第21話 離職を考える通訳官









 ガチャリとドアノブを回して暗く、空気の止まった玄関に足を踏み入れる。

レンと出会うまではそれが当たり前だった一人で暮らしていた部屋。

一緒に暮らし出して、あんなに賑やかだった部屋は異様に広く感じる。



「(ーーレンにとって私って本当なんなんだろう・・・。)」



 ミュナはご飯を作る気にも食欲も無く、シャワーを浴びてベッドの毛布に潜り込む。いつもはレンと一緒に寝ているので熱くさえ感じる部屋もベッドも肌寒い。毛布を頭まで被って丸まり足先を擦り合わせ体温を上げようと試みるものの大して上がらない。レンの事で頭の中が溢れ、中々寝付けないまま一夜を過ごした。


 翌日寝不足のまま出仕するとレンはまだ総長の執務室に来ていない。

まだ王妃様の元にいるんだと思うと、心臓を死人しびとの手で撫でられる様な不快感を感じた。そんな重い気持ちのまま翻訳に取り掛かる。

恐らく今週中に『旧原始の魔術書』の翻訳は終わるだろう。

その後は何をするのかまだ決まっていない事もミュナを憂鬱にさせる。

段々とレンが自分から離れていく事が真実味を増して怖くなり、レンが夜会用に魔法で創造してくれたネックレスを今日は着けている。ドレスは置く場所もないから消して貰ったけれど、ネックレスだけは持っておく事にした。石は親指の第一関節位大きいけれどそこまで華美ではないので服の下に忍ばせた。





「ゆな嬢、何かあったのですか?」

「元気ない・・・」


 本日の護衛騎士ヒューヴァーに心配されてしまった。護衛魔術師のシュローももじもじとしながらも心配してくれていた。シュローは初めこそほとんど喋る事が出来ない程の人見知りだったけれど、今では私や護衛仲間にならぎこちないながらも話す事が出来る様になっていた。そんな優しい二人を見ると鬱々とした気分が少し癒される。二人にこれ以上心配を掛けるのも申し訳ないので、上部だけでも元気を取り繕う。



「えーーー・・・?そうかなぁ?あ、ちょっと今日寝不足なんだよね。それでかな?それに翻訳するのに最近ずっと同じ姿勢でやってるから肩が凝っているのも原因かも?肩の運動とかしたら肩こりと眠気も治ると思う!2人とも優しいねっっ、心配してくれてありがとうっっ!!」




 肺に入った重い空気を外に吐き出しながらミュナは心配してくれている2人に全力で笑顔を見せた。



ーーーージリリリリッッッッ!!!



 笑顔に限界を感じた時、丁度午前の業務終了のベルが鳴った。

お昼を食べるのも怠いけれど、何もしないで執務室に篭っていたら余計沈黙が苦しいし変な空気で気遣われるのも怠いのでお昼を食べに庭園に向かう事にした。

護衛である2人も勿論護衛として付き添ってくれる。

思いつきで今日はいつもの中庭では無く、気分転換に王城にあるバラ園のベンチで食べる事にした。







 ーーしばらく歩くとバラの香りが風に運ばれて来た。



「わぁっっ!!こんなにバラ園って綺麗だったんだ!!もっと早く来れば良かった〜」




 茶色くなった花びらのバラは一切なく、丁寧に剪定されたどこを見ても絵になる様な瑞々しく美しいバラ園であった。心が洗われる様な素晴らしい景色に思わず感嘆の声が漏れる。

一人であったならご飯を食べずにただぼんやり庭園を眺めていたい程心を落ち着く。



「ここは本当に美しい場所ですよね。私もバラが咲く時期には良く来ますよ」

「僕は・・・外歩かないから・・・初めて見た・・・」



 護衛の2人はご飯は食べずに飲み物を少量飲むだけだ。

以前いつ食べているのかミュナが質問したら、ミュナが午前中の業務をしている間に交互に休憩をとっているとの事であった。今お茶を飲んでいるのも普通に護衛を休憩中も継続していたら、それをミュナが気になっている事に彼らが気付いた為に少量の飲み物を形だけとして飲み始めたのだった。

貴族では無いミュナには自分だけが食事する事に慣れなかったので、その気遣いに気付き心が暖かくなった。


 ミュナは食べ終わるとバラ園の散策を始めた。護衛の2人は少し離れたところで待機していた。バラ園の中にガゼボがチラリと見えたのでミュナはそちらに足を運ぶ。


 ガゼボにかなり近付き、バラの生垣一つを過ぎれば辿り着くという所で人の気配を感じミュナは足を止めた。足を止めたのは女の激しい喘ぎ声が聞こえて来た為で流石にミュナも驚く。



