第1話 昭吾の章 その2
俺、瀬上昭吾の人生は、これまで特に問題ないものだった。順風満帆、とまではいかないが、学校の成績はそこそこ、赤点を取ることはなく平均点かそれよりちょっと上、クラスの人気者とまではいかないまでも友達の数はそれなりに多く、放課後は帰宅部で友達とゲーセンに通ったり買い食いしたり、とそこそこに楽しく過ごした。
大学も、熱心というわけでもないが、ごく普通の受験生として勉強をこなしたおかげなのか、無理せず安全圏の範囲を狙ったおかげなのか、志望校に入ることができた。
大学では彼女――理佐――もでき、いい友人にも恵まれて、要するに、挫折を経験せずにそれなりに順調にきたのだ。
だが大学を卒業し、いくつかの企業の入社試験を受けては落ち受けては落ちしてようやく入った会社で、初めての挫折、というか苦労を味わうはめになった。
「おい、瀬上!この間指示した会議の資料、どうなってんだ! 」
まただ。またこいつの――山岸先輩の声がフロア中に響く。
俺は慌てて席を立って、山岸先輩のところに急いだ。
「す、すみません、先輩、まだできてなくて・・・・・・」
そう謝る俺に、山岸先輩は容赦なくまたしてもでかい声をぶつける。
「会議は明後日だぞ、何日かかってんだよ! 」
そう言われても、新入社員とはいえ、俺の仕事は会議の資料作成だけではないのだ。
他にもあれこれあって、なかなか時間内に集中して資料作りに取り組む時間がない。
しかも、会議の資料は複雑で、作れ作れと言うわりに、山岸先輩に教えを乞うても、「お前はどうしたいんだよ? 」と、どうしたらいいのか分からないから聞いているのにあんまりな答えが返ってくるばかり。
もう少し丁寧に教えてくれたっていいのに。あんた、俺の教育係だろう――。
そういう俺の心の声が聞こえたのか、山岸先輩は、ため息をつきながら
「しゃあねえな、とりあえず、今できているところまで見せてみろ」
と言った。
俺はほっとして、席に戻って途中になっていた資料を抱え、山岸先輩のところに戻った。
――ちくしょう、と俺は心の中で毒づきながら、夜の道をとぼとぼ歩く。
ああ、今日も定時に上がれなかった。もう7時を回っている。自炊はめんどくさい、スーパーかコンビニで適当なものを買って帰るか。
そうだ、家に帰ったら理佐に電話して、また愚痴を聞いてもらおう。
「―でさ、その先輩がこう言うんだよ。『指示された期限までに資料ができるように、ちゃんと残業しろ』ってさ。冗談じゃないよ、残業なんて今どき流行らないじゃん、今は、定時に帰ってさ、プライベートを充実させる方が大事じゃん。それなのに、今日だって6時まで残ったのに、俺が帰ろうとしたら、『おい、もう帰るのか』ってさ。知るもんかって思って『すみません、用事があるんです』って言って帰ってきちゃった。先輩ときたら、ただでさえ怖い顔がまるで鬼瓦みたいになっちゃってさ――」
帰った後、俺はどうにも気持ちが収まらなくて、理佐に電話し、愚痴っていた。
理佐との付き合いはかれこれ4年になる。
さすがに付き合い始めの頃のように、お互い声を聞くだけでドキドキする、なんてことはなくなったけれど、気心は知れていて、何でも話せる、何でも分かってくれる、そんな関係になっている。
山岸先輩からの指示にうんざりしていたストレスのせいか、気が付くと、もう1時間も理佐に愚痴っていたけれど、理佐は黙って俺の話を聞いてくれていた。
ああ、いいよな、こういう関係。本当に、理佐には感謝だ。と、理佐本人には照れ臭くて言えないけれど、心の中で感謝していると、急に、
「あのさ、昭吾」
それまで黙って話を聞いていた理佐が、
「ごめん、私、明日の朝、早いんだ。そろそろ、いいかな」
と、言い出したので、俺は驚いて、
「え、もうちょっといいじゃん」
と引き留めようとしたが、理佐は、「ごめんね」と言いながら電話を切った。
なんだよ、理佐のやつ、冷たいなあ。でもまあ、1時間も話していたし、確かに長電話になったかな。
俺は買ってきたコンビニ飯を電子レンジに入れ、缶ビールをくいっと飲んだ。
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