第3話 涼真の章 その3
それから私は美紅様にお仕えすることとなった。
朝も昼も夜も・・・・・・と言いたいところだが、美紅様はまだ学生であられたから、昼間は留守を守ることが私の仕事だ。
美紅様の家には、美紅様の父君、母君、弟君がおられた。皆、まだ若輩だった私に優しく、時に厳しく接してくださり、ありがたく思っていたが、私は美紅様とともに過ごす時間が何よりも大切だった。
「ただいま!」と元気に制服姿のまま私のところに駆け寄ってくださる美紅様のお姿を見るだけで、何とも言えない幸福な気持ちに包まれる。
そして、我々は日課である散策に共に出掛ける。散策の道中、美紅様をお守りするのが私の使命だ。時々、色んな方が声を掛けてこられる。小さな子供のこともあれば、不埒な輩のこともあり、そんなときは私が美紅様の前に出て、輩を追い払った。
「もう、涼真ったら、あんまり怒っちゃダメよ」と美紅様にいさめられ、しゅんとなることもあったが、美紅様とともに歩く道は美しかった。
ひらひらとたなびく四季折々の花や葉。頬を気持ちよく撫でる風。あちこちから香る食事の匂い。美紅様と一緒に、日々の移ろいをその身に感じた。ああ。世界はなんと美しいことか。
学校で楽しかったこと、つらかったこと、腹が立ったこと、嬉しかったこと。
歩きながら、美紅様は全て私に聞かせてくださった。時々、歩みを止め、目から雫が落ちることもあった。
そんなとき私は、ただ傍らに寄り沿うことしかできなかった。ただ黙って美紅様のそばに居続けた。
「ありがとう。涼真は優しいね」
美紅様はそう言って、子供にするかのように私の頭を撫でられたので、私はそれがちょっぴり嫌だったけれど、それでお気が済むなら、とされるがままになっていた。
そうして幾年が過ぎただろうか。
ある日、私はいつものごとく美紅様と一緒にお出掛けすることになった。タクシーと呼ばれる車に共に乗り込んだが、私はどうもこの車が苦手だ。これに乗るときは大抵・・・・・・いやいや。思い出したくもない。
しかし、主たる美紅様のご命令とあればやむなし。
私は渋々、美紅様の隣に座らせていただいた。
美紅様は窓を開け、わあ、風が涼しい、ねえ涼真、すっかり秋よ、と楽しんでらっしゃる。うむ。私のことなぞどうでもよい。美紅様が楽しければそれでよいのだ。
「うわ、なんだ、あの車、危ないな。お客様、シートベルトをしてくださいね」
運転手が声を上げる。
なんだ、と前方を覗き込むと、我々の前の方を走っている車が何やらふらついている。
涼真、と小さく声を出しながら美紅様が私をぎゅっと抱き締めた。み、美紅様、またそのような振る舞いをなさって--私が美紅様から離れようとしたその瞬間--
世界が暗転した。
・・・・・・なんだ。何が起こった。美紅様は、美紅様は!
何という不覚。私は気を失っていたらしい。慌てて身を起こし、隣にいたはずの美紅様を見るとそこには--額から血を流し、倒れている美紅様が、いた。
美紅様!
私は思わず大声を上げ、美紅様を揺り起こした。
「う・・・・・・あ・・・・・・」
美紅様が苦しげな声を上げる。
「りょ・・・・・・ま・・・・・・あぶない・・・・・・にげて・・・・・・」
何を仰せられます!美紅様を置いていけるわけがございませんでしょう!
そのとき、私は、はっと気付いた。美紅様がこれだけの怪我を負われているというのに、なぜ私は怪我一つしていない。なぜ無傷だ。まさか、まさか--
世界が暗転するその瞬間のことを思い出した。
ギギーッという耳障りな音。悲鳴を上げる運転手。揺れる車内。そして--私に覆い被さる温かいもの--美紅様。
なんということだ。なんということだ。美紅様。なぜです。なぜ私をかばわれた。本来、私こそが美紅様をお守りするべき立場だった。なのになぜ私は動けなかった。どうして美紅様を助けなかった。
なぜ--
一瞬、頭の中が真っ白になったが、今はそんなことを言っている場合ではない。美紅様をお助けせねば。
見れば、美紅様は何かに挟まって身動きがとれないようだ。引っ張りださなければ。
私は懸命に美紅様の袖を引っ張ったが、びくともしなかった。
なぜ、私はこんなにも非力なのか。
焦る気持ちばかりが溢れていく。
「りょ・・・・・・ま・・・・・・いいから。行きなさい」
血を流しながら美紅様がそう言う。何をばかなことを。美紅様をこのままになどしておけません!
「いいから! これは命令よ!」
ビクッっと我が身がすくむ。命令。我々一族は、主の命令には逆らえない。その身に深く刻まれた宿命だ。
分かりました、美紅様。必ず、必ず美紅様を助けてくださる方をお探ししてまいります。だから、だからお待ちください。
私は駆け出した。誰か。誰か、誰でもいい。美紅様を助けてくれ、誰か!
しかし--急に走り出したせいだろうか。少しずつ息が上がり、そして私は--
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