火竜イザリア
魔界の中心にある魔王城――その城下町。
東通りにある甘味の有名店に、現在休暇(連勤)中の参謀とその部下の姿があった。
「本当にこれでよかったのか?」
「はい。参謀様にお手数をお掛けするのは大変心苦しく思うのですが……」
「構わん。魔王様からの命だと言っただろう。お前は前作戦で十分な活躍をしているのだ、何でも好きなことを言うがいい」
「何でも……? …………いえ、ご配慮頂き感謝致します」
店内最奥に用意されている密談用の個室。そこで男と対面しているのは、燃えるような紅緋の長髪と美しい尾を持つ女性。普段は部下を威圧している鋭い目つきも今は穏和に色を変え、その身に宿す熱量も低く落ち着いている。
劣勢でいながらも前線を保ち続けている闇の眷属達。彼らが未だ大きな勢力として存続できている理由の一つが、突出した力を持つ上位魔族の存在であり、魔王軍の幹部は魔族にとっての希望そのものだ。
つい最近は最大規模の敵拠点まで落としたという現代の英雄達。そんな軍の重鎮が二人も同時に訪れた甘味処は一時騒然となった。暫くすると店内は当たり前のように自然と貸し切り状態となり、今は厨房側の通路から従業員が一人顔を出しているだけだ。
個室内は扉によって物理的に姿が隠れているだけでなく魔道具によって音までもが遮断されており、注文するには面倒なものの密会には都合の良い環境だった。
「では、希望通りここで魔石採掘場の定例会を始める。……確かに時期ではあったが、まさか褒美のついでに済ませる事になるとはな」
「参謀様の時間をお借りする以上、少しでも効率的に事を済ませた方が良いかと思った次第です」
「その気遣いに感謝する。最近は時間のかかる仕事も多くてな」
男が溜息をつきながらそう言うと、女性は窺うように男の顔を覗き込んで眉間に皺を寄せる。
「それは……もしやあの貧相な女が原因でしょうか? 参謀様に対していつまでも馴れ馴れしい……始末するのであれば、俺にお声掛け頂ければ微力ながらお役に立てるかと」
「貧相な……? ……ああ、シィラの事か。いや、あいつはあれでいいんだ。軍役は俺より長いし、昔は随分と世話になった。今更形だけ敬われてもしっくりこない」
「ですが……いえ、解りました」
「まぁ気持ちは分かる。俺も逆の立場なら文句を言っているだろう。だから、これは俺の我儘だと思ってくれていい」
「そんな……分かりました。参謀様がそう言われるのであれば、俺からは何もありません。失礼しました」
「構わん、そろそろ本題に入るぞ。まずは採掘量から確認する」
「はっ」
女性は深く下げていた頭を上げると、脇に置いていた鞄から報告資料を取り出して机に並べていった。
……
「おい、店員! 注文だ!」
静かに緊張感の漂っていた店内は、勢いよく引かれた扉の音と女性の声により再び慌ただしくなった。
「この本にあるものをあるだけ全部だ! ……は? あー、先に珈琲と紅茶。……あ”あ”っ!? もう何でもいいからさっさと持ってこいっ! 早くしろッ!」
女性は店員の言葉を半端に遮った後、厚みのあるメニュー本を付き返してピシャリと扉を閉める。
男は部下のそんな態度にもすっかり慣れているようで、特に気にした様子もなく水の入ったグラスを傾けてから提出された資料を鞄に仕舞い込んだ。彼としては、どちらかと言えば彼女の言葉遣いよりもその注文量の方が気になっていた。普段このように簡単な会議を行う際は互いに一品しか頼んでいなかったからだ。
「……そんなに食えるのか?」
「はい。店舗の面積から食料庫の大きさは予想できます。いつもは遠慮しておりましたが、今回は軍の予算から費用が出るとの話ですので、全て注文する事にしました」
「そうか……まぁ、好きに頼んでくれ」
