第2話 奈津子の章 その1
「麻里香、麻里香ってば! ねえ、聞いてるの? お式まであと1か月しかないんでしょ、早く決めちゃわないと、間に合わなくなるじゃない」
私の声に、ぼんやりしていた麻里香は、ようやく我に返ったようだった。
全くもう。忙しい中、こうして時間を割いているっていうのに、麻里香ってば、さっきからぼんやりして考えごとをしてばかり。結婚式まで後少ししかないっていうのに、これじゃ今日もどこまで決まるか、分かりゃしない。
私、萩野奈津子と松下麻里香の付き合いは、かれこれ10年以上になる。
最初の出会いは、中学校のときだった。それまで麻里香は、クラスの中心グループにいて、私はといえば、どちらかというと地味で大人しい、「その他大勢」の中の一人だった。麻里香はいつもにこにこ笑っていて、おしゃべり好きで、明るい子だな、と思っていた。
朝会えば、お互いに「おはよう」と言い、帰るときには「バイバイ」「またね」と挨拶ぐらいは交わす、そんな程度の関係でしかなかった。
そんな関係が一変したのは、中学2年の、秋の頃だったろうか。
「おはよう。ね、昨日のMスタ、見た? 」と突然、本当に突然に、麻里香は私たちのグループに話し掛けてきたのだ。それまでおしゃべりに興じていた私たちは驚き、戸惑い、お互いに顔を見合わせあった。
けれど、同時に私たちには、その理由が分かった。
1週間前くらいからだろうか、麻里香はそれまでいたグループから急に無視されるようになっていた。いつも教室の真ん中で固まって、楽しそうな笑い声を上げていた麻里香は、それ以来ずっと休み時間の間、ぽつん、と一人で机に座って過ごすようになっていた。そして、そんな麻里香を見て、ついこの間まで「友達」だったはずの女子たちが、クスクスと笑って見ていた。
私たち、「その他大勢」のグループは皆、怖っ、と思いながらも、自分たちには関係ないことだし、と静観していた。
噂では、何人かの男子が麻里香に告白して、その中に麻里香と仲が良かったグループのうちの一人の子が好きだった男子がいたようだ。それで、麻里香に「大して可愛くもないのに、いい気になって」「男子に愛想ばっかり振り撒いて」と、彼女たちがキレたらしい。
そんな噂を聞いて、私は、なるほどなーと思っていた。当時の麻里香は、いつもにこにこしていた。女子にも男子にも。
中学になると、男子とはどこか距離が空いてぎこちなくなって、妙に意識してしまって上手く話せなかったり、逆にわざとお互いに乱暴な口をきいたり、そんな女子が多い中、麻里香はどの男子にもにこにこ愛想よく振る舞っていた。そんな麻里香が男子からモテてもおかしくないし、内心、それを面白くない、と思っている女子がいてもおかしくなかった。同じグループの子が好きな男子から告白された、というのが最後のスイッチを押したんだろうな、と私は思っていた。
そうして一人ぼっちになった麻里香が、それまで麻里香にとって「その他大勢」だった私たちのグループに話し掛けてきたのは、一人でいるのが嫌になったからなんだろう、と私も他の子たちも思った。
私は、なんだかなあ、と思った。それまで挨拶くらいしか交わしてなかったのに、一人が嫌だからって、急ににこにこ愛想よく話し掛けてこられても、という気持ちになった。けれど、教室の中でたった一人でずっと過ごすなんて、私でも嫌だし、麻里香の気持ちは分かったから、私たちは麻里香を受け入れることにした。そして、そこから私と麻里香の長い付き合いが始まってしまった。
麻里香と一緒にいるのは意外にも楽しかった。それまでクラスの中心にいた、どちらかといえば派手な印象がある麻里香だったけれど、私たちのグループに入ってからも麻里香はスタンスを変えなかった。いつもにこにこ愛想よく、女子にも男子にも(自分を無視するようになった元のグループの子たちはさすがに麻里香も無視していたけれど)。そして、時々男子に呼び出されていた。告白されていたらしい。それを見て、元のグループの子たちは相変わらずひそひそと麻里香の方を見て何か言っていたけれども、麻里香はもう気にしていないようだった。
