火竜と聖女

 魔王城、治療棟。

 大型でない上級魔族が集中的に治療を受けるこの区画は年々稼働率が上昇傾向にあったが、ここ半月は特に盛況だった。

 原因は先の総力戦。入り口を厳重に警備されている特級の個室に身を横たえる炎の四天王もまた、その戦いの功労者であった。


「……」


 静かに目を閉じるのは余計な消費を抑えるため。手負いの勇者から傷を受けた事で煮えたぎっているであろう激情をコントロールし、一刻も早く病床を脱して力を発揮しようと静かに堪えるその姿勢を部下や家臣は涙を流して讃えた。

 しかし、実際のところ彼女の頭の中は、上司から与えられるであろう褒美の事で一杯であった。


「……」


 眉を顰め、厳しい表情で考えるのは身を捧げた相手の事だ。仮に今回の負傷で評価を落として褒美を賜れなかったとしても、以前保留になった甘味処の件を引き合いに出せば会食……もとい会議には漕ぎ着けるかもしれない。

 少し卑し過ぎるだろうか。それとも気にし過ぎなのだろうか。花占いをするかのように答えの出ない問題に挑んでいた炎の四天王だったが、部屋の入口が騒がしくなった事で我に返り、上体を起こす。


「おい、なに騒いでやがるッ! いいトコで邪魔してんじゃねェ!」

「っ!?」


 火竜が苛立ちに任せて近場にあった椅子を投げると、丁度開いた扉から入ってきた人物の頭部に直撃した。

 のけ反るように姿勢を崩し、入口でしゃがみ込んだのは女性。切り揃えられた長髪の上から頭を押さえ、同情を誘うように目尻に涙を溜めるその姿は炎の四天王の神経を逆撫でする。

 即座に追加で机が投げつけられたが、今度は女性を護るように現れた光の壁に防がれた。


「っ!? ッ……テメェ……聖女かッ!」


 その光を通し、炎の四天王は相手の内に秘められた強い神聖を見た。身の毛のよだつ嫌悪感と共に緊張が内面をを支配し、神の傀儡を消し去るために魔力が体内を駆け巡る。

 半ば反射的に放った爆炎が壁を揺らしながら入り口の女へと吹き荒ぶ。猛火は室内の調度品を残さず焼き尽くしたが、それでも光の壁は破壊する事ができずに周囲へと反射した。


 熱量だけで幾多の命を奪うであろう攻撃を目の前にして、聖女に動じる様は見られない。彼女は自分の頭を撫でるようにしつつ、横目で炎の四天王を見ながら口を開く。


「……これは等しく神の力です。生半可な攻撃では破れません」

「は……? 喧嘩売ってンのかテメェ。いい度胸だ、バラバラに引き裂いて城門に飾ってやるよ」

「飾るな。俺が連れてきたんだ」


 傷を負い、消耗している状態で聖女に勝てる道理は無い。炎の四天王が決死の覚悟で立ち上がった所で、入り口から声がした。

 聖女を雑に押し退けながら入ってきたのは大柄な男。先程まで火竜の妄想の中にいた男が、ラフな姿で現実世界に姿を現した。


「……いや、正確には『連れてこさせられた』、だな」

「参謀様……!? し、失礼いたしました!」


 予想だにしない展開に、炎の四天王は即座に臨戦態勢を解いて膝を突く。荒れた室内を注意されるかと首を竦めたが、男はどこか疲れた表情で顔を上げるよう手振りしただけだった。


「気にするな。急に目の前に聖女が出てきたら俺だってこうする。良い反応だった」

「はっ、ありがとうございます……! それで、本日はどのような要件で……?」


 上司の言葉を受けて気を取り直した炎の四天王は、期待と不安が混ざったような表情でゆらゆらと尻尾を揺らす。

 参謀はその様子を見てやや複雑な気持ちになりつつも、部屋の隅で小さくなっている聖女を顎で指した。


「研究所絡みの命令だ。こいつの力を使い、お前の傷の治療を行う」

「はっ。……?」

「アルザルの阿呆が、俺が冗談で言った事を鵜呑みにしたんだ。前に、聖女の扱いについてあんまり絡んでくるから面倒になって適当に答えた。それをよりによってあいつ、俺の名前を出して魔王様に許可を取りに行きやがった。その結果がこれだ」

「アイツ、参謀様にまでご迷惑を……行動許可が出たら俺が始末しておきます」

「奴がこれ以上馬鹿な事を言い出したら頼む。話を戻すが……おい、聖女」

「はい」


 好奇心を擬人化したような研究所長の姿を思い出して苦い顔になった参謀は、普段なら止める部下の過激な言葉を肯定しつつ聖女へと声をかけた。

 聖女は椅子が激突して痛む頭から名残惜しそうに手を離しつつ、参謀の隣に寄り添うように移動する。決して扱いが良いとは言えない魔界での生活にも強靭な精神力で慣れてしまったのか、最近は暗い表情でありながらも若干の余裕を感じさせる受け答えをするようになっていた。

