第2話 麻里香の物語 麻里香の章 その1
ここは、本屋さんなのかしら。誰かいるかしら。帰り道を教えてもらわないと。
早く早く帰らなきゃ。だって私、もうすぐ――。
麻里香は焦りと不安でいっぱいになりながら、その小さなコテージのような本屋の扉をそっと開けた。
カラン、カラン。扉に付いたベルが軽やかに鳴る。
麻里香は、誰かいないか、ときょろきょろしながら、扉の中に入った。
すると、そこには、四方の壁一面に作り付けられた本棚と、その本棚に並べられた本、本、本の山。
――すごいわ。何これ、全部、本なの。
麻里香は呆然と本棚を見つめた。しかし、すぐに麻里香は違和感を覚えた。
?この本棚の本、全部同じに見えるわ。全部青い色の本。あ、ここも、ここも。シリーズものの本なのかしら。でも、背表紙にタイトルが付いていない――。
麻里香が不思議に思って本を見てみようと手を棚に伸ばしかけたそのとき、
「いらっしゃいませ、お客様」
と、突然背後から声を掛けられた。
「きゃあっ」
麻里香は思わず悲鳴を上げ、後ろを振り向くと、そこには――何とも奇妙な格好をした男が立っていた。
な、何、この人?日本人?赤い髪だけど、地毛?染めてるの?それに何だってまた緑色のスーツにピンクの蝶ネクタイ?・・・・・・言っちゃ悪いけど、センス、最悪。
麻里香は身の危険を感じた。いやだ、いくら道に迷ったからって、こんな変な人がいる店になんか入るんじゃなかった。何かされたら、どうしよう――。
麻里香がそう思った瞬間、目の前の奇妙な男は、くしゃっと顔を歪ませ、とても悲しそうな顔をした。そのタイミングがあまりにもよかったので、麻里香はぎょっとした。
え、やだ、まるで私の思ったことが伝わったみたい。そんなまさかね。
とにかく、ここはこの男を刺激しないように、丁重に店を出よう。
そう、そして、それから――あれ?私、どこへ行こうとしていたんだっけ?確か、急いでいたはず。急がないと――に間に合わない。
?何に間に合わないのかしら。
「い、痛いっ」
麻里香は、急に痛みを覚えて、その場に座り込んだ。
いやだ、何だろう、頭が痛い。どうして、私、急いでいるのに――。
「大丈夫ですか、お客様。よろしければ、こちらにお掛けください」
赤毛の奇妙な男が指差す方を見ると、そこには柔らかそうな革張りのソファがあった。
――あれ? あんなところにソファなんて、あった?確か、壁一面全部本棚で、でも、それ以外は何もなかったはず――
そう思った麻里香だったが、頭の痛みがひどく、床に座り込んだままの状態でいるのはつらくて、よろよろとふらつきながら、男が示すソファに移動し、そこに腰掛けた。
うわあ。ふかふか、なんて気持ちいいのかしら。このソファ、かなりいい品みたいね。
麻里香は腰掛けたソファのあまりの気持ちよさにうっとりし、背もたれに思いきり体を預けた。
ふう。少し頭痛が治まってきたわ。
「お客様、頭痛はよくなりました? 」
と、奇妙な男が心配そうに尋ねる。
「ええ、このソファ、いい気持ちね、おかげで少し良くなって――」
あら? 私、頭が痛いってこの人に言ったかしら?さっきのことといい、なんだかこの人には思っていることが伝わっているような――。
気のせいね、だって、頭を押さえて痛いって言ったんだもの、そりゃあ、誰だって頭痛だと分かるわ。
麻里香は自分の妄想に近い思い付きに、思わずふふっ、っと笑ってしまった。
「ああ、よかった、それでは早速、あなた様の本をさがしますね! 」
と奇妙な男はくるくると踊るかのように回りながら、本棚から本棚へ移動する。
ほ、本?何を言っているのかしら、この人? ソファが高級品そうだったから、この人はお金持ちなのかしら、とちょっと心が動いたけれど、やっぱり変だわ、この人。
麻里香は、男がくるくる回っている隙にそっとソファから立ち上がり、扉の方に動こうとしたが、そんな麻里香の前を塞ぐように、急に男が目の前に手を伸ばし、
「ありましたよ、お客様! あなたの本! 」
と言いながら、一冊の本を差し出した。
「あの、私、急いでいるんです、本がほしいわけじゃありません」
そう言って、麻里香は男の手を本ごと振り払おうとした。
「お急ぎ? どちらに行かれるんです? 」
「それは――ええっと――」
ズキン。まただ。また、頭が痛い。思い出そうとすると、頭が痛くなる。
でも、こんなところにいつまでも居られやしない、だって――に間に合わない――
ああ、どうして。どうして、思い出せないの。
麻里香が苛立っていると、奇妙な男はもう一度本を目の前に差し出してきた。
「だから、本なんていらないって、そう言って――」
!?
その青い革でできた本の表紙には、銀色の文字で「松下麻里香」と、麻里香の名前が書いてあった。
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