土の精霊

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


 別日。

 山奥に建つ小さな一軒家に、闇の眷属と精霊の姿があった。

 一人は魔族の男。仕事を詰め込んで早く終わらせ、少しでも休暇を取ろうと画策している魔王軍の参謀だ。


 もう一人は茶色の髪で片目を隠した少女。肉付きの良い褐色の肌を白い装束で隠し、無表情で自らの指先を凝視している。

 更にもう一人は茶色の髪で片目を隠した少女。肉付きの良い褐色の肌を白い装束で隠し、無表情で手を動かしている。

 更にもう一人は茶色の髪で片目を隠した少女。肉付きの良い褐色の肌を白い装束で隠し、無表情で男の反応を窺っている。

 更にもう一人は茶色の髪で片目を隠した少女。肉付きの良い褐色の肌を白い装束で隠し、無表情で腕に力を込めている。

 更にもう一人は茶色の髪で片目を隠した少女。肉付きの良い褐色の肌を白い装束で隠し、無表情で首を捻っている。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


 原初、世界を創造した神がいた。

 その神が愛したのは光の眷属であり、神に創造された世界そのものである精霊もまた、その本質は光の眷属に寄り添うことにある。今は闇の眷属に協力している土の精霊だが、その為にはある制約を背負う必要があった。


『感じる。闇の、力』『神から、仕組みから外れた歯車』『魔族の子、認識せよ。大地の、星の息吹を』『地脈の終点、ここが始点。私が輪廻』『肩、凝ってる。仕事、減らすべき』

「いや、同時に言われても理解が……いや、肩……肩か? これは筋肉だ」


 脳内に五つの声が響く。これは幻聴や妄想などではなく、現在気まぐれで五つに身体を増やしている土の精霊による念話のようなものだった。揉まれている肩、両腕、両足から直接脳内に思念が流し込まれている。低級魔族なら恐らく発狂しているだろう情報量に確かな熱を感じながら、魔族の男は椅子に背を預けたまま相手の言葉を訂正した。


 昨夜、魔王城近隣の森で見つかった土の精霊は、執務室に呼び出してから褒美を尋ねると妙な事を口にした。精霊として、闇の眷属に同調するために魔力を分けて欲しいという内容はいつも通りだったものの、今回はその手段としてマッサージを用いる事を申し出たのだ。

 魔力は直接触れ合う事でより効率よく伝達させられる。中でも精霊に対しては触れ合う面積が多いほど魔力の伝達効率が良くなるらしい(本人談)。これまでもこういった機会を設ける度に彼女は山のように大きくなったり部屋を埋め尽くすほど増えたりと実験的な行動を繰り返していた。此度の振る舞いもまた、より効率的な魔力の補給手段を探っての事なのだろう。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「ぅ……」


 触れられている場所から体内の魔力が吸い上げられていく。それが土の精霊を通して地脈を通り、闇の力が地上を染める。まるで自らの血潮が星を巡っているような錯覚に、男は目を閉じて酔いしれた。


「ふぅ。しかしこの……マッサージか? こういった事は一体どこで覚えてくるんだ?」

『星。数多の星に関わりを持つ』『思念体としてのみの時は既に終わりを迎えている』『私が私である事は、今や一つの事象となった』『闇の眷属と、その伝承。手段』『雑誌に書いてあった』

「……意外だな」


 精霊が読書をしている姿など全く想像ができない。男は遠慮がちに撫でられる肩にこそばゆさを覚えつつ、精霊が本屋に出入りしている姿を想像して難しい顔になった。


 精霊達はどこか観測者のような目線で世界を見ている。人間によって水の都に捕らえられていた水の精霊も、自分を捕らえた光の眷属の事でさえ特に興味を持っていない様子だった。星と共に存在してきた彼らにとって、光の眷属と闇の眷属の行いなど小さく興味の湧かないものなのだろう。長すぎる命と輪廻の中、一々記憶していてはキリがないのかもしれない。協力しているとは言うが、力を分け与えているだけなのだし。

 しかし、こと土の精霊に関しては文化と変化に興味を持つ傾向があった。なにせ本屋で雑誌を読んで情報を集めているのだ、世俗的であると言ってもいいかもしれない。へそを曲げられても困るので言わないが。


『我々は知る必要がある』『事象の究明は即ち神への叛逆。進め、魔族の子よ』『知る、欲求。上位の存在としての施し』『この身震わせるのは、思念ではなく心だというのか? 星が心を持つに至った要因である事を誇れ』『どう、気持ちいい?』


 肩を触っていた一人が、腕に体を押し付けるようにして男の顔を覗き込み問いかける。

 どこか自信のある表情から、本人的には満足のいく出来であるようだ。

 その様子を見て男は暫く考えた後、ゆっくりと頷いた。


「ああ、心地いい。…………が、施術という観点で見るなら鍛錬が必要だろうな……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……いや、心なしか体が軽くなったような気がする……」

『我々は星を司る者。そこには意図は介入しない』『鳴弦の地に落ちた躍動は、やがて永遠の命を持つに至る。注意せよ』『言魂は全てを傷つけうる。魔族の子よ、戯れは慎むべき』『戯れ言でも深く傷を負う事はある。知り、自覚せよ』『なら、いい』


 苦言付きで感想を述べるとショックを受けたように硬直してしまった彼女だったが、失敗を悟った男が焦ってフォローすると再び饒舌(?)になった。無理におだてるつもりはないが、多少は効果もあるのだから今の言葉は決して嘘ではない。わざわざ相手の気分を害することも無いだろう。

 そもそも今回は部下への褒美として来ているのだから、相手の気分を害してしまっては本末転倒である。部下のメンタルコントロールも上司の務め。今は甘んじてメリハリの無いマッサージを受けよう。

 強く揉むために本気を出されても困るのだ。男も肉体を鍛えてはいるが、星と競えるほどの質量は持っていない。もし今の状況で本気で揉むよう頼んだならば、潰れた果実のようにされて終わりである。


 やけに得意気になって体を触り始めた精霊に好きにさせてやりながら、男は脳内で次の予定を立て始めた。

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