 回収された当初は「気弱な子供」とさえ報告されていた聖女の気性だったが、参謀と面会した直後に長時間の瞑想を行い、それを終える頃には人が変わったかのように落ち着き、従順になったという。


「彼女が対象の負傷者だ。打ち合わせ通りにやれ。余計な動きを見せたら殺す」

「はい」

「え……? お、おいっ、寄るな! ……あの、本気なのでしょうか……!?」


 とはいえ、聖女と初対面に近い炎の四天王はこの状況をすぐに呑み込む事ができない。彼女としても上司の指示には有無を言わさず従いたい所だったが、聖女の持つ強烈な神聖には本能が拒否反応を示してしまう。実験のためか、少女の腕から魔力を制御する魔道具が外されている事も大きく不安を煽る要素だ。


 聖女は命令されたから仕方なく、といった風を装いながらもどこか楽しげに炎の四天王へと歩を進めるが、その相手は後退り距離を離そうとする。


「イザリア、諦めろ。魔王様の命だ」

「は、はっ! しかし、体が勝手に……! ちょ、来るな……来んなっつってんだろクソアマ!!」

「ふむ……これでは治療ができません。困りましたね……」


 腕を振り払って拒絶する火竜に、全く困っていなさそうな聖女が迫る。火を吐こうとして止めるのを繰り返している火竜に、全く困っていなさそうな聖女が迫る!


 目の前で繰り広げられるどうしようもない展開に天を仰いだ参謀は、そっと部下の背後に回り首元を掴んで捕縛した。


「ひっ!? さ、参謀様……?」

「安心しろ、効果は既に俺が試している。仕組みは分からんが、神託を阻害している状況でも力を引き出せていた」

「あっ、ひ……ふぁ」

「…………では、始めますね」


 男が緩やかに首を締め付けると、炎の四天王は小さく体を跳ねさせて座り込んだ。

 そこにすかさずしゃがみ込んだ聖女は、火竜の手を取って静かに祈りを捧げる。


 変化はすぐに訪れた。

 負傷により形を崩した肉体は、理から干渉され元在った状態へと帰結する。時を戻すかのように体が修復され、光によって蝕まれていた内臓までもが闇の器を取り戻す。濃い闇の力が再びその身に宿る。


 人神の聖なる力を受けて損壊していた闇の眷属の体が、聖女の力によって光を取り去り、闇の力を取り戻したのだ!


「ぅ……、…………ん? ……はぁ?」

「光が無くなって……闇が深まった……? おい、何をした?」


 先程、男が事前に自分の体で実験した際は単純に砕けた拳が治癒したのみだった。炎の四天王に対しても同じ事が起こるものだと予想していたが、まさか肉体の治癒だけでなく光によって汚染された状態までもが消えてしまうとは思いもしない。

 人神の恩恵は光を元にしてもたらされる。光を追加で付与するのならまだしもそれを取り除いたというのであれば、何らかの原因によって神の力が性質を捻じ曲げられたという事になる。

 例えば、女神の意思に反発できるような強い精神力を持った存在によって――


「私は、元あったように……傷付く前の状態に戻るように祈っただけです。人神ではなく、私を正しい色を持つ世界へと導いて下さった方に感謝し、祈ったのです」

「抽象的な物言いはやめろ。治療時に手に触れた理由は何だ? 人間相手では触れていなかった筈だ」

「昔、私が村の教会にいた頃の方法です。あの時はまだ聞こえてくる神の言葉が曖昧で、力の使い方が分からず直接触れて治療していたんです。そして今、私は神の言葉を聞く事ができませんから、昔の……私のやり方で力を使ったのです」


 『私のやり方で力を使った』。

 如何にも「魔界に囚われて落ち込んでいますよ」という雰囲気を眉の角度で表現しながらも、引き起こした結果に得意気に胸を張る聖女は確かにそう言った。


 自分の意思と自由な信仰を持つようになった一人の少女。神に祈らなくなった彼女は、神の意思を無視しながらも神の力を一方的に取り出し、その方向性を変えて振るってみせた。

 まるで神か、それに近しい何かであるかのような聖女の振る舞い。そして、それを可能にしている彼女の規格外の精神力。もはや上位存在と言って等しい聖女の力を目の前にして、参謀と炎の四天王は眉を顰めて顔を見合わせるしかない。


「……つまり、この女は……現人神……」

「よせ。言うな。一旦考えよう」


 炎の四天王が一つの仮説に行き着いた所を、男は首を振って制止する。

 これは一つの事件だ。星を巻き込んだ大問題に発展しかねない、世界の根底を覆し得る不発弾だ。


 とんでもない怪物が産まれてしまった可能性に頭を抱えた男は、その頭に治癒術をかけてくる聖女を投げ飛ばして壁に突き刺すと、この状況をどうやって処理するかを考え始めた。


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