、バレンス総長は給金とは別に選別として『旧原始の魔術書』を翻訳した事により解明された古代の魔道具を餞別にとミュナに渡した。魔道具はアンクレットでお守りだから身につけている様にとだけ説明をされた。私の身の安全を祈ってくれる優しさに水の膜が目を覆う。
バレンス総長が転移魔法で送ってくれると言ってくれたけれど、その申し出は丁重にお断りした。バレンス総長はレンの配下になって魔力が増大した為に転移魔法が使用出来るようになったのだから、彼と別れた今私が彼の恩恵を授かる訳にはいかない。あの人は気にしないだろうけど完全に関係を絶たなければ、きっとどこに行ったってずっと引きずってしまう・・・。
二人は城下から乗合馬車で国を出る事にした。
馬車を借りて移動出来る余裕はあるけれど、向こうで新しく仕事に就くまでにどれくらい掛かるか分からないので話し合って節約する事に決めたのだ。
聖公国行きの乗合馬車は小さい国なので行く人もそこまで多くなく余裕を持って座れた。
「ヨハンさんは良かったのですか?お城の魔術団に勤めていたのに・・・折角の出世街道が・・・」
隣に座ったヨハンにミュナはこの際だからと、聞きたい事を全部聞いてみる事にした。
「構いませんよ。むしろ良かったと思っています。私の出身国はラフィリル聖公国といって近隣国の中では1番小さい国ですが、聖女が国を治める治安の良い国なのです。実は聖公国生まれの者は魔術が使えないのです」
「えっ!?魔術団の団員さんでしたよね!?」
「はい。魔術団に所属していながら魔術が使えないって驚きますよね?」
笑って話すヨハンさんは魔術が使えない事に悲観等はしていない様に見える。そうなってくると疑問ばかりが浮かんでくる。
「じゃあ、バレンス総長が私の護衛に推薦したのは何でなんですか??」
「・・・。バレンス総長が私の生い立ちをご存知だったからなのです・・・。私はゆなさんが以前の職場にいた時ですが、何度か図書館でお見かけしていたんです。声をかける事はありませんでしたが、見かけた時はしばらくゆなさんを眺めていました。」
「見られてたとか恥ずかしいんですけどっ!!あれ?でもそれが何でバレンス総長が推薦する事に?」
「ずっと私がゆなさんに別の人の面影を見ている事に総長が気付いてしまったんです」
「別の人の面影ですか?」
「ーーー妹なんです。両親は共に私が13歳の時に事故で亡くなり残された唯一の家族でした。私の家は男爵位の貴族でしたが両親が亡くなったので遠縁の子爵位である親戚の養子に入り元々の爵位は返上しました。貴族ですので縁組がなされました。私にも妹にも婚約者がいたのですが・・・」
ヨハンは苦悶の表情を浮かべ膝に置いた手が強く握り込まれる。こちらに伝わる程の感情にミュナは思わずヨハンの強く握られた拳の上から手を添える。ヨハンがぱっと顔を上げ数秒見つめ合った後ヨハンは儚げに微笑んだ。
「妹は婚約者を好いていました。相手は同じ子爵位ですが、元々男爵であった私たちを見下していました。妹はそれでも婚約者に相応しくなれる様に勉強やダンス、マナー等必死で頑張っておりました。養父母も流石にやりすぎでは無いのかと心配する程で、他家の者からも大丈夫なのかと聞かれる事もありました。妹は私が聞いても何も言わなかったのですが、その原因が婚約者にあった事に妹の心が病んでから知ったのです。」
「・・・・・・」
「養父母は養子の私達に優しくしてくださっていました。妹が病んでしまった事を急いで調べてくれました。私も妹の友人達に聞いて周りそして分かった事は、婚約者の家で行われていた妹への非道の数々でした。婚約者だった男には素行の悪い友人達がいて妹が病む3年程前に汚され、それは婚約者がその者達から金品を受け取り場を提供したのです」
「ーーーっっ!?」
「知られたら優しい養父母や私に迷惑がかかるぞと脅され、定期的に続いた様です。結婚が半年に迫った時、ドアの隙間からそいつらが話しているのを聞いてしまったそうなのです。『お前アイツと結婚するのか?』『あんな汚れた女とするわけ無いだろ。お前らと浮気してた証拠を子爵に突きつけて賠償金たんまり貰ってやる』『本当お前悪い奴だよな〜伯爵令嬢と付き合ってんの隠してさ』と。これは妹が聞いた後すぐに友人に当てた手紙に書いてありました。少し遠くにいたその妹の友人が駆け付けてくれた時には、既に妹は誰の話も理解出来ない状態にまでなっていました」
余りに酷い話に胸を抉られる様な気持ちになった。大切な唯一の家族が悪辣非道な人間によって人生を歪められたヨハンさんが、その当時どんなに絶望や憎しみを感じたか察するには余りあった。
友人による手紙の証拠や子爵令息の素行の悪い友人関係の証言を集め、子爵令息側に謝罪と賠償させる事は出来たがヨハンの妹は今でもずっと病んだままで自然の多い療養施設に入っている。
ヨハンはしばらく妹に付き添っていたがヨハンの婚約者が婚約解消を求めにきた。しかもその原因が子爵令息で仕返しにヨハンの婚約者に言い寄り奪ったのだ。ヨハンも気を病み人間が信じられなくなり、これ以上養父母に迷惑を掛けられないと1人国を出た所をバレンス総長に拾われた。魔術団に入れて貰えたのは聖公国出身者特有の回復術に長けていた為であった。
ミュナはヨハンの話を聞いて少しでも自分を助けてくれたヨハンと、今も療養中のヨハンの妹の為にできる事をして生きていこうと決めた。
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