第2話 漱石先生エロスぞな、もし

 尊崇する人物は誰?と問われたら、実に迷いますが十回に数回はこう答えるはずです。

 夏目漱石。


 ならばどの作品が好きか?と問われると、これは実に困る。読むたびに自身が色々と変わってくるので困るのです。『坊っちゃん』や『猫』は無論好きですが『坑夫』も好き。無限の回帰に一冊だけ持ち込んでも宜しいといわれたら、『草枕』かなあ。


 しかし、今回取り上げるのはそのどれでもなく、後期三部作の一作、『行人』です。


 あれ?お題は『漱石先生のエロス』じゃなかった?

 はい。間違いありません。

 『漱石先生のエロス』ですっ!


 『行人』は朝日新聞に掲載された作品で、1912年12月から1913年11月まで続きました(途中、漱石先生の胃潰瘍で中断アリ)。

 つまり、第一次世界大戦よりも前に書かれた作品であり、『新聞連載』小説です。

 まさに古典的な文藝の範たる作品といってよいと思われますが、私が思うに漱石先生の作品中ではこれが一等エロい。読んだとき、「わあ先生、やるなあ」と思わず呟いたものです。

 是非ともご一読頂けると『緻密なエロス』を堪能頂けると思うのですが、ここでは直截的な辺りだけ抽出してみましょう。



 兄の一郎、あによめなお、主人公の二郎とその母の四人が旅することとなりました。

 兄一郎は学者肌で尋常でないくらいに繊細なる変人です。嫂のなおは美しくも自ら愛想を振り向いたりはしない女性。主人公の二郎は気楽ながらも心配りの細やかな常識人。母は時代相応の凡たるも憎めぬひとです。

 さて、件の変人は何より妻を愛しておりますが、同時に妻を疑っております。しかも、妻の懸想の先は二郎だと疑っている。問い質された二郎は、きっぱりとこれを否定する。

ならばと変人は、とんでもないことを二郎に頼むのです。


なおの節操を御前に試して貰いたいのだ」


 いくら変人たりとてあんまりです。むろん二郎は頑なに拒みますが、一郎は聞かない。仕方なく二郎は、嫂の内心を聞いてみるだけなら、と引き受けました。

 明くる日の朝。空には斑が見えて風高く、近くの防波堤に砕けたる波の音は凄まじい。生憎の空模様です。二郎はこれ幸いと嫂と二人きりの日帰り行きを止めようとしますが、険しい兄の目がそれを許さない。押し出されるようにして、二郎は直と出発します。

 並んで電車の座席に腰を下ろす二郎となお。二郎は気が重く、普段のようには話せない。そんな二郎に直はどうして黙っているのだと問い質す。夫の一郎が押し黙っていても意に介すことなく自若な直は、二郎に対しては気安くみえる。人柄の違いか、重苦しい日々の蓄積のせいなのか。二郎はなおに訴える。


――「兄さんにもそういう親しい言葉を終始かけて上げて下さいと云うだけです」

 彼女は蒼白い頬へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方に灯を点けたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし、自分はその意味も深くは考えなかった。――


 さて、出先であれこれしているうちに雨は強くなる。時間を気にして時計を探していると、女中から知らせが入った。兄と母が留まる和歌の浦が暴風雨に包まれたと。電話が切れて話は通じず、松が倒れて電車も通じぬ。

 ・・やむを得ない。

 二人は宿を取ることに。


 案内された部屋は、縁側を前に簾を掛けた古めかしい座敷。外では唸るような怪しい音が響き渡る。

 下女が風呂の案内に来る。下女が行ってしまうと、宅中の電灯がぱたりと消えた・・


 自分との仲を疑われる嫂。その嫂とただ二人で差し向かう。外には止むことを知らないごうごうたる嵐。内は深々たる、暗闇。


――黒い柱と煤けた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗になった。自分は鼻の先に坐っている嫂を嗅げば嗅がれるような気がした。――


――嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と呼んだ。――


――「いるんですか」

「いるわあなた。人間ですもの。嘘だと思うならここへ来て手で障って御覧なさい」

 自分は手捜りに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。

「姉さん何かしているんですか」と聞いた。

「ええ」

「何をしているんですか」と再び聞いた。

「先刻下女が浴衣を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」と嫂が答えた。――


 

 暗闇の中。

 手を伸ばせば届きそうな距離。

 響きたるは女帯の擦れる音・・


 なんたる大胆不敵っ!

