応援コメント

「第4話 宮崎駿な乙女のエロス」への応援コメント


  • 編集済

    またすごい熱量の考察ですね^^ 宮崎監督の女性に対するイメージは、女性からするとちょっとなぁ~・・・と感じる部分はありますが素敵なヒロインばかりですよね。

    精子と卵子のドラマチックな描写にも感銘を受けました。勉強になります・・・^^

    =追記=

    呪文堂さま、ご返信ありがとうございます。こちらの回を読み返し、さらに他の方のコメントやその返信を読んでみると、あらためて洞察の深さに敬服します。

    宮崎先生の女性に対するイメージのちょっとなぁ~は、まさに呪文堂さまの察するところです。

    女性があまりに、完璧で理想的に描かれているなぁ・・・と感じられ、でもそのように女性を描けるのは男性ならではでしょうか。女性は自分たちの完璧ではないところを知り尽くしているので、あのように単純なまでに可憐で気高く美しく・・・という描き方はできない気がするのです。

    (・・・なので私のヒロインは内面が黒っぽくて完璧から程遠いのですが、呪文堂さまがリアリティあり魅惑的と言って下さるのは嬉しいです!)

    逆に言えば、女性の描く男性像も、こそばゆい時があります。精神も行動も清廉な、誰もが好きになってしまいそうなキレイな男性像にはファンタジー臭が漂ってしまい噓くさく思われてしまいます。

    ですがあれらの素晴らしい乙女たちは宮崎監督ご自身なのだという考察は興味深い視点でした。

    また、あのように出来すぎのヒロインたちだからこそ、男性キャラ達が敬い崇めるのでしょうが、ある意味男女のシンプルな、本質的なあり方のようにも思われます。そこもまた理想的な姿のようにも映ります^^

    朝から長文コメントを、すみません・・・^^ 呪文堂さまの感性がすばらしく、やられ気味です♡ また勉強させて下さいね^^

    作者からの返信

    神原 遊様!

    わあ!ありがとうございますっ!むちゃくちゃ嬉しいコメントを頂きましたっ!

    『宮崎監督の女性に対するイメージは、女性からするとちょっとなぁ~・・・』


    すっごく興味深いですっ!
    なるほど、宮崎監督、女性からすると『ちょっとアレ』なんですね?

    へへ、カントクぅ、言われてますぜぇ?

    理想の押し付け、女性の偶像化が過ぎるとか?
    是非ともその詳細を教えて頂きたいものですっ!!

    ヒロインをどのように描くのか。これは作品作りの最重要課題だと思うんですね。
    『告白』の優理香さんのように、魅惑的でかつリアリティー溢れるヒロインを描けたなら。・・憧れますね!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!多くの気付きを頂けそうですっ!感謝でございますっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • もう言いたいことは他の方の感想と被るので少しだけ。
    こうした方が売れるだろう、というエンタメ的な思考ではなく彼ら彼女らはこうするだろう、という思考が当たり前にできているんでしょうね。
    つまりエロスも同じで押し付けるよりも無意識、無垢な結果として生じた方が良いものが生まれるという至極当然なことを再認識しました。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    いずも様っ!

    ありがとうございますっ!

    『こうした方が売れるだろう、というエンタメ的な思考ではなく彼ら彼女らはこうするだろう、という思考』

    頂きましたっ!!
    仰るとおりかと!

    自らの中に確たる世界がおそらくあって、それを求めて出現させようとするのが表現というもの。
    目の前の世界に迎合するものを表現してみても、それは現実世界の二番煎じにしかならない。

    ありがとうございます!
    真髄です。心します!

    無意識、無垢の結果として生じた、エロス。
    深いです。深い。これは今の私では雲を掴むようですが、なんとなく感じるものがありそうです。作為で形作ったものは、所詮は表層。なるほどですね。

    多くのことを学ばせて頂いた気がします!もやもやしたものを大切に抱き締めながら、じっくりと漂ってみたいです!
    ご教授、ありがとうございました!勉強になりましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 凄いです。その一言に尽きますが、それで終わらせたくないので書きますね。

