次なる混沌と土の精霊

 後日。全てを諦めて逆に気が晴れた参謀は、魔王城の一室で酒を飲み、問題を先送りにしていた。

 男の現実逃避に付き添っているのは闇の四天王。起こった問題を楽観視する傾向がある彼女もまた性根は似通っており、いつものように小話を披露しつつ酒気によって頬を染めている。

 普段わざわざ落ち合って宴を開く事こそ無いものの、大きな戦などで招集があった際にはこういった飲み会を開くのが慣習と化していた。今回も、執務室で研究所からの資料に目を通していた参謀の元に闇の四天王が酒瓶を持って現れた事が発端だ。


「という訳で、その日もワイ子が先鋒になったのじゃ」

「あの娘か……確かまだ幼かった筈だが」

『……』

「ワイ子はあれでも翼竜じゃ、そうそう死なんよ。わしの方がよっぽどか弱いわ! なっはっは!」

「面白い冗談だ」

『……』


 闇の四天王が語り、参謀が茶々を入れる。

 宴は普段通りの流れで進んでいたが、今日は同室にもう一つの影があった。


 それは茶髪で片目を隠した少女。神が何よりも先ず産み落とした世界の一部。星の器。

 葡萄酒の入ったグラスを見て固まっているのは、魔王軍の構成員の中でも特級の扱いが必要とされる土の精霊だ。組織の進退をも左右し兼ねない強大な力とその特性から、万が一にも離反されないよう細心の取り扱いをするように、と魔王から直々に各方面へ通達されている。


 その最重要幹部はふらりと食堂に現れた。外に控えていた使用人による制止の声を無視して堂々と扉を開き、目を見開く参謀の元へと歩を進め、その肩に手を触れて何かを伝えようとした所でようやく闇の四天王の存在に気づき、何も言わずに黙って着席した。

 何の用事か問われても全く答えようとしない土の精霊に目を丸くしていた二人だったが、暫く考えた後にとある事を思いつく――



『……そういえば、精霊って酒に酔うのか?』

『知らん。ここまでハッキリと人型をとっている精霊も珍しいからな。おそらく本人も試した事がないんじゃないか』

『なあ……ちょっと飲ませてみんか? なぁに、これは親睦会じゃ。これからの戦いのためにも、幹部同士で交友を深めなければならん。親睦会なら酒も飲む。それに、おぬしも興味があるじゃろ? 面白そうじゃろうが、んん?』

『………………グラスを一つ持って来い』



 ――アルハラである。


 この日、魔王軍参謀と闇の四天王は精霊に酒を飲ませた世界初の不埒者となった。

 「飲んでくれると嬉しい」などと本人の自主性に行動決定を委ねた風を装いつつ、言外に上司としての権力をちらつかせた巧妙な手口は組織内で横行している。精霊である彼女がそれを正しく読み取ったかは兎も角として、土の精霊はグラスに口を付けたのだった。

 その後、考え込むように固まった彼女の様子を見ながらも宴は通常通り進行し、一旦話が終わる頃になって二人の不埒者は再び精霊へと意識を向けた。


「……うーむ、暫く経つが反応がないのう。想像はしとったが、どうやら精霊はザルみたいじゃな」

「変化が無さすぎるのも気になるが……大丈夫か? 体調に影響があるようなら、無理して飲まなくても良いんだぞ」

『……私は星の運命たる母体。全ての物質は既知であり、それには例外が無い』


 精霊はそもそも物理的な肉体を必要としない存在である。有り得ないとは思うが、万が一にでも体調不良を起こしてしまうと世界のどこに異常が発生するか分からない。参謀が心配して顔を覗き込むと、土の精霊はついに男の手を取って意思を返した。

 その様子を見た闇の四天王は、グラスを置いて興味深そうに顔を近づける。


「お? 何か言っとるのか?」

「ああ。何かは言っているが……ちょっと内容が分からん。すまんが、もう一回伝えてもらってもいいか?」

『褒美、報酬。その何れもが今や世界を生かすみなもととして成っている。即ちこの大地も。その身、その魂、星の意思として貰い受ける、或いは、預かり受ける必要がある。要求する。貴方にはそれを受ける義務がある。世界として意思を後世に残す義務が』


 手を握りながら男と目を合わせる土の精霊は、一方的に伝えたい事を流し込み終えると立ち上がった。

 何だ何だと参謀と闇の四天王が顔を上げたのも束の間、土の精霊は体の比率はそのままに天井ギリギリの高さへとサイズを大きくし、参謀の男を持ち上げて胸に抱えた。

 少女然とした肉体のまま椅子とテーブルを押しのける様は非現実的で、見る者にまるで世界が縮んだような錯覚を与える。


「はっ……!? お、おい? 何しておる!? こやつは何を言っておったのじゃ!?」

「いや……それが抽象的でよく分からん。普段は最後の方に分かりやすい言葉が並ぶんだが……酒を飲ませるのはまだ早かったのかもしれんな……」

「なぁに悠長な事をいっておるのじゃ! おぬしも少しは抵抗せんか!」

「星と押し合って勝てる訳が無いだろう……実力行使は悪手だ。まずは対話を試す」


 参謀が拘束からもがくように顔を見上げると、目が合った土の精霊は不思議そうに首を傾げる。

 何をしようとしているのかは不明だが、早急に止める必要がある。何故ならここは魔王城の一室であり、巨大化して質量と体積を増やす事は施設を破壊し兼ねない危険な行為だから――ではなく、単に精霊に酒を飲ませた事が王に知られると怒られてしまうからである。


