秘密



 その頃スティーブは、山口の案内でハーバーの桟橋に来ていた。ここには日に何度も訪れるが、今のところはそれらしい男たちには遭遇していない。

山口が男たちの会話を聞いてから既に3ヶ月は過ぎていたが、彼らも馬鹿ではない。そう何度も危ない橋は渡らないだろう。次の取引は来年か、或いは、他の場所かも知れないのだ。ただ闇雲に張り込んでも無駄に思えてきたのだ。

「なあ、山口。どんな軍服か覚えてるか?」

桟橋の舳先に腰を下ろし、スティーブは山口にも理解できるよう、ゆっくりと尋ねた。別に会話を盗み聞きする訳ではない。姿を見られても構わないのだ。雑談しているように見えれば、何の問題もない。あくまでも、男たちの発見が最優先であり、見かけたら跡を追うだけだ。不自然に隠れるより堂々と『我関せず』を決め込む方が安全に思えた。山口はスティーブを見ながら首を振った。

「君たちはどんな関係だい?」と、山口は返答の代わりに訊ね返した。

ゆっくりと話す山口は言葉は、とても交渉など出来る会話力などないようだ。スティーブもゆっくりと分かりやすく言葉を選んだ。まるで子供相手の会話のようだ。

「イチローとは大学時代からの友人だ」

スティーブはそれだけをゆっくり時間をかけて答えた。サウジアラビアでのことや仕事のことには一切触れなかった。

これは事件のあと、イチローと決めたことだった。『病原体はいつかは発見されるだろうが、我々が世に送り出したことには間違いない。恨みは買うリスクは避けるべきだ。その点については黙っておく方が身のためだと思う』これがイチローの考えだった。

山口とはたとえ話してもいつもこの程度の会話で終わってしまう。そして桟橋を何気なく戻り、ハーバーの駐車場に集まる人たちとくだらない会話を楽しむのだ。

これがいつもの行動パターンだったが、ハーバーには昔のような活気はない。ほとんどが桟橋の先から全てが見渡せたのだ。多彩なヨットも豪華なクルーザーも桟橋からは姿を消していた。小型の漁船が数隻停泊してるだけだった。

近海とは言え日本との秘密取引を行うには、それ相応の船が必要だろう。今日もそれらしい船はハーバーにも沖合いにも停泊しては居なかった。山口が立ち上がりいつもの行動を起こそうとするのを、スティーブは止めた。

「まあ、座れよ」

山口は緊張気味の表情で隣に腰を下ろした。

「ところで、夜は一緒だが、昼は何をしているんだ?」

スティーブの突然の質問に山口は一瞬身体を硬直させた。

「どう言う意味だ」

どうにか答えた山口の英語にスティーブは戸惑った。言葉の意味が通じないのか、どう言うつもりでそんなことを聞くのだ。と両方の意味に取れたからだ。

日本人の英会話にはリアクションがない。顔にしろ身振りにしろ表現に乏しいのだ。イチロー相手に慣れたとは言え、スティーブには山口の言わんとすることが理解できなかった。

「昼間は何をしている?」スティーブはもう一度ゆっくりと尋ねた。

「ああ……」しかし山口は黙り込んでしまった。この程度なら、何年もここに居たのなら通じるはずだと思ったが、山口は答えを探しているように黙って俯いただけだった。

「何か、秘密が有るのか?」

更に追い討ちをかけるような質問を浴びせられ、山口はとうとう立ち上がった。

「イチローに話す」

そして一言残すと、スタスタと桟橋を戻り始めたのだ。スティーブには会話力のない山口だから、私には説明できないのだろうと、楽天的な考えしか浮かんでこなかった。そして山口を追うように歩き始めた時、かすかなエンジン音が聞こえてきた。

小型船舶の船外機のエンジン音のようだ。音はゆっくりと桟橋に近づいていた。こんな夜中に漁など考えられない。スティーブは身構え、そのエンジン音に耳を澄ませた。


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