 暗闇のなかで浴衣に着替える嫂・・

 飛び出しそうな二郎の鼓動が聞こえて来るようじゃありませんかっ!


 これぞ『正攻法としてのエロスの表現』と云いたくなりますが、まずは落ち着いて前回見出だした【R15対応策】に合致するのかみてみましょう。


 ☆【R15】に対する具体的な対応策☆

①『隠喩』『暗喩』で露骨・詳細の回避

②エロパートの『比重割合を下げる』

③物語での『エロの必然性を表現』する

④『物語の展開でエロ具合を緩和』させる

⑤『思想・芸術的表現でエロを緩和』させる

⑥『15歳未満の読解が難しい程度の表現』

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 ①『隠喩』『暗喩』。これ完璧です。そもそもの作為は闇に包まれ見えません。見えぬがゆえに、露骨と成り得ない。それでいて、闇に響く帯の音が妄想を掻き立て羽ばたかせるという見事な技。凄いですっ!

 ②『比重割合』。これはまるで問題にならない程度に低い。・・しかしながら、直截的ではない『性に対する考察』が作中散りばめられているため、直截部分は色濃く、そして各所で反芻されるわけなんです。

 ③『エロの必然性』。ここは更に上手で、そもそも『エロは語っていない』建前となっています。ここを『エロ』だと感じたら、感じた方にこそ原因がある、という書き振り。だって、暗闇のなかで着替えているだけですから。・・故に④『物語の展開でエロ具合を緩和』も⑤『思想・芸術的表現でエロを緩和』も無用なんです。むしろ、緩和どころか促進させているくらいで。しかし、エロが書かれていない以上、配慮は無用と云わんばかりです。

 そして、⑥『15歳未満の者による読解が難しい程度の表現』ですが、当時は解りませんが現代においては年少者が取っ付きにくい作品ではありましょう。


 というわけで、当然といえば当然ですが、見事にクリアされていました。いや、クリアどころか更に上を行っていましたね。どう解釈してもエロス漂う場面なのに、語られる事象は何気ない行為に過ぎなかったりする。これだとクレームする方が『あなたダイジョウブ?妄想が過ぎませんこと?』と言われかねません。

 

 闇と音を用いて空想を掻き立てる技法と、エロスそのものの扱い方。漱石先生は実践的な技を教授してくれましたが、それだけではありません。

 もう一つ、とても大切なことを教えてくれているのです。


 繰り返しますがこの『行人』、第一次世界大戦以前の作品であり、しかも新聞連載小説なんです。それこそ、新聞社の自己規制が五月蝿かったのではないでしょうか?

 この作品は漱石先生の主題である『自我』と、そして『性』を語った作品です。エロスを表現せずとも、それらを語り上げることは出来たでしょう。

 しかし、漱石先生はあえて切り込んだ。大病を患い中断しながらも、あえて冒険した。私はそのように捉えております。



 生きることは観念ではない。実際だ。

 その、瞬間なのだ。



 ・・帯擦れの音は、それを知らしめているように思うのです。


 

 如何でしたか?

 漱石先生のエロス、ドキドキ出来ましたでしょうか?


 え?

 あんまり?

 上品すぎて、おとなしい?

 

 ・・うーむ。刺激物は麻薬と同じで、より強いものを求めてしまう傾向にある。漱石先生のエロスでは満足できませんでしたか・・


 よろしい。

 ならば。この際、漱石先生のお弟子様に、ご登壇頂こうではありませんかっ!


 芥川龍之介!


 上品だなんて云わせませんよ!

 すっごいエロスをご堪能頂きましょう!


 次回、『龍之介のエロス』にびりびり痺れて頂きます!畏れをなして逃げたりしないで下さいよっ!ぬふふっ!

(つづく)

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