    『映画のはじまるところ』(少年):変化・挑戦
    『世界をつくるところ』(女の子):無垢・バランス

    このような印象を受けました。少年の部屋の模型や工具・楽器は動きと創造の武器たる象徴、女の子の部屋の整理された環境や自転車は「場」の清浄さと世界の安定感の象徴。バランスの象徴に自転車を置いたのは秀逸です。誰かが漕ぎ続けることで安定しますから。乗り手を待っているはずですね。
    これを受精の話、少女が用意した世界に、少年が導かれ、強大なものに立ち向かうという構造と解釈した視点に度肝を抜かれました。我々は合一によって生まれる世界に生きていますしね。また、もしかして呪文堂さんが例の作品で書きたかったのは、この部分が大いにあるのではないだろうか、などと邪推してしまいました。

    『カマトト』は確かにネガティブな印象がありますね。私もシモネタは少し苦手で、と言いにくいのは、この言葉によるものです。知っているからこそ、映像としてキスシーンを見たり猥談に混ざるのが恥ずかしいわけで、本当に無知ならば、寧ろ「ナニソレ〜?」と無邪気な興味を抱いてもおかしくないはず。

    ここまでの話が前置きだったなんて(笑)

    パズーの体感の話も頷けました。男性が感じる女性の重みと、女性が感じる男性の重みは異なると思います。これは体格や質量の話ではなく、舞台として待つ側と、惹きつけられて「向き」が生じる側の違いに当てはまる気がします。

    また肉体的な「型」が違えど、誰しも男女両性を内包しているのでは?と思ったり。生まれてから「らしく」という矯正が少なからずあるだけで。それが生命(世界)の「誕生」シーンにおいては、「場」と「向き」が生じることで「変化が始まる」という仕組みなのだろうなと考えさせられました。

    って、全然書ききれないですけれど、最後に一つだけ。
    次回に向かうワクワク感が隠しきれてません(笑)

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様っ!

    ひゃあっ!!参りましたっ!
    す、凄いですっっ
    鳥肌立ちましたようっ!!

    『少年の部屋の模型や工具・楽器は動きと創造の武器たる象徴、女の子の部屋の整理された環境や自転車は「場」の清浄さと世界の安定感の象徴。』
    慧眼です。うーむ、お見事。

    『バランスの象徴に自転車を置いたのは秀逸』
    参りました。正に正に。

    しかも。
    『もしかして呪文堂さんが例の作品で書きたかったのは、この部分が大いにあるのではないだろうか、などと邪推してしまいました。』

    完全に見抜かれていますね!
    仰るとおりですっ!!

    いや。本当のことを言いますと、本稿を上梓するまで気付いていなかったんですよ。
    例の作品は、一話一話、毎回毎回、悩み苦しみながら書き上げていたもので、プロットはおろか、キャラクター設定すら無くて、その場で浮かんできた疑問に答えつつ、ふと沸き上がってきたものを描写していく、という書き方をしていたんですね(←ダメですね)。終盤にいたり、ああこの作品はこういう物語か、と気づいたそのとき警告を受けちゃった、というものでして。
    気付かぬうちに、自分なりに解釈した宮崎監督の世界観をトレースしていたらしきことに、気付かされたんです。いやあ、ふるふると感動していたのですが、また改めてふるふるですっ

    しかして。
    『待つ側と、惹き付けられて「向き」が生じる側』

    ああ、蒼翠琥珀様!天才だ!
    打ちのめされましたよう。

    実は、書かなかったことがあるんです。
    最近の研究で、卵子は自分が気に入った精子を引き寄せる力があるらしいのです。精子は膣内を泳いでいくうちにパワーアップしていき、様々な能力を得ていく。探知能力的なものも得て、卵子が発する何らかの物質をキャッチし進んでいくのですね。しかし、広大な膣内、道を誤ることもしばしば。・・ところが、一部の精子はあるところまで来ると、迷うことなく卵子の方向へ導かれるように進むらしいのです。どうやらそれは、卵子が特定の精子を誘導しているらしい、という研究で・・

    ゆえに世界の誕生は、
    『「場」と「向き」が生じることで「変化が始まる」という仕組み』
    であると。

    更には。
    『肉体的な「型」が違えど、誰しも男女両性を内包しているのでは?』
    おっしゃるとおりっ!そのとおりだと思いますっ!ホント、それ!


    ・・あの。蒼翠琥珀様っ!私に代わって『次回』、お願いできませんか??
    ポンコツの私には無理ですようっ(´TωT`)

    いやはや、本当に吃驚仰天、学ばせて頂きましたっ!!

