似合わない女
増田朋美
似合わない女
似合わない女
今日は春というのに寒い日で、のんびりというわけにはいかない日であった。そういうわけで、みんな出かけずに家の中にいた。杉ちゃんは何をするのかというと、部屋の中で着物を縫っていた。着物を縫うとなると、結構時間がかかるもので、朝始めたとおもったら、まだ仮縫いも終わっていないのに、お昼の時間になってしまった。
「ああ、もうこんな時間か。残り物でも良いから、なんか食べるか。」
と、杉ちゃんが、冷蔵庫のある方へ移動を始めたその時。
「こんにちは。杉ちゃんいますか?」
と、ひとりの女性の声が聞こえてきた。
「何でしょうか?今手が離せないの。上がってきてくれる?それにどちら様なんですか?」
と、杉ちゃんがデカい声でいうと、
「あたしよ。浜島。杉ちゃんいるんでしょ。又着物を縫っていると思ったから、これ、持ってきた。差し入れよ。」
言いながらはいってきたのは浜島咲であった。彼女は、櫻の花の描かれた化繊の着物を身に着けて、右手にはケンタッキーの箱を持っていた。
「ああ、ありがとう。残りもんしかないと思っていたから、それでケンタッキーを貰えるとはラッキーだよ。」
と、杉ちゃんは、ケンタッキー・フライド・チキンの箱を眺めながら、そういった。
「じゃあ、杉ちゃん、あたしもここで食べていいかしら。これから家に帰ってひとりで食事するなんて、一寸面倒だもの。」
と、咲がいうと、杉ちゃんはお茶を入れようかといった。
「ああ、それも買ってきてあるわ。お茶というより、コーヒーだけど、それでも良ければ。」
咲は袋の中からコーヒーを取り出した。
「お、ありがとう。じゃあ頂きますよ。ありがとうね、わざわざ食べ物を持ってきてくれるなんてさ。それで、どういう魂胆なんだ?僕に食べ物を持ってくるなんて、何か理由があるよねえ?」
「さすが杉ちゃん。ありがとう。察してくれて。実は、今日、お箏教室で、着物についてこっぴどく叱られちゃったのよ。この着物かわいいなと思って、手に入れたのに、何処がいけなかったというのかしら?」
杉ちゃんにそういわれて、咲は辛口チキンにかぶりついた。
「はあ、そうか。着物についてこっぴどく叱られたのか。まあ、悪い点を挙げると、ひとつ、正絹ではないこと。次に、櫻という柄が縁起が悪いようにみえたんだろう。最近は少なくなっているが、椿とか、櫻とか、蝶の柄は、縁起が悪いとして毛嫌いする奴はいるからな。それは、仕方ないことだ。まあ、せっかく買ってくれたのはいいけど、仕方ないとして、ほかのことに使えばいいよ。ほかに、いいのなかったの?正絹の鮫小紋とか、色無地とか、そういうお稽古に向いているやつ。」
「そうなのねえ。あいにくだけど、色無地も鮫小紋も着る気にならないわよ。柄が何もないし、ただ点描で何かかいてあるだけじゃないの。それはつまらないでしょ。」
「まあねえはまじさん、その通りということもあるのだが、でも、お箏教室とか茶道教室とか、そういうものは、ちゃんとその教室に従わなきゃだめだよ。場合によっては、結婚してなくても、黒留袖を着用しなければならないこともあるんだぜ。確かに鮫小紋も、色無地もつまんないけどさ、銀行員の制服だと思ってさ、それで使い分けするといいんじゃないかな。」
咲がそういうと、杉ちゃんが言った。
「そうねえ。」
咲は一寸考えこむ。
「まあ、でもさ、叱ってくれるんだったらそれでいいじゃないか。叱ってくれないで、いつまでも部外者扱いされるよりいいだろ。叱ってくれるってことは、ちゃんと社中の一因として、見てくれてるってことだから。」
「そうね。そう考えることにするわ。杉ちゃん流石ね。そうやってなんでもいい方に考えてくれるなんて、杉ちゃんだけよ。」
杉ちゃんの発送に、咲ははあとため息をついた。
「まあ、みんなお前さんが悪いというだろうが、そんなこと気にしないでいいんだよ。お箏教室の着物なんて、呉服屋のいうことともずいぶん違うだろうし、混乱したって当たり前だ位に思っておきな。でも、苑子さんでよかったな。これが、家元の先生とか、くらいの高い人になったら、自分を冒涜しているとか、人を馬鹿にするなとか、そういうことを、平気でいうんだからな。」
「杉ちゃんは、偉いわね。そういう発想をしてくれるなんて、ほんと、嬉しいわ。みんなあんたが柔軟にならなければダメだとか、そういうことしか言わないから。ほんと良かった。これで安心してフライドチキンが食べられる。」
咲は又、辛口チキンにかぶりついた。
「あーおいしい!これがおいしく食べられるって幸せ。」
「そうだねえ。」
杉ちゃんは、ボケっとした表情で言った。
