第2話 奈津子の章 その2

 そうこうしているうちに、麻里香との縁は付かず離れず、ずるずる今日まで続いた。今回も、結婚式の司会なんて無茶な「お願い」をされてしまって、結局断れなかった。人前で私が上手く司会なんてできるわけないのに。どうしてプロに頼まないんだろう。ううん、他にももっと上手くできる人がいるだろうに、どうして私なんだろう。

 そう尋ねると、麻里香はあっけらかんと「だって、中学のときからの親友でしょ」と笑いながら言った。まただ。また、「親友」。麻里香にとって都合よく自分の言うことを聞いてくれる存在が親友なんだ。

 続けて麻里香はこう言った。「中学のときからの親友が司会をしてくれるなんて、素敵じゃない。みんなすごいって言ってくれるわ」


 麻里香に悪気はないようだった。本当にそう思っているんだろう。けれどその一言で私の中のなにかが音を立てて壊れた気がした。

 麻里香は私の都合より、周りからすごいと思われることの方が大事なんだわ。

 要するに、「中学校のときからの親友が結婚式で司会をしてくれる」というシチュエーションがほしいだけなんだろう。

 何が「素敵」だ。何が「親友」だ。あんたと親友になった覚えなんかない。ただ仕方なく付き合ってきただけ、都合よく使われるだけの存在。それなのに。私はあんたの見栄や思い出作りのための道具じゃないのよ。


 だから私は決めた。結婚式の司会を最後に、麻里香とは本当に縁を切ろう。あの頃、学生の頃とは違う。もう社会人なんだもの。友達は麻里香だけじゃない。私が麻里香ともめたって、縁を切ったって、誰も私をとがめない。ううん、そもそも都合よく扱われるだけの関係なんて友達なんかじゃない。ただのくされ縁でここまできてしまったけれど、今度という今度は、もうおしまい。

 結婚というお祝い事に水を差すことだけはやめよう。上手くできるかどうかは分からないけれど、麻里香、あんたの言う「素敵な」思い出作りに乗ってあげる。でも、それが最後。麻里香の結婚式が終わったら、引っ越しして連絡先も全部変えてしまおう。


 麻里香との付き合いはあと少しの辛抱、そう思って、ここ数か月、結婚式の準備を進めてきたけれど、麻里香ときたら、「奈津子に任せるわ」というか、ぼんやりして考え事をしているかで、全く進まない。任せるわ、と言われてもこっちは全くの素人、スピーチの順番や祝辞の紹介、お色直しの順番、そういったことを一から決められるわけもない。仕方なく私は、自分から式場の担当者と打ち合わせをして、スピーチを頼む人に連絡を取って、とせっかくの休日は全部麻里香の式の準備で潰れていた。

 それなのに、私が考えた段取りを麻里香に説明しても、「えー、この人のスピーチはお色直しの後がいいわ」だの、「ここでもう少し感動的に盛り上げてくれない? ほら、私と奈津子の思い出話を入れるとか」だの、好き勝手なことばかり。私に任せるんじゃなかったの、と言っても、「だって、この方がいいじゃない」と笑って言われたときには、本当に全て投げ出してしまおうか、と思った。


 でも、ようやっと終わり。司会進行の準備は全て終わった。式まであと3日。私はもうヘトヘトだったけれど、最後の打ち合わせのため、今日は麻里香の家に来ていた。


「――それでね、ここで郁人さんからご挨拶をしていただいて、最後よ。これでいいでしょう」私が念押ししても麻里香から返事はない。まただ。また、考え事? どうせ、自分のウェディングドレス姿でも想像してうっとりしているんでしょ。

「麻里香? 」

 私は苛立ってしまって、麻里香にもう一度、今度は大きい声で話し掛けた。

 麻里香は、ハッとした顔をして、私の方を見た。

「もう、しっかりしてよね。これが本当に最後の打ち合わせなのよ。これでいいわね」

私がそう言うと、麻里香は、「う、うん。ありがとう」と答えたけれど、どこか目の焦点が合っていなかった。

 ――? 何か、変だわ。

そういえば、今日の麻里香は外見もどこか変だ。いつもはしっかりとメイクをし、髪もくるくると巻いてセットしているのに、今日は珍しくすっぴんに近い顔で髪もなんだか乱れている。

 どうしたのかしら、さすがに麻里香も疲れているのかしらね。


 どこか変だ、と思ったけれど、私はとにかく麻里香に付き合うのはあと少し、早く終わってしまいたい、そういう気持ちでいっぱいで、打ち合わせを終えてしまいたかった。だから、麻里香がぼんやりしているのをいいことに、進行プランの最終稿を麻里香に半ば押し付けるようにして、「じゃあ、これでやらせてもらうわね」と言って、立ち上がった。

 やれやれ。これでやっと帰れるわ。午後から有休を取ってまで来たのに、麻里香ったら何なのかしら。お礼の一言もないんだもの。

 

 そう思うと、何だかムカムカしてきてしまった。見送りにも来ないのね。

 私は玄関で靴を履きながら、心の中で毒づいた。ふと、玄関のポーチに置いてある、麻里香が「お気に入りなの」と言って私に見せびらかしたスウェードの靴が私の目に留まった。

 そのとき、私には、何かが憑いていたのかもしれない。自然とその靴に私の手が伸びた。私はバッグの中からキーケースを取り出して、鍵を掴み、思いっきり靴先を鍵で引っ掻いた。きれいなスウェードに、3センチくらいの傷がついた。


 ざまあみろ。


 そう思った後、私は我に帰った。いやだ、私、なんてことしたんだろう。物に当たるなんて。この靴、海外の有名なブランドで、十万円以上はしたはず。


 私は自分のしたことが急に怖くなって、慌ててスウェードの靴を下駄箱の中に突っ込み、早々に麻里香の家を後にした。どうか、どうか私の仕業だとばれませんように。


 

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