    本当に本当に、ありがとうございましたっ!感謝ですっ!参りましたっっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • なるほど…興味深く読ませて頂きました

    私も宮崎監督がロリコンというのは絶対に違うとずっと思っていたのですが、彼の乙女の部分という説で納得です!
    愛知にあるトトロの家の中を見学したことがあるのですが、まさに『乙女が考える田舎家』でしたもの
    ちょっとした小物まで完璧で、子供を放っておいて自分だけ感服して何度もぐるぐるしてましたw

    あと、ナウシカなどのヒロインは母親の影が薄い「父親の娘」が多い気もします
    リンドグレーンの「長靴下のピッピ」もそうですが、めっちゃ強くて深く優しい
    リマスター版コナンを半年前にすべて見返したのですが、確かにラナよりナウシカは肉体的だと思います
    クシャナもエロくないのにどこかふとエロい部分がありますよね
    (ナウシカ全巻を持ってるカナリヤ、クシャナが好きです。ナウシカと通じる部分があると思うのです。写し鏡的な…)

    ジブリで育ったカナリヤ、黙っていられず的外れなコメントをさせて頂きました!

    最近カクヨムから離れており、新着連絡を切っているので読みに来るのが遅いのですが、続きを楽しみにしております!

    作者からの返信

    カナリヤ様っ!

    ありがとうございますっ!

    すみません、遅くなり申し訳ございませんっ
    誠に誠に、おめでとうございますっ!🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉

    しかし、環境の変化は心身ともに疲労を与えるもの。どうぞ、ご無理のないように願います。

    流石はジブリに造詣の深いカナリヤ様。
    母親の影の薄さ。父親の娘。
    なるほどなるほど。重要なテーマですね!
    いつの日か『ナウシカ論議』をカナリヤ様にお願いしたいものでございますっ!

    そしてなにより、クシャナ。
    全面同意です。
    『風の谷のナウシカ』、真のヒロインはクシャナこそ、と私も思っているのです。
    ナウシカは、人の世とあちら側とを結ぶ吟遊詩人、ユパは真理を探求する賢者、そしてクシャナは人々を導き率いる勇者であると。(実は土鬼の皇弟ミラルパも、ナウシカとクシャナを掛け合わせたような人物であったと思っております。)

    ナウシカは、どちらかといえば『あちら側』に軸を置いていた人物です。対するクシャナ(とミラルパ)は、あくまでも人間世界に生きる人物です。故に、汚泥にまみれ闇を纏わざるを得なかった。
    ナウシカは憎しみよりも悲しみを以て人間社会に接することができる人物です。それは深い優しさと慈しみ、同時にある種の冷徹さを兼ね備えているように思われます。(森の人セルムもやはり慈愛を有しつつ、ナウシカ以上に世界を俯瞰する冷徹さを有しているように思われます。)
    対するクシャナは、怒りと憎悪に猛りつつ、傷つき苦しみながらも生きることを諦めないひとです。それは、愛する人々を諦めない強さに通じます。彼女こそが、汚れた大地を這いながらも進む、真の人の姿を表していたのではあるまいかと思うのです。

    勇者クシャナは、賢者ユパの血に清められ、吟遊詩人ナウシカにより道を示される。
    実はそんな古典的なプロットに則っていたのではないだろうか?と思っているのですが、如何でしょう?

    いけないいけない。ナウシカ話だと終わらなくなりそうです!
    いつの日か、是非ともナウシカ対談をお願い致しますっ!

    ご教授、誠に誠にありがとうございましたっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • そもそも何でフィオはすぐにポルコに惚れるのかな、という疑問を抱いておりました。飛行機工場の親方の孫娘が、上客のパイロットに何でそんな会ったばかりで好意を抱くのか、と。
    今回のお話にある「泳ぐ!」のところも、何でそんなイキナリ泳ぐの、アナタもうちょっとポルコと時を積み重ねてから、そういうことをしなさいよ……という疑問を呈していたのです。
    むろん、ここでフィオがポルコに惚れないと、尺が足りないし、お話が成立しない=カーチスとの一騎打ちとか、飛行機同士のバトルが描かれなくなるから、という事情はあるのでしょうが。

    しかし、今回のお話を読んで、「そういうことだったのか」と分かったような気がします。「分かったような」というのは、巨匠相手に知ったかぶりをしている自分への窘めですが。
    受精というイベントにおいて、相手が来たら、もう面と向き合うしかないから、時を積み重ねている暇なんて無い、ということなんだろうなぁ、と。

    いやまあ別に、一目惚れを否定する気はないんですけどね。
    何か唐突な印象を否めなかったのです。
    ですが、そういう説を聞けば、「そうかも」と思えるわけです。

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様っ!