「どうしたの?杉ちゃん。」
と、咲が聞くと、
「いやあ、水穂さんはこういうの一度も食べたことないだろうなと思ってな。」
と、杉ちゃんは、一寸ため息をついた。
そのころ。水穂さんが暮らしている製鉄所では。
「水穂さんダイジョブですか。人の話しを聞くのはいいけれど、自分の体のことも考えなくちゃ。誰かのことを心配するのはいいけれど、それをしすぎるのは、やめましょうね。」
と、花村さんが、せき込んでいる水穂さんの背中をさすってやりながら、そういっていた。
「すみません。あたし、どうしてもわからないことがあったので、水穂さんに教えてもらったんです。」
と、ひとりの利用者が、小さくなってそういうことをいうのだった。
「そうしたら水穂さん、ピアノを開いて、教えてくれたりするから。あたしも、教えてもらうならしっかりやらなきゃと、つい夢中になって。」
この利用者はピアノを教室に通っていた。確か、支援学校に通っていたと思われるが、将来は音楽関係の出版社にでも就職したいという希望があった。なので、音楽学校の音楽理論科を受験する予定だったのである。
「大丈夫ですよ。出すものは出してくれましたから。ほら、水穂さんしっかり。」
花村さんがそう言いながら、水穂さんの口もとをチリ紙でふき取った。チリ紙は真っ赤に染まっていた。
「あたしが夢中になりすぎたせいで、水穂さんをこんな目にあわせてしまって申しわけありませんでした。花村先生が駆けつけてくれなかったら、水穂さんどうなっていたか、分かりませんよね。レッスンしてもらっていたら、急に苦しみ始めちゃって。あたしはただ、この記号の意味さえ聞けば良かったんですけど。」
と、利用者は、楽譜に書かれているドイツ語の指示を指で示した。
「まあ、どちらも悪いわけではないですから、犯人捜しはやめましょうね。それよりも、水穂さんの薬をとって。」
花村先生に言われて利用者は、枕元に在った吸い飲みを取って、花村さんに渡した。花村さんが水穂さんに渡すと、水穂さんは急いで中身を飲み込んだ。
「本当にごめんなさい。水穂さんを大変な事にしてしまいまして。」
と、利用者は申し訳なさそうに言った。花村さんは、水穂さんに布団に寝るように言った。水穂さんがそうすると、花村さんは急いでかけ布団をかけてやった。まもなく、薬の副作用で水穂さんは眠ってしまうのであった。
「大丈夫ですよ。眠ってくれれば、倒れるということはありませんから。あなたも自分ばかりを責めることはやめてくださいね。事実はただあるだけの事だということを忘れないでください。」
と、花村さんは、彼女にそういった。
「本当は、水穂さんのほうも、もう少しご飯を食べてくれれば良いと思うんですけどね。こんな風に、一寸したことで、倒れるなんてことをやらかされちゃ、私たちもたまりませんよ。ご飯を食べてくれれば、もうちょっと体力がつくと思うんですけどね。肉魚を食せないとしても、ほかに体力を就けれれる食品はいろいろありますよ。」
「そうですね。確かにそう思います。最近、食べたのは切干大根だけですもの。ご飯も何も手をつけていませんでした。」
利用者は、小さい声で言った。
「まあ仕方ありません。私たちも、根気よくやりましょう。こちらも何とかして食欲を出して貰うように、工夫しなければなりませんね。」
花村さんは、利用者に優しい口調で言った。
「大丈夫ですよ。もう終わったことですから、いつも通りの生活をしてください。宿題だってあるのではないですか?明日は、学校でしょう。したくをしないと。学生は、学業に打ち込まなきゃ。」
「はい、すみません。花村先生。本当に私、失礼なことをしました。」
と、彼女は、苦笑いをしながら、花村さんに丁寧に礼を言って、自室へ戻っていった。多分宿題をやりに行ったのであろうが、その宿題はまた別の意味になる事だろう。
「おーい、いるかい。一寸相談に乗ってもらいたいっていうんだけど。」
不意に製鉄所のインターフォンのない玄関から、そんな声が聞こえてきた。
「ああ、杉ちゃん。どうしたんですか?」
と、花村さんは、そう返答すると、杉ちゃんと咲が部屋にはいってきた。杉ちゃんというひとは、お邪魔しますも何も言わないまま、どんどん上がり込んでしまう癖がある。
「あら、花村先生!」
咲は花村さんを見て、思わず言ってしまった。
「ああ、こんにちは。浜島さん、今日はお稽古だったんですか?一般的に着物を着る時というのは、習い事をするときに限定されてしまいますからね。普段着として着る人は、ほんの少数ですよ。」
と、花村さんがいうと、
「はい。まさしく今日はお稽古でした。」
咲はそれだけ言った。