 互いに折り合いがついている参謀と闇の四天王のような関係は稀で、軍組織の上下関係は本来絶対的なものだ。上官の言いつけを破り反感を買うなど私刑は免れない大罪であり、いかに彼らの上司が温厚な人柄だったとしても、その内容と理由によっては重い罰が下されるだろう。


「あー、すまんが一旦降ろしてもらえるか?」

『我ら星々の礎に事足りぬ事象無し。知識は書物にて得た。闇の子よ、心配は無用』

「こいつ聞いとらんな。聞いとらんじゃろ?」

「まだ分からん。対話は難しそうだが、この部屋にいる限り猶予はある。次策を練るぞ」

『怠惰は秩序崩壊の序となる。僅少なる時でさえ浪費する事は永遠の罪となり身を苛む。いざ行かん、我らが大地の核壁へと』

「歩き出したんじゃが?」

「これはもう駄目かも分からんな」


 ゆっくりと一歩踏み出した精霊に、参謀は達観して匙を投げ、闇の四天王は酒を呷ってから腕を組んで唸る。

 土の精霊は、水の精霊をも抑えて最も力の強い精霊とされている。ここにいる魔族二人も常識外の力を持ち合わせてはいるものの、彼女を力づくで止めようとすると先に城の方が崩れてしまう。

 八方塞がりかと思われる現状で、闇の四天王の思考は別の方向へと逸れていく。


「これはもしや……『お持ち帰り』というヤツか? こやつが奥手ゆえに見る機会は無いと思っていたが、まさか逆にされている姿を見る事になるとはのぅ。……どれ、われも混ぜてもらうとするか。ホテル行く?」

「悪ノリは止めろ。お前、今の精霊があの扉から出られると思うのか? 破壊した壁や扉を魔王様にどう報告するつもりだ」

「うーむ? …………いっそありのまま正直に言ってみるのはどうじゃ? そうすれば、魔王様もわれらの誠実さを汲み取って下さるかもしれぬ」

「ありのまま正直に?」


 腕を組みながら首を捻る闇の四天王に、子供のように抱かれたままの参謀は呆れたように目を細めた。

 親愛する王に対して虚偽の報告をするのは論外だが、参謀にとっては部下を守るのも重要な仕事である。せめて命までは取られないよう、なんとかして衝撃を和らげる必要があった。


「『興味本位で精霊に酒を飲ませました』と報告しろと? あくまで発案者はお前だ。俺の立場では守りきれんぞ」

「う……や、やっぱり嫌じゃあ! お仕置きされるのは嫌じゃあー! 魔王様、同性相手でも容赦無いんじゃもん! 今度こそわれの大事な初モノが奪われてしまう!」

「なら真面目に考えろ。俺だって一月ひとつきの内にそう何度も治療室送りにはなりたくない」


 絶叫し、体を抱きながら身をよじる闇の四天王と、過去の惨事を思い出して顔を顰める参謀。

 ただ一人楽しそうにしている精霊は、そんな二人の様子にも疑問を持つ事無く千鳥足で入口へと歩を進める。大自然による運命のカウントダウン。ゆっくりと、しかし着実に終わりの時は近づいている。


「ま、待て待てぇ! っ……そうじゃ! 土の精霊よ、そやつを開放するのは後にするとしても、せめて元の大きさには戻らんか? 城を破壊してしまえば魔王様に即刻見つかってしまうぞ。あのお方のそやつへの執着は半端ではない。おぬしの望みも叶わなくなる。どうじゃ?」

『……』


 闇の四天王が引き留めようと声を張る。既に交渉は出来ないものと判断された後ではあるが、この窮地をなんとか脱しようと咄嗟に声が出た。

 それも再び無視されるものと思われたが、同僚からの言葉を受けて精霊は何かに気づいたように立ち止まり、暫く考えた後にゆっくりと頷いた。風船が収縮するように比率を保ったまま体が小さくなっていき、抱えていた男が腕からすり抜けそうになると、その首根っこを掴んで後ろ向きに肩に担いで持ち直す。

 人間でいえば十代半ばに見える物静かな少女が大柄な男性を担ぎ、左右に重心を傾けもしない光景からは頼もしい大地の息吹が感じられる。が、体を二つ折りにする参謀の心にあるのは母なる大地に身を任せる安心感ではなく心的疲労だった。