彼女は勇者を敗走させ、更にそのパーティを全滅させた先の戦での功労者である。今後も同様に活躍してもらうためにも多くの褒美を与えてやるべきだと男は考えていたが、甘味処の会計ではどれだけ注文しても金額はたかが知れている。
他の者もそうだが、魔王軍の幹部達は皆やや無欲であるように思う。戦いばかりで感覚がズレてしまうのは仕方がないが、各地方のトップである彼女達くらいは贅沢な生活をして民を安心させて欲しいものだと男は常々思っていた。
……が、彼もその上司にしてみれば同じ穴の狢である。皆が皆、激戦の中でまともな神経を擦り減らしていた。
どこか浮ついた様子で尻尾を揺らしている部下の姿を眺めながら男が待っていると、机の隅に置いていた魔道具が淡く光りを放ち始める。それは意思伝達に特化した非常に特殊かつ貴重な通信器具であり、現状その能力を十全に発揮できる人材は他に見つかっていない。
扉に付いた覗き穴から外を見ると、男が率いてる情報部隊の隊員が立っていた。
「どうやら報告のようだ。開けるぞ」
「…………はい」
男の言葉に返事をした女性は、どこか気落ちした様子で眉と尻尾を下げる。
扉を開けると情報部隊の魔族は即座に跪き、緊急の報せである事を告げた。
「会議中に申し訳ありません。緊急の連絡です」
「……」
目線だけで相手を殺せそうな鋭い眼光を四天王が飛ばす中、情報部隊の魔族は落ち着いた様子を見せる。怒りで拳を震わせ、今にも吠えそうに牙を剝く火竜に焼かれるよりも、信頼する上司に無様を晒す方が耐え難い屈辱であるからだ。
「哨戒部隊より、敵城塞マーレ・カーネに動きがあると一報がありました。今は巡回を中止させ、部隊ごと限界距離で待機させています」
「そうか……ご苦労。部隊はそれでいい。マーレ・カーネ……動いたか。思っていたよりも早いな」
「俺が出ましょうか」
「いや、いい。前回の哨戒記録は二日前だ。すぐに大規模な軍が出て来る事はないだろう。砲撃があるならシィラに出てもらいたい所だが、お前達はまだ万全ではないからな。エルフか風の精霊にでも頭を下げに行くか……」
「……」
報告を受け、男は顎に手をやりながら思案する。赤髪の女性は荒れる心境を節々から垣間見せながらも、その思考を邪魔してはならないと情報部隊の魔族を威嚇する事のみに注力した。
やがて整理がついたか、魔王軍の参謀は顔を上げて二人の部下に考えを告げる。
「……一先ず魔王様にご報告する。ビアンラルド、お前も付いて来い。情報部隊の隊長として直接証言してもらう」
「はっ」
「………………は」
「半端な形になって悪いな。今日の事は後日時間をとってやり直そう」
「っ!? ……よ、よろしくお願い致します……?」
「ではな」
男が荷物を纏めて立ち上がると炎の四天王は絶望の表情を浮かべたが、後日埋め合わせをする事を伝えられると次は狼狽にも似た反応を示し、最後には平服した。
そんな部下の様子に申し訳なく思いつつも退店した男は、情報部隊の魔族を脇に抱えて膝を曲げ、魔王城へと跳ぶ。激しい衝撃が石畳と部下に加わるが、どちらも壊れずに形を保っていた。
「やっと仕事の目処がついた所でこれか……ままならんな」
「心中お察し致します」
抱えられた魔族は抵抗にならないよう体を絡ませると、上司を慮り悲痛な表情でその顔を見上げる。
風を切り、弾丸の速度で愚痴を溢す男の顔は、どこか少し老けて見えたという。
…………
……
参謀と情報隊員が去った店内。
一人甘味処に取り残された女性は、呆けた顔で延々と運ばれてくる料理を食べ尽くし、自費で会計をして自領へと帰っていった。
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