    おお、ありがとうございますっ!そうですよね!若くて可愛いフィオが、何故、豚の中年男に恋しちゃうんだ!?まさか、一目惚れはあり得ないし。
    これは私の妄想なのですが、おそらくフィオは自分の父親や祖父から子守唄代わりに、飛行艇乗りの話を聞いて育ったのだと思うのです。彼女にとって、アドリア海のエース、マルコは特に憧れであったはず。
    終盤、ポルコがフィオを遠ざけようとしたのは、なにも年端もいかない少女だからではないと思うのです。ポルコは可愛い子ちゃんなら喰っちゃうエロオヤジだと睨んでます。しかし、フィオを遠ざけた。これは、フィオが憧憬と恋愛とを履き違えていると感じたからだと思うのです。据え膳喰わぬは男の恥ですが、勘違いを利用して手を出すのは美学に反する。そんな葛藤がポルコのなかに生じたのではないのか。
    最後、ポルコは人間に戻るらしい描写がありますが、ここは果たして、フィオのキスによるものなのか、それともジーナの言葉によるものなのか。ここら辺を敢えて明確にしていないのが、この映画の『妙』だなあ、と思いました。

    ありがとうございますっ!お陰で更に考えることができました!感謝申し上げますっ!

    呪文堂 拝

  • 宮崎駿作品から、精子と卵子の話まで、濃くて深い分析です。
    呪文堂様の『エロに対する規制。これをどのように扱うべきかと思い悩みながらこのコラムを続けてきたわけですが、規制など遥かに飛び越える思想を、与えられたように思えます』
    このお言葉に打ち震えました。本当に勉強になります。ありがとうございます。

    呪文堂さんと元祖天使さんと語らって欲しい、テーマです。
    戻って来て欲しいと、心から願う今日この頃です。


    作者からの返信

    星都ハナス様っ!

    ありがとうございますっ!
    お言葉、恐縮過ぎますっ

    が、元祖天使さまと・・っ
    とんでもないですっ!私などではまだまだ足元にも及びませんっっ
    あの知見、洞察力と閃き。そして何より、創作への熱い想い。本当に凄いですよね尊敬ですっ
    元祖天使さま、相当にお忙しいことかと思うのですが、もしも戻ってきて下さったら、私、嬉しくて泣きますね。
    やばい、泣けそう・・


    元祖天使さまに叱られないよう、頑張らなければいけませんね!

    あ、そうですハナス様っ!
    ハナス様のお陰で、色々な方が訪れてくれるようになりました!もうビックリです!本当にありがとうございますっ!(呪文堂の変態ぶりを御存知ない方もいらっしゃいそうで、緊張しちゃいますっ)

    何から何まで頂くばかりで恐縮のしっぱなしでございますっ
    本当に本当に、ありがとうございますっ!
    このご恩、忘れませんっ

    呪文堂 拝

    編集済
  • 毎回毎回すごい濃さですね。もう平伏します。m(__)m
    カマトトという言葉は否定的なイメージがあったのですが、概念が覆りました。なるほど。そこからの精子と卵子の話がここまで壮大に語られるとは思いもよりませんでした。と思ったらこれが前置き? メインディッシュ並みの前菜です。
    確かに宮崎さんはロリコンと形容されますね。僕も女の子が好きなのかなあなんて簡単に思っていたんです。そしたら
    『自身に宿る乙女の発露』
    やられました。その言葉が突き刺さりました。なぜなら僕の中にもそれがあるからです。子どもの頃はお姫様になりたかった。それができないから自分の目線から少女という神秘性に憧憬を抱くほかない。だから理想化して当然。なるほど作品の少女像は対象物ではなく、そのまま監督の分身ということなのですね。それはロリコンとは何の関係もないものですね。
    そして神聖のなかに肉体の実感を伴わせる。そのチラリズムが巧いのでしょうね。
    無駄な死を遂げていく中にそれでも美しい生の一瞬があるというのは前置きのお話ともリンクする気がしました。
    本当に素晴らしい分析で、勉強になります。

    作者からの返信

    柊圭介様っ!

    ありがとうございますっ!

    柊さんのお言葉で、私、漸く理解しました。本稿を上梓しながらも、なんだかひっかかっていたのです。

    氷解しました。

    そうだ。こんな私の中にだって、かつては乙女が存在したはずなんですっ!(←柊さんっ!笑っちゃダメですよぉっ!)

