【次なる混沌】シィラ・ケイオス

「――そこで言ってやったのだ、『おぬしの角など飾る気にもならん』とな!」

「そこでトレントか」

「そこでトレントだ」


 話にオチがついた事で満足そうに頷き、空にしたグラスをテーブルに置いたのは銀の長髪と赤黒い角を持つ女性。見るからに上機嫌な笑顔を酩酊によって紅く染めている彼女は、少女然とした体躯を目一杯伸ばして次の酒瓶を手に取り、生み出した小さな黒渦にその先端を差し入れる。元より無かったかのように静かにトップを失ったボトルは、続けてグラスへと傾けられた。

 その隣で話を聞いているのは魔王軍の参謀。今は彼も普段の態度を崩し、どこか無遠慮な言葉遣いとなっていた。


「よし。じゃあもうお前への褒美は適当な角でいいか」

「たわけ。なにがよしだ。命を賭けた褒美が角て。おぬしはそれで嬉しいのか? ん?」

「ないよりはマシ……かもしれん」

「この大嘘つきめ」


 女性は言葉に反して柔らかく笑い、彼女の小さな体とは不釣り合いに落ち着いた魅力を感じさせる。

 そんな様子を尻目にして、男は苦い表情でグラスを見つめていた。


「お前が望む褒美は自分の像、だったか……羨ましい事だな」

「なんじゃ、唐突に湿っぽくなりおって」


 実質的に報酬が無くなってしまった事にすっかり見切りをつけていたつもりの参謀の男だったが、酒を飲み、気安く接する事ができる相手と話していると若干の未練が顔をもたげてくる。

 あの時――謁見の間で一言でも口を挟んで意思を伝えていれば、今頃自分も何か物品が貰えていただろうに、と思わずにはいられなかった。


 隣の男からぽつりと漏れ出た声を拾い、気分良く笑っていた女性は表情を一転させ、責めるようにじとりと目を細める。どこか陰気な空気を纏っている男に向き直り、気分を害されたお返しとばかりに溜息混じりにその肩を叩いた。


「おぬしの像なら魔王城に飾られておるではないか。われは最近開拓した領地に像が無いからそれを褒美として求めただけだぞ? 魔王軍の幹部として、末端にもキチンと威光を示さねばならんからな!」

「それは分かっている。……何でもいいんだ。像じゃなくても。作戦の褒美として、形に残るものを賜りたかったのが本音だ」

「あー……後で魔王様に口添えしてやろうか?」

「いや、あの時の魔王様の笑顔は何事にも代えがたい。近年はずっと気を張っておられたからな。元より悔いはない……」

「どっちなんじゃ……相変わらず魔王様が絡むとはっきりせん奴じゃなあ。そりゃあ確かに? 魔王様は同性のわれから見ても魅力的なお方ではあるが? ふむ……そうじゃ!」


 小柄な女性は唇に指を当てて悩むようにした後、何か面白い事を思いついたように口角を上げて椅子から立ち上がった。身を伸ばし、四肢を見せつけるように足先から角までを美しく揃えてポージングをする。

 その姿、まさに男を狂わせる魔性の女――とはいかず、せいぜい発育の良い子ども程度ものであった。


「ほれ、われも魔王様と同じ王の器たる混沌の一族じゃぞ? その持て余した情欲、われの魅力ある肢体で満足させるがよい!」

「魅力ある……肢体……?」

「は??? オイ、その反応は何じゃ?? 今日という今日はっ……このっ! 怒るぞっ!?」

「やめっ……すまんすまん、俺が悪かった!」


 気分を害したか、女性は男の背後に回って上着を引っ張る、という王の器たる混沌の一族に相応しい威厳のある対応を見せた。

 立場上、生地が傷めばその服はもう二度と着られない。下らない理由で世話人の仕事を増やす訳にもいかず、その地味な攻撃に男はたまらず白旗を上げる。

 謝罪を引き出せたことで多少は冷静になったか、女性は溜息を吐いてから椅子に座り直した。


「はあ…………飲み直すか。追加の酒を運ばせるぞ?」

「いや、悪いが今日はここまでだ。今ある分で最後にする」

「あーん? ……おぬし、最近何かあったか? 昔に比べて近頃付き合いが悪くなった気がするんだが?」


 聞き返して男に振り返った女性は、相手のどこか難しい表情を見ると眉をひそめ、暫く考えた後に前々から覚えていた違和感を口にした。

 指摘を受けた男はぴくりと眉を動かしたが、すぐに戻して誤魔化すようにグラスに口をつける。


「気のせいだろう」

「前の視察の時も飯を奢ってくれなかったよな? 情報部の連中を連れておったから上司として立ててやろうと思ったのに!」

「一人だけ昇進したからな。プレッシャーを感じる事もあるんだ」

「ふむー?」


 男が肩を竦めて説明すると、女性は理解したのかしなかったのか首を傾げる。元々深追いするつもりはなかったのか、彼女はグラスをちろりと舐めるとすぐに言及を取りやめた。


「まぁ、あまり問い詰めても仕方ないか。今日はそういう事にしといてやろう。おぬしも、急に前任の席が空いたのは大変じゃったろうし」

「今の立場も悪い事ばかりじゃない。お前達を顎で使えるしな」

「ハッ。それだけ言えれば十分じゃ」


 女性は男の冗談を受けて笑うと、勢いよく酒を呷ってグラスを空にする。

 残る酒瓶は開栓済みの物を合わせても三本だ。この二人で飲むにはあまりに心許ない数ではあるが、先ほど開けたボトルを掴んだ女性はその残量を気にした様子も無く自分のグラスへと豪快に注いだ。


「では酒がある内に次の話をするぞ! 次はウチの部隊にいるドライアドの話だ!」

「またトレントか……」

「阿呆め。まぁ黙って聞くがよい」


 一々茶々を入れてくる男を即座に制し、女性はテーブルに肘をつきつつ得意気に小話を始めた。


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