印章

 菊は湯船に浸かりながら昨日からの出来事を思い返していた。


「これは現実なんだよな・・・・・・」


 自分の両方の手を眺めながら呟いた。やはり、どれほど信じろと言われても怪奇な出来事はすぐには信じられない。自分の中では納得したつもりでも、ふとすると夢だったのではと思ってしまう。


 自分の手からこぼれ落ちるお湯を見ながら考え込んでいる菊は風呂場のドアが開いた事に気がつかなかった。平然とオセが風呂へと入ってきてシャワーを浴び始めた。菊の耳にはその音が届いていたが、気にせずに思考を巡らせていた。


「まだ信じられないのか?」


「少し・・・・・・うわぁ!!」


 オセの質問に無意識で返したあと、裸のオセが目の前にいる事に驚き菊は危うく溺れそうになった。


「何してるんですか!!」


 目のやり場に困った菊は、扉の方の壁に目を向けながら話す。


「ん? あぁ気にするな、別に人間の裸などに興味などないからな」


 本当に何も気にしていないようで、オセはシャンプーで髪を洗い始めた。


「僕が気にするんですよ!」


「別に見てもいいぞ」


「見ませんよ!」


 そう言いながら菊は横目でチラチラとオセの方に目をやった。すると、オセの背中にある大きなアザのようなものが目に入った。


「そのアザはどうしたんですか?」


 オセの背中に円形状に広がっていたアザはどこか人為的なものに見える。白い肌によく目立つ青黒い色のアザ。よく想像上の物語の中に出てくる魔法陣などに近いものに見える。


 シャンプーを流しながら、オセが説明を始める。


「私の印章だよ、君の背中にもあるよ」


「印章?」


 そう言われて菊は自分の背中を見ようとする。首を回してなんとか見ようとすると、見慣れないアザのようなものが見えた。自分の背中なので菊自信は正しい形を見ることはできなかったが、オセと同じ模様が背中に浮かんでいた。


「それが君と私が繋がる証だよ。 それがある事で君は力を使えて、私は実体を保っていられる。 ウィンウィンってやつだね」


 菊は許可もなく背中にアザのようなものをつけられ、殺し合いに巻き込まれて何がウィンウィンなのかと思ったが、口には出さなかった。


「他人には見せないようにね、他の参加者から気がつかれちゃう」


 髪が洗い終わると体を洗い始めた。


「まぁプールとか温泉とかは行きにくくなっちゃうけど、それ以外は生活に支障は出ないと思うから安心して」


「背中ならまあいいですけど」


 体を洗い終わったオセが浴槽へと入ってくる。菊の家の風呂は、一般家庭と同じような大きさなので二人で入るには少し窮屈なのだがオセは気にする様子はない。


「ちょっとつめてね」


 菊を脇に寄せると、無理やり浴槽に体を沈めた。オセが入ると、お湯が満杯になり少し溢れ出した。


「ふぅ〜。 日本はいいね、お湯に浸かる文化があって」


「オセさんは日本人じゃないんですか?」


「まず、人じゃないね。だからなに人とかじゃない、悪魔。いろんな国で王戦をしたけど、私は日本が好きだね」


「そうなんですね」


 悪魔だとしても見た目は同年代の女の子なので、菊はかなり気まずい思いをしていた。裸の女の子と一緒に狭い風呂に使っているというだけで気がおかしくなりそうだった。さっさと風呂から上がってしまえば良いのだが、その考えが浮かぶほど落ち着いてはいられず菊は何か話す話題を考えることで必死だった。人間のように羞恥心を持たないオセが、菊の目を見つめてくるのも原因の一つなのだが。


 しばらく無言の時間が流れ菊が耐えられなくなりそうな時オセが口を開いた。


「聞きたいことがあるなら今のうちに聞いて、これからゆっくり話す時間がなくなっていくかもしれないからね」


「じゃあ」


 いろいろと考えて菊は気になったことを聞く事にした。


「この王戦が始まった時のことを詳しく聞いてもいいですか?」


「いいよ」


 そう言ってオセは話し始めた。


「そうだね、まず私たちはソロモン王に呼び出されたんだ。それは知ってる?」


「はい、72の悪魔を使役して力を使うためだとか」


「そう言われているらしいけど本当は少しちがうんだよね、私たちはあの男に娯楽として呼び出されただけなんだよ」


「娯楽?」


 菊は娯楽で悪魔を呼び出すとはどういうことかよくわからず、首を傾げた。


「彼は暇つぶしのために、72の悪魔を呼んで殺し合いをさせたんだ。信じられるかい? 暇だからって悪魔を呼び付けて遊ぶんだ」


「殺し合い!? でも、わざわざそれに従う必要があるんですか? オセさんたち悪魔にはなにも利益がないじゃないですか」


「そこなんだよね、この王戦が続いている理由は」


 少し興奮した様子で話を続ける。


「私たち悪魔は人間の欲望を求めているんだ。 例えば、あの女を抱きたいという快楽や優越感といった欲望だったり、あいつを殺したいとかの憎悪や憤怒の感情とかね。悪魔にはない感情だから人間からそれを感じたいのさ」