    『男だろ』『男の子なんだから』『男のくせに』
    幾つくらいからでしょうか、男たれと自分でも言い聞かせるようになってしまい、いつしか心身ともに男になってしまった。いや、自分のなかの女性的要素を殺してしまったのですね。

    生物学的にいえばですよ、たとえ肉体的機能は男性と女性とに分かれたとしても、遺伝的要素は両方有しているはずなのです。
    更にいえば、性という機能は生命の一機能に過ぎません。おそらく女性の方が生命のスタンダードであろうことからすると、本来的に全ての有性生物は女性的要素を生命の本質として保有しているはずだと思うのですよ。

    だから。たとえ男性であっても、その奥底に乙女を宿すのは当然なのかもしれません。むしろ、特に人間社会においては、矯正的に男性のなかにあるはずの乙女を排除するようになってしまったのかもしれない。

    うーむ。なるほど。
    この視点は、重要です。
    ありがとうございます。これは、広がりそうです。そうか、そうだったか。

    エロスというものを『性』のなかで語るべきではなく、『生命』のなかで語らねばならない。卵子と精子の構造も、本質的に生命が有していたものが手段として性の機構に発現したに過ぎないのだと。つまり、『乙女』の起源は性の機構より更に奥、『生命の本質』にあるものではないかと。

    柊さんっ!!本当ですかっ!
    これ、本当なら凄くないですかっ!もしかしたら、『乙女チックな世界観』でこの世の全てを見渡したら、色々と見えてくるものがあるのかもしれないですよっ!

    すみません。妄想が暴走しちゃいましたっ

    いやはや、本当にありがとうございますっ!また、なにやらヒントを頂けたように思いますっ!
    ご教授、誠に誠にありがとうございましたっ!!感謝ですっ!

    と思ったら、素晴らし過ぎるお言葉とお星まで頂戴してしまいっっ 本当に本当にありがとうございますっ!喜びで悶絶しておりますっっ

    呪文堂 拝

    編集済
  • 宮崎監督作品、僕も大好きで実は女性主人公ばかりだなと思っていました。僕はナウシカが一番好きなので女性が主役という事に違和感は感じておらず、恐らく監督は強く戦う女性が好きなんだろうかと思っておりましたが浅はかでした。本来女性は強い生き物。その強さの中に、男性が理想とする乙女を夢見ながらご自身を投影して描いてらっしゃったと言う考察、凄いと思いました。
    この回、ジブリ好きなだけに凄くのめり込んで読ませていただき楽しかったです☆エロは醸し出せ。凄く勉強になりました

    作者からの返信

    小鷹りく様!

    ありがとうございますっ!

    い、いえ、その。私の分析というか妄想は、ピントがずれていることが往々にしてございますため、間違っているかもしれませんっっ ご容赦をっ!

    確かにナウシカは、力強さを見せるヒロインですよね。優しく猛々しい風のような少女です。彼女のカマトトぶりは、とても深いです。漫画版ですと、人類滅亡の可能性を見てみぬふりするわけで。進化に伴う試練を除いてしまおうという墓所の主を拒絶し、これを打ち倒してしまう。確かに、男の出る幕がありませんね(^^;
    その意味では、ナウシカはオーマという巨神兵を処女出産し、オーマという男児に墓所を破壊させた。オーマは母であるナウシカとともに、墓所の子宮を潰すことで、新たな世界を産み出した。・・そのようにみることができるのかもしれませんね。

    いやあ、『風の谷のナウシカ』は深すぎて、なかなか一話では語りきれませんね!

    ジブリ作品、あまり解っていないかもしれず。ご教授を頂ければ嬉しい限りですっ!
    何卒宜しくお願い致しますっ!!
    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • 百億回くらい頷きながら読ませていただきました。考察も私には到底できない素晴らしいものばかりだと思います。

    ……内容とは違う無粋なことを申し上げてすみませんが、三点リーダーはできれば標準的な使い方をされてほしいなぁと。文章が綺麗なだけに、そこがどうしても気になってしまいました。

    作者からの返信

    彩月結斗様

    ありがとうございます!
    三点リーダーというのですね、点々。そんなことも知らない素人でございます!申し訳ございません!どうやって出すんだろう?
    粗忽者にて申し訳ございません!

    呪文堂 拝