第7話「慣れてることなので」

「あ、あの……ありがとうございました」


 女子学生が、涼介にお礼を告げる。

 しかし、涼介は全く気にする様子はなく。


「いや、大丈夫ですよ。慣れてるんで、ああいうの」

「慣れてる……?」

「あー。妹がいるんですけど、似たようなことがしょっちゅうで……。よくナンパされるもんだから、その度に仲裁に入ってたんですよ」


 涼介の言葉は、嘘ではなかった。

 高校時代、たまに葉月と一緒に出掛けたりすることがあった涼介。そのたびに、ちょっと目を離すと、すぐ色んな男から声をかけられるのだ。

 その度に仲裁に入っていた涼介からすれば、今日の出来事も、その延長線上。

 助ける対象が、葉月ではなく見知らぬ女性だったというだけのことだ。


「そうだったんですね……。それでも、ありがとうございます。私、ああいう男性って苦手で……」

「あはは、そうですか。よかった、余計なことをしたかなって、少し心配だったんですけど」

「いえ、そんなこと。……それより、よかったんですか? 名前、書いちゃってましたけど」

「ああ、偽名ですよ。あれ。もちろん、電話番号も適当な番号です」

「え?」


 一瞬、驚いた表情を見せる女子学生。しかし、涼介の言葉が面白かったのか、はたまた、助けられたことで安堵したのか。


「──ふ、ふふふっ。あの状況で、そんなことできるなんて……」


 と、急に笑い出してしまった。


「あ、ごめんなさい。なんだかおかしくって……」

「いやいや。笑ってもらえて光栄です。……さて、俺はそろそろ次の授業に向かいますね」


 ちらっと時計を見ると、五限開始まで十五分を切っていた。


「あ、その前に……。本当のお名前、教えてもらえませんか?」

「名前ですか? えっと、仁科涼介、商学部一年です」

「仁科さん……。私は立花詩乃たちばなしのって言います。文学部の一年で……」

「あ、同い年だったんですね。それに、文学部って……」


 葉月と同じ学科だなと、涼介は思った。


「同い年……。そ、そうですね。それより、またお礼させてもらえませんか?」

「いや、別に気にしなくていいですよ」


 涼介としては、別に見返りが欲しくて助けたわけではない。

 そもそも、助けたという意識すらほぼないに等しい。そのため、お礼と言われても、逆に困るな……というのが本音であった。

 しかし、それでは詩乃が納得しないようで。


「でも、何もしないって言うのは、私の方がスッキリしないっていうか……」

「んー。なら、今度学食でも奢ってください。それでチャラってことで」

「あ、はい! もちろんです!」


 問答を続けても仕方ないだろうと、涼介はなるべく詩乃の負担にならない案を提案し、無事可決。いずれ機会があれば、という形で、一旦別れることとなった。



(本当に、よかったんだけどな……。けど、お礼ってことなら、受け取らないわけにもいかないし……)


 詩乃と別れ、五限の授業を受けつつ、先ほどの出来事を思い浮かべる涼介。

 しかし。心の中ではそう謙遜しつつも、彼女とまた会う約束を取り付けられたことには、少し喜びを感じている自分もいることに気づいた。

 それは果たして、新しい知り合いができたことへの喜びか。それとも、彼女が涼介好みの、非常にかわいらしい女性だったからか。

 それはまだ、本人もよくわかっていない。



「──お待たせ、葉月ちゃん」


 五限開始、十分前。

 立花詩乃は、授業が行われる五号館の教室へと足を運び、先に着いて座席を確保してくれていた学友──七瀬葉月に、声をかけた。


「あ、詩乃! 遅いよ、どこ行ってたの?」

「ゴメンね、ちょっと色々あって……」


 葉月は心配そうに見上げる。


「色々? 大丈夫、なにかあった?」

「うん……。ちょっと、変な人に絡まれちゃって」

「ええっ! それ、大丈夫なの?」

「心配いらないよ。私も困ってたんだけど……知らない人に、助けてもらっちゃって」

「へぇ……。その人って、女子?」

「ううん、男の人。商学部の一年生なんだって。すごく優しそうな人だったよ」

「商学部の一年生……」


 そう言われ、葉月の脳裏に浮かんだのは兄、涼介の姿。

 そういえば、涼介も商学部だったような……。

 とはいえ、キャンパスも広ければ、学生の数も高校とは比にならないほどの多さ。

 たとえ学部が一緒だったとして、そんな偶然、あるわけない。

 そう結論付け。


「よかったね、いい人が側にいてくれて!」

「うん♪」


 ──キンコンカンコン、と。

 授業開始を告げる鐘とともに、この話題は終了することとなった。

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