「(えぇっっっ!?真っ昼間からお城のお庭で!?嘘でしょっっ!?無いわ〜・・・)」



 ミュナは素晴らしいバラ園が一気に台無しにされ、虚しくなったので護衛の元に戻ろうと向き直る。



 しかし、その直後に全身が硬直した。



「・・・あっ・・・あっ!!ーーレンさまぁっっーーっん!!」



 まさか本当に自分の知っているレンでは無いだろう祈る様な気持ちで、生垣の隙間からそっと反対側を覗いた。



「ーーーーーっっ!!」



 息を呑んだミュナはその場から乱れる髪を気にもせず逃げ出した。走りながら無意識に服の上から中に忍ばせていたレンに貰ったネックレスの石を掻くように掴む。



「ゆな嬢!?どうかなさったのですか!?」


「はぁはぁ・・・ーーーううんっ、なんでも無いわ。蜂がいたから驚いてしまって・・・もう戻るね」


 バラ園か急き立てるように去ろうとするミュナにヒューヴァーとシュローは困惑していた。二人は何度か理由を聞こうかと口を開きかけたが、聞かれたくない様な様子に口をつぐんだ。




「(なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでっっっっ!!?)」



 総長執務室に向かって早足で進みながらも、ミュナの頭の中はさっき見た光景で頭が一杯だった。

いつもなら話しながらのんびり戻る彼女が、今日は護衛の2人に一切目を向ける事無く速度を緩める事無く進んで行く。心臓は急な坂を全速力で入った様に息が苦しく激しい動悸が起こっている。


 先程の光景が頭から離れない。脳内で壊れた再生機の様に何度も同じ場面が繰り返される。


 レンは本来の姿に戻っており胸元の服ははだけ美しく鍛えられた筋肉が見える。そのレンの上に跨りドレスが乱れ肌を曝け出した女性が喘ぎ声を上げながら動いているのが見えた。レンの表情は半分以上、上に跨った女性によって隠れ見ることは出来なかったが、嫌なら確実に払えるレンが何もしていなかったという事は、レン自身がやらせていたのだとミュナは気付いてしまった。




 その後上の空のままで午後の翻訳の仕事は中々進まず、総長に心配されたので早退することにした。

その間もレンは戻ってくることはなく一人で帰宅した。





 鍵を開け玄関のノブに手を回し、今日も空気が停滞し真っ暗な室内に一人で入る。スイッチを入れ光の魔法石を点灯させ服を着替えた。

それからミュナは一人寂しくご飯を食べ始めるものの、進まず半分を明日の朝ごはんに回した。それでも無理矢理胃に押し込んだので気分が悪い。



「ーーう・・・うぅっっ、うぐぅっひっぐっ・・・」




 涙が止まらず嗚咽し、先程食べたものを戻してしまう。



 こんなに一人で食べるご飯が美味しくなかった事に、今更気付くくらいならばレンに出会わなかったら良かったのにと思った。


・・・・・・ずっと一緒に居られるって思ってた・・・違ったんだね・・・。


私が勝手に勘違いしていたんだ・・・。そうだよね、私に愛しているなんて言わなかったし。眷属・・・最初から愛の無い関係だったって事だったんだ。ただ自分の配下増やしたいだけだったんだ・・・。レンの元の姿なら幾らでも女性が眷属になってくれるだろうし・・・。

ーーーお払い箱って事なんだろうな。


それなら、もぅ私が居なくても良いなら離れて良いよね・・・?


レンが他の女性と好き合っているの見せられるの流石に辛いから・・・。



 この世界にいきなり来てしまい、孤独に耐える日々だったがレンに出会った事によって孤独の日々に終止符が打たれた筈だった。レンは眷属にしてしまえばミュナ以外でも言葉が通じる事が分かり必要性が無くなった。その上レンは他の貴族の女と肉体関係を結び、2日間も一緒に今まで暮らしていたアパートに戻らなかったのだ。今日に至っては言伝すら無かった。結局それだけの関係だとミュナは理解せざるを得なかった。


 昨日ミュナはヨハンにレンとの感情についてお互い愛は無いといった事を答えたが、少なくともミュナはレンに依存していた。そして自分の事を見ていてくれるレンに恋が仄かに芽生えていたが、それを認めてしまえばレンが自分を単なる利害関係の一致で存在を認めているだけだと本当は気付いていたからこそ怖かった。


この恋が叶う事は無いと思ったからだ。叶わない恋でも恋するのは楽しいけれど、それは余裕があってこそだ。一人で生きていかなければならない、この世界には心を許せるものが何一つ無い状態且つこの世界で初めて心を許せる人に出逢ったらその人は他の女の元へと行ってしまった。


 ミュナの心にはこれからのレンを見続ける気力はもう無かった。






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