「で、どう?水穂さんは。眠っているところを見ると、又倒れたな?」
杉ちゃんにそういわれて、花村さんは、
「ええそうですね。先ほどまで、利用者さんと、ピアノレッスンをしていました。でも、疲れてしまったことが、どうしても言えなかったみたいで。」
と答えた。杉ちゃんも咲も之にはあきれて、
「そうですか。右城君、もうちょっと、自分の体のことを考えて。時には断ることも必要なのよ。」
「ほんとだほんどだ。」
と、ため息をついて言った。
「それで、相談って何ですか?水穂さん御覧の通り、眠ってしまいましたから、私が代わりに聞きますよ。」
と、花村さんが言った。咲は一寸たじろぐが、杉ちゃんはこれはいいぞと言って、言っちまえと咲に言った。
「そうね。花村先生がいらっしゃるなら、もしかしたらまた違うかもしれないわね。それじゃあ、聞いてみますけど、花村先生は、私が着ているような着物を見て、お叱りになりますか?私、お箏教室で仕事をしているんですけど、いつも、着物の事で叱られるんですよ。私は、悪気をしているつもりはないのに、なぜか全部ダメダメで、認めて貰えないんですね。」
杉ちゃんに促されて咲はそういうことを言ってみる。花村さんがどういう返答をするか、咲は一寸緊張してしまった。
「ええ。それは、もう時代の流れですから、私は気にしません。リサイクル着物があるからと言われても、その存在を知っている人も少数ですし、着物というと浜島さんが着ているようなものしか入手できないとおもっている方の方が多いはずです。」
と、花村さんはあっさりと彼女の着物を見て言った。咲は腰が抜けてしまう。だって、さんざん、お箏教室で叱られてきたばかりなのに。
「で、でも、花村先生は、家元を名乗っているくらいなんでしょう?」
咲が思わず言うと、
「ええ、そうかもしれませんが、もしすべての人間が正絹の着物を要求されたなら、誰も私の教室には来ないことでしょう。そうなっては困りますから、私は化繊の着物でも良いことにしています。」
と、花村さんは答えた。
「まあでも、社中によりけりだと思いますよ。まだ、社中によっては、伝統を守りたいと思われる社中もある事にはありますからね。それは仕方ないことでもありますよね。まあ、今の日本は、伝統を守りたい人と、そうでない人と、完全に分離してしまって、その間にはいるものがないと言うのが問題なのかもしれないけど。浜島さんのお箏教室は、前者の方なんですね。それならリサイクルで正絹の着物を入手するようにすれば良いと思いますよ。確かに、先生に叱られたのは、嫌な気持ちになりますけど、現代社会では、それを補える物もちゃんとあるという事もはっきりしていますから、大丈夫です。」
「花村さん偉いねえ。そうやって、臨機応変に行動できるんだから。僕はすごいと思う。」
と、杉ちゃんがデカい声でそういうことを言うが、花村さんはそっと指を口に当てた。
「あ、そうか、寝てますね。」
杉ちゃんが言うと、
「でも、右城君のように変えようにも変えられない人もいるのよね。さっきの花村先生の話し、すべての人がそうなれるというわけじゃないわ。なんか右城君が、薬で眠っちゃうと、あたし、かわいそうにみえるわ。」
と、咲は小さい声で言った。
「まあ確かにそうだけど、いいじゃないかよ。今回ははまじさんの相談だったんだから。水穂さんの相談というわけではないんだし。」
杉ちゃんがそういうと、
「右城君、あたしが買った鮫小紋着てくれているかな?」
と咲は聞いた。
「いや、どうだろうね。多分着てないと思うよ。水穂さんにとって、銘仙以外の着物を着るのは、大変な事だもん。それを着ていると、ばれるのが怖くて、とても落ち着かないと言っていたよ。」
と、杉ちゃんが簡単に言ってしまうが、咲ははあとため息をついた。
「せめて、同和地区のことは、もう気にしないで生きてくれたらいいんだけどなあ?」
と、咲が言った。
「いやあ、それは無理だねえ。日本の歴史が変わらないと、同和問題はどうにもならんな。水穂さんの場合は、無理やりいかされてきた歴史って感じがする。」
「そうですね。ある意味水穂さんのような人が、犠牲になってくれたから、私たちが発展して行けるということになるのでしょうか。」
杉ちゃんと花村さんが相次いでそういうのだった。水穂さんの方は、いつまでも眠り続けている。
「せめて、ケンタッキーを食べられるように頑張ってくれ。」
と、杉ちゃんは水穂さんに言った。
似合わない女 増田朋美 @masubuchi4996
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