麻里香はグループの中でも特に私を気に入ったようで、どこに行くにも私を誘った。「奈津子、奈津子」と親しげに声を掛けてきた。私は外に出て遊ぶよりも家にいて本でも読んでのんびり過ごしたい方だったから、麻里香の誘いは、正直言えばおっくうだったけれど、自分ににこにこ笑い掛けて誘ってこられるのを無下にもできなくて、何回かに一回は付き合った。麻里香は私のどこが気に入ったんだろう、そう不思議に思っていた。
中学3年になってクラス替えがあったけれど、私と麻里香は偶然、また同じクラスになった。グループの他の子たちとはクラスが別々になってしまって、自然と麻里香と一緒にいる時間が増えた。やがて進路を決めるとき、麻里香は私に、同じ女子高に行こう、あそこなら付属大学があるし、そうしたらずっと一緒にいられる、楽しいよ、と誘ってきた。
「ずっと一緒」これから先も麻里香と? そんな、トイレに付き合うのとはわけが違うんだから。
麻里香と仲良くしてはいたけれど、明るくて社交的な麻里香とは根本的な部分で相性が合わないな、と感じていた私は、麻里香の誘いに乗り気にはなれなかった。なれなかったけれど、その女子高の偏差値は私の成績とちょうど合っていたし、校風も良さそうで、なにより成績に問題がなければ、そのまま付属大学に進めるというのは魅力的だった。むしろ、どうして麻里香がその高校を選んだんだろう、と疑問に思った。男子がいないのに?
私はもう、その頃には麻里香が求めているものに気付いていた。麻里香は女子にも男子にも愛想がいいが、特に男子に愛想よくするのは、男子からちやほやされるのが好きだからだ。麻里香が男子に告白されたとき、一度聞いてみたことがある。
「ねえ、どうして誰とも付き合わないの? せっかくなんだし、付き合ってみたら? 」
そのとき、麻里香はこう言ったのだ。
「誰とも付き合う気はないの。だって、他の男子がかわいそうでしょう? 」
その答えに、私はポカン、となった。何を言っているんだろう。他の男子がかわいそう? なんで? 私には、麻里香の言っていることの意味が分からなかった。
ただ、麻里香はどうやら男の子にモテることそのものが好きなんだな、と思った。
どちらかといえば、私は麻里香のわがままに付き合わされる方に、少しずつ閉口していった。麻里香が頼みごとをするときは、両手を合わせて「ね、お願い」とにっこり笑って小首をかしげる。男の子ならそんな仕草をかわいい、と思うのかもしれないけれど、私はげんなりしていた。それでも、嫌だ、とつっぱねることができなくて結局私は聞き入れてしまう。我ながら、自分の気弱さが嫌になる。
一番嫌だったのは高校の頃、麻里香がクラブ通いを覚えて、一時期私とはあまり交流がなくなっていたとき。内心、私はほっとしていた。やれやれ、これで麻里香から離れられる、そう思っていた。
高校に入学してから、私と麻里香はクラスが離れ、時々放課後に一緒に帰ることもあったり、休み時間に廊下で会ったときに少しおしゃべりしたりしていたけれど、それくらいしか付き合う機会はなくなっていた。なのに、ある日突然、麻里香はいつものように両手を合わせて笑いながら、「ねえ、お願い。ママにクラブ通いしすぎだって怒られちゃったの。今日は奈津子の家で勉強してるってことにしてくれない? 」と頼まれたのだ。
さすがに、そんなのいや、と言ったが、麻里香は「お願い、奈津子に迷惑掛けないから。奈津子の名前を出せば、ママは安心するのよ」とごり押しされてしまった。ねえ、親友でしょ、と言われたときには思わず麻里香をひっぱたこうかと思った。何が親友よ、都合のいいときだけ利用して。そう言いたかった。けれど、そうは言えなかった。余計な波風を立てたくない、そう思ってしまった。だから、誰が悪いのかというと自分自身が悪いのだ。
中学のとき、麻里香がグループに入ろうとしたときに、同情なんてしないで素っ気なく対応していれば。女子高に誘われたときに断っていれば。こんな面倒な関係、いつまでも続けなくてすんだのに。
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