敵か味方か


 スティーブと蝋燭の明かりの中、鼻をつき合わせて本を見ていると、行き成り部屋のドアが叩かれた。

「居ますか?」

声だけでは分からない。聞いたこともないような声だ。私は身構えたが、スティーブは平然とドアに向かった。私は小声で叫んだ。

「スティーブ。開けるな!」

「ん?何故だい?カウボーイさ」

そう言われて私はエントランスで会った男を思い出した。テキサス生まれの「カウボーイ」もちろん名前ではない。俗称としてみんなから呼ばれている名だ。スティーブには彼の南部訛りの言葉が分かったのだろう。

「あんたたちにお客だよ」

ドアを開けると、ベルボーイの制服を着て不精髭の伸びたカウボーイがニコニコとして立っていた。スティーブはポケットからタバコを一本取出しと、カウボーイに手渡した。カウボーイは満面の笑みを浮かべてお辞儀をすると、踊るようにその場を立ち去った。流石はスティーブだ。チップの国とは言え、こんな状態でも自然とそんな行動をとれることに少々驚いた。

カウボーイはここのホテルで働いていた。今ではホテルも営業していないが、行くあてを失った多くの人が寝泊りしていたのだ。

カウボーイはベルボーイになりたかったが、訛りが抜けずに厨房の補助として働いていたらしい。そんな理由から、今ではホテル内での案内や伝言を受け持っていたのだ。彼はやっと憧れの仕事につけた喜びに浸っていた。

既に電気などは止まっている。蝋燭が唯一の明かりだ。蝋燭の炎が消えないように、1階のエントランスへを向かった。

そこには初めてみる日系人らしい男が立っていた。男は私の耳元に近づき、軽く周囲を見回し小さく言葉を発した。

「日本へ行きたいのか?」言葉は英語だが、どこか不自然だった。

「ああ、行きたいが、あてが有るのか?」

我々は日ごろから人の集まるところで、張り紙や会話でその旨を伝えまわっていた。グアムなら、日本までの距離はさほどでもない。

こんな時勢だから何か手が有るのではと、触れ回っていたのだ。中には敵意に満ちた目を向けられたこともあるが、そこはスティーブの睨みが抜群の効力を発揮していた。私は自分が日本人だと言うことを隠さなかったからだ。それでもグリーンカードと言う永住権は取得していた為、食糧配給はどこに行ってもあぶれる事はなかった。

「ああ、有る。ただし条件付だがな」

「聞かせてもらえるか?」

スティーブは初めてみる男を無言で睨み付けていた。そう言えば私もはじめて会った時は、彼に睨み付けられたのだ。いかにもアメリカ人らしい対応だと、今なら納得できた。ただ当時は、睨まれる理由の見当が付かず軽い恐怖さえ感じたものだ。

隣人をも信用できない国。銃社会がその性格を作り上げたのだろう。大抵のアメリカ人は最初から人を信用などしないのだ。誰かの紹介ならともかく、学生とは言えその精神は他の大人と同じだった。その代わり、信じるとトコトン信じるのも、いかにもアメリカ人らしかった。3階の部屋に案内するなり、その男は突如、日本語で話し始めた。

「私も連れて行ってほしい。地元の人間のふりをしているが、単なる旅行者なんだ。でも、それがばれると食料さえ……」

男の言いたいことは分かっていた。配給対象から外されることを恐れていたのだ。

男はそれでもどうにか通じる英語のお陰で今まで生き延びて来れたらしい。名を山口と名乗ったが、本名かどうかは分からないし、こんな状況下では問題でもなかった。

「で、そのあて、とは?」

スティーブには日本語は分からない。冗談で色々な言葉を教えたこともあったが、あくまでもお遊びの域を抜けてはいなかった。

同時通訳も面倒などで、有る程度話を聞いてから彼には説明することにした。

山口の話に因れば、グアムの近海で日本漁船との取引が行われているそうだ。食料はどうにか普及してるが、ここグアムでは医療品の不足が深刻な問題らしい。

発祥の遅かった日本は医薬品の備蓄も、今では世界の中でハイレベルだ。

そこに目をつけた何者かが秘密裏に取引を行っているようだった。山口はそれをハーバーの片隅で聞いたそうだ。

寝床を求め彷徨った結果、ハーバーのボロボロの網の中で惰眠をむさぼっていたのだ。会話はこの時、夜中に目覚めた山口の耳に聞こえてきたらしい。山口の話では、どうやら軍服を着ていたらしいが、顔だけははっきりと見たようだ。

グアムにもかつて軍の基地があった。今でこそ閉鎖されたが、軍人崩れの男たちはまだ多くこの地に残っていた。本土に戻ったところで、何の楽しみもない上、家族を失っているものも多く居たのだ。

ただ、山口は流暢な英語が話す事もできないただの旅行者。しかも仲間も居ない。

その男たちとの交渉など出来るはずも無い。

そこで目につけたのが私の存在だったのだ。私は日本人で有りながら、隠すことなくそれを伝え歩き、渡航の手はずを探していた。

隣には常にスティーブが行動を共にしている。だからこそ山口にしてみれば、私に声をかけたのだろう。彼は信用させるために、ボロボロになったパスポートを衣服の下から取り出して私に見せた。

確かに日本のパスポートで、名前も名乗ったとおりの男だった。スティーブもローマ字で書かれた名前を見て納得したようだ。渡航の手はずをつけるためには、山口の存在は欠かせない。その会話が交わされた人間を知っているのは、山口だけだからだ。用心しながらも表面的には喜んで彼を仲間に向かい入れた。このことは、差しさわりのない範囲で説明すると、スティーブは山口を抱きかかえて喜んだ。しかしまだ渡航できるとは限らない。

その相手を見つけ、交渉しなくてはならないのだ。それでもスティーブには先が見えた喜びで一杯だったようだ。スティーブも私以上に待ち焦がれていたようだ。

私も本心では喜び踊りたい気分だが、まだ先は長い。喜ぶスティーブを見て私は思った。『これで良いのだ。今は……』と。

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