第1話 昭吾の章 その4にして終章

「おい、おい、あんた、しっかりしろ! 今、救急車が来るからな! 」

耳元で聞こえる声に、昭吾はゆっくりと目を開いた。

「聞こえるか、大丈夫だ、助かる、絶対に助かるからな! 」

「そうよ、しっかり! 大丈夫だから」

大勢の見知らぬ人の声が昭吾に聞こえる。

あれ・・・・・・俺、どうしたんだ?ああ、そうか、俺、車に跳ねられて――。

ピーポー、ピーポー、ピーポー。

遠くから聞こえるサイレンの音が段々と近付いてくるのを感じながら、昭吾はもう一度目を閉じた。


「よお、瀬上、怪我の具合はどうだ」

相変わらず大きな声が病室に響く。しかし、昭吾は不思議と、山岸のその大声が嫌ではなかった。どうしたんだろう。前はうるさいな、と思っていたのに。

最初に目が覚めたときもそうだった。大きい岩のような影が自分に覆い被さっている、そう思うと、次に、

「瀬上、瀬上、目が覚めたのか! 良かった、良かったあああー!!!」と鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらい大声で泣き叫ぶ声を聞いて、思わず、

「せ・・・・・・ん、ぱ、い、うるさいです・・・・・・・」

と言ってしまったが、山岸はそれを聞いて怒ることなく、また、わんわんと泣き始めた。

それを見て、昭吾は、なんか泣いた赤鬼ってこんな感じかな、と昔読んだ童話を思い出した。

それから、山岸は、度々昭吾の見舞いに来てくれた。

昭吾が起き上がれるようになったときに、山岸は茶封筒から書類を取り出して見せてくれた。

「先輩、これ――」

それは、事故に遭う前に昭吾が途中まで作っていた資料が、より完全に仕上がった形で、しかも前年度までの他商品との比較の資料と一緒に、薄い冊子になったものだった。

「すごいだろ、お前と俺のコラボだぞ。会議には間に合わなかったけどな、その後の販促会で配ったんだ」

昭吾はぱらぱらと冊子をめくった。最後には新商品のターゲット層である10代後半から20代前半までのいわゆる若い世代に向けたメッセージが書いてあった。

「本当は、ここ、お前に書いてほしかったんだ。俺が書くと、どうもおっさんくさくてさ」

と鬼瓦のような厳つい顔がニカっと笑う。

「しょうがないですよ、先輩、もう三十路じゃないですか」

と昭吾が憎まれ口をたたくと、

「お前、俺はまだ29歳だっての! 」

と山岸が昭吾の頭を軽く小突いた。

「すみません」と昭吾は深々と頭を下げる。

「あ、いや、来週には30歳になるんだけどな」と慌てる山岸に、

「そうじゃないんです。先輩、こういうことを、俺に求めていたんですね。俺、資料は形どおりに作ればいいってそればっかりでした。『俺がどうしたいのか。どんな資料を作りたいのか』それが全然分かっていなかった。すみませんでした」

昭吾が頭を下げたまま言うと、山岸は頭をポリポリ掻きながら、

「いや、俺も、もっとちゃんと、お前に伝わるように話してやればよかった。お前の話も聞いてやればよかった。ごめんな」

と照れくさそうに言う。

昭吾はようやく頭をあげて、山岸を見た。厳つい、鬼瓦のような顔。だけど、ふんわり優しいその顔が、昭吾はなんだか好きになっていた。

「先輩。今度、また、資料を俺に作らせてくれますか。分からないところはちゃんと聞きます。それで、俺の作りたいものが作れるように、助けてください」

「おお! いいぞ、だけど、その前に早く体を治せ! 」

はっはっはっ、と大きな声がまた病室に響いた。


「昭吾」

「理佐・・・・・・来てくれたのか」

「うん」

気まずそうに理佐は微笑んで、ベッドのそばの小さな椅子に腰かけた。

昭吾は、ダメで元々、という気持ちで話をしたいと思っていること、今、怪我で入院していることを理佐にメッセージで送った。メッセージは既読になったものの、返事はなく、やっぱりもうダメかあ、そう諦めていた矢先の理佐の訪問だった。

「怪我の具合は、どう? 」

「うん。後1か月は入院だって。山岸先輩には迷惑掛けちゃうな。その分、戻ったらばりばり仕事するって約束してるんだ」

昭吾の言葉に、理佐は目を見張った。

昭吾が、先輩に迷惑を掛けることを気にするなんて。一体、どうしたんだろう。

「理佐」

「うん? 」

「ごめんな。俺、理佐に甘えてた。理佐なら何を言っても受け止めてくれるって思ってた。だけど、そればっかりで、俺、理佐の話を全然聞いていなかった。理佐の都合や気持ちを考えていなかった。本当にごめん」

昭吾が頭を下げてそう言う様子を見て、理佐の目に涙がにじんできた。

「私も、突き放して、ごめん」

理佐はそっと両手で昭吾の右手を包み込んだ。

これから二人はどうなるのか。もう一度やり直すのか。それとも一度は別れて、お互いに今はやるべきことをやるのか。

分からないけれど、昭吾はたとえこの先どうなっても、今、このときは理佐の話をきちんと聞こう、そう思っていた。



「よかったですね、お客様」

パタン、と店主は「瀬上昭吾」と書かれた本を閉じる。不思議なことに、閉じられた瞬間、表紙に書かれた「瀬上昭吾」の文字は、ゆっくりと消えていった。


カラン、カラン。扉が開く音がする。

おやまあ。店主はそっと溜め息をつきながら、立ち上がる。

新しいお客様だ。さて、次はどんな物語が読めるだろう。


一人の女が、不安そうな顔をして店内に足を踏み入れる。そして、壁一面の本を見て目を丸くしている。

「いらっしゃいませ、お客様」

店主は新しい客に、そう呼び掛けた。




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