「……対話できたな。こちらの声が届くかどうかは運次第という訳か?」

『……』

「うーむ……都合の悪い声だけ無視しとるようにも見えるが……まぁ、ともかくこれで時間は稼げた。目撃者を最小にしつつ、城から出てしまえば事実は闇の中に消える。いけるぞ!」

『……』『……』

「ああ。これは……勝ったな。後は外にいる者達さえ口止めできれば、魔王様のお耳にかかる事は無いだろう。俺も五体満足で明日を迎えられるという事だ」

『……』『……』『……』『……』『……』『……』

「……んん?」

「一時はどうなる事かと思ったが、間一髪で助かった。今後はお互いに気を付けるとしよう」

「いや、無理無理無理! 無視できんって! 増えとる! 精霊が増えとる!」


 参謀が現実から目を背けて勝利を確信していると、酒を飲んだ個体と全く同じ様子の土の精霊が床から生えるようにして室内のあちこちに出現した。

 多くの個体は酩酊感を楽しむようにフラフラと身を揺らしているだけだが、入口付近に現れた二体は参謀を担いでいる個体を手伝うように男の手と足を持ち上げる。


「はぁーーーー……、小さくなったと思えば次は増殖か。トンチ勝負をしとる訳ではないんじゃがのぅ……」

「さっきより寧ろ厄介だな。城内で散り散りになると確実にバレる。一体だけでも止め切れんのに、こうなると指を咥えて見ているしかなくなるぞ」


 余りに絶望的な状況で逆に感情を失いつつある参謀は、精霊の上で頬杖をつきながら溜息を吐いた。


 最早悲劇を確実に回避する方法は存在しない。この日、魔族は後戻りできない境地へと足を踏み入れた。決して触れてはならない禁忌を犯し、自らの過ちを嘆きながら全てを失うのだ。

 さらば行動許可。こんにちは病室。好奇心は幹部をも殺す。


「わしはおぬしの体力の方が心配になってきたがの。童の姿とはいえ、この数の相手となると大変じゃ。発情期のイザリアと良い勝負かもしれん」

「何の話かは聞かんが、本人の前では絶対に言うなよ。お前が丸焦げになったら聖女に治療させるからな」

「われ、混沌の一族ぞ? 聖女の力なぞ受けたら魂から浄化されてしまうわ!」


 人神の力を自由に振るう謎聖女と、邪神の直系。世の対極にあるような二つの要素を掛け合わせた時に一体何が起きるのかは全くの未知数だ。

 男の発言に闇の四天王は再び戦慄し、大袈裟な手振りで抗議するようにテーブルを叩く。

 その物音に反応したか、扉の向こうから慌ただしく声がかかった。


「ッ……ご歓談中失礼します! 何か問題がありましたでしょうか!?」

「む? 熱が入り過ぎたかの」

「あぁ、気にしなくて良い。別に何も――いや、待てよ……」


 室内の異常を察知した使用人から扉越しに声がかかる。普段はこちらから指示をするまで全く介入してこない彼らだが、今は何やら緊張した様子で声を震わせている。

 幹部二人はそんな違和感にすら気付く余裕を失っているようで、降って湧いたこの状況をどうやって調理するかだけに意識を向けていた。そして、一つの案を浮かべた男は宙ぶらりんの体制のまま威厳ある声でその者達に呼びかけた。


「代表の一人だけ中に入って来い。できるだけ口の堅い者が良い。重要な話がある」


 外で待機している使用人のうち一人だけを呼びつけ、言い含め、丸め込む。その者が他の者に情報を共有し、それを繰り返して情報を拡散していく。一斉に知らせるよりも混乱が起き難く、静かに作戦を進める事が可能となるだろう。

 味方犠牲者は一人でも多い方が良い。とにかく多くの者を巻き込む事で問題を複雑化し、事実を霞がかった状態にするのだ。日常業務の中でも使う事のできる万能テクニックである。


 危機的状況の中、少しでも状況を良くしようともがく二人の幹部。敗色濃厚でありながらも僅かな可能性に賭けて手を伸ばす彼らの生き様は戦士として美しいものだった。




 ――しかし、終わりは唐突に訪れる。




「そうか、口の堅い者か。では儂が行こう」

「……え?」


 声がした。聞き覚えしかない、忘れる筈もない声。魂に刻まれた声。

 勿体ぶるようにゆっくりと両開きの扉が開き、濃密な闇の気配が食堂内に流れ込む。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさと圧迫感が中に居る者達を襲う。

 理性では拒否しながらも、本能がその存在を求めて目を向けてしまう。湧き上がる感情に抗う事ができずに視線は前へと吸い込まれていき、眷属達はその先に王の姿を見た。


「で? 話とは何だ。言ってみろ馬鹿者共」


 即座に跪いた闇の四天王の横で、土の精霊は足を止めて魔族の王へと向き直る――参謀を後ろ向きに担いだままの状態で。




 この日、参謀は世界で初めて魔王に尻を向けて説教を受けた男になった。



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