 菊は人の感情を感じたいという悪魔の考え自体は理解ができなかったが、話を進めるために肯きながら話を聞く。


「ソロモン王はそれを全部持っていたのさ。72の悪魔は全員欲する欲望は違うというのに、全員を満足させられる欲望の持ち主だった。そんな人間は一度も見たことがなかったよ。私たちは彼を欲したのさ、自分の欲しいものを満たした上にそれ以外のものまで盛り沢山。そんな人間がこれから先に生まれるかもわからないからね」


「そんなに凄かったんですか」


「想像してみて。菊の目の前に、理想の見た目の女性が現れて結婚したいと言ってくる。しかも金持ちで君は一生働かなくても遊んで暮らせる」


「確かにそう言われるとすごいですね」


「ただ彼がイカれていたのは72の悪魔で殺し合い勝者だけが、その理想を手に入れられると言った。私たちはお互いで戦う事に決めた。ただ、一つ問題があった」


「問題ですか」


「そう」


 オセは一拍の息継ぎをして続きを話した。


「私たちが人間の世界で戦うと、人間に大きな被害が生まれるという事」


「悪魔の力・・・」


 菊は昨日目にした能力を思い出した。


「君が想像できる何倍、何十倍も大きな力だよ」


 菊が昨日の能力以外で想像できるのは核兵器などの戦争で使われた兵器の威力だった。それよりも強いとなると想像もしたくないようなものだった。


「そこで、私たち悪魔は一人の人間を選ぶ事にした。 私たちの代わりに戦ってくれる代理の人間をね。 今回は君が私の代理」


 ウインクしながら菊へ向けて手を伸ばす。


 菊は自分がなぜこんな事に巻き込まれたのか少しわかった気がした。だが、納得はできていなかった。


「それでその時は誰が勝ったんですか?」


「さあ?」


 オセは両手を顔の横に上げて首を傾げてみせた。


「さあって知らないんですか?」


「私は途中で負けて封印されたからね」


「そうですか・・・」


 短い沈黙の後、オセは再び話を続ける。


「まぁそんな感じでソロモン王を一人の悪魔が手にしたはずだよ。そしてソロモン王が死んだ時、私たちの封印が解かれて再びこの世界に戻ってきた。そして、次の王を決める事にしたのさ」


「ソロモン王の娯楽からは開放されたのにですか?」


「私も含めた、敗北した71の悪魔は感じたかったんだよこの世の王の欲望をね。そこで、ソロモン王を奪い合ったあのルールで私たちは王戦を始めた。王にしたい人間を一人選び生き残った一人が王になる。そしてその人間を選んだ悪魔がそいつが死ぬまで王の欲望を独り占めさ」


 菊は昔読んだ本でソロモン王がどれほど昔に生きていた人物かを知っていた。紀元前千年という人間からすると遠い昔のような時代から自分が巻き込まれたこの王戦が続いていると知り不思議な気分だった。


「なんでこんな事が行われてるのかはなんとなくわかりました。でもなんで僕なんですか?」


 自分が古代の王に並べるほどの魅力を持った人間だとは菊は思っていなかった。それでも悪魔が自分を選んだ事には何か特別な理由があるのかとも考えたが、そんなことは菊にはわかることではなかった。


「君は自分が思ってるよりも見所のある人間だよ、そんなに自分を嫌うもんじゃない」


「はぁ」


 菊にはまだまだ聞きたいことはあったが、オセが風呂から上がって出て行ってしまったのでこれ以上聞くことができなかった。


 風呂からあがり部屋へと戻るとオセの分の布団が菊のベッドの横に敷いてあった。悪魔は寝ることはできるが人間のように必須ではないのだと菊に熱弁していたオセは、十分後くらいに気持ちよさそうにベッドで寝ていた。菊は明日も普通通り学校があるので部屋の電気を決して布団に入った。


 暗い部屋の中で目を瞑ると、昨日からの出来事がフラッシュバックのように浮かんできた。


 まだ自分の身に起きていることが完全に把握できているわけではないし、受け入れられないような光景も目にした。できる事なら今すぐにでもこの状況から逃げ出したい気持ちはあるが、できるのだろうか。そんな事を考えながら菊は眠りについた。



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