下準備

 最初の仕事は丁稚奉公と同じだった。寝床、食事、僅かな小遣い程度で、ばっちりと働かせられた。彼曰く『この方が現場の最前線を経験できる』だった。

確かに目の前で偉業が達成していく様を、まじまじと見ることが出来た。

しかもここは海の上。さしたる娯楽も無いため、私とスティーブはいつも仕事の最前線で作業をするか、最前線で見ているかだった。そう考えれば特等席には間違いが無かった。確かに危険な面もあるが、得難い経験だったのは言うまでもない。

当初は『大学出のおぼちゃまが』と熟練の作業員にも馬鹿にされたが、3年も経った頃には、私もスティーブも一人前の技師と周囲からも認められていた。

技術もさることながら、大学での勉強の成果もあり徐々に頭角を現し始めたのだ。

そして、待ちに待った独立の日がやってきた。資金は少ないとは言え、父親の会社を処分した金が有り、二人で貯めた貯金はかなりの額になっていた。

設立当初は貰い仕事が多かったが、国内での活躍はやがて石油協会の耳にも届くようになっていた。地道な努力が評価され部下も増えた。

海外にも進出し始めたのは、更に4年の月日が流れていたが、二人は充実した日々を送っていた。仕事が楽しくて仕方が無かったのだ。他国の文化に触れるのも、人生を謳歌する要素としては申し分のないものだ。そんな私たち二人を、同性愛者だと呼ぶものもいたが、無視することにしていた。陸に上がれば女も買うし、バーに行けばナンパもする。ごく普通の男だったからだ。ただのやっかみであろうが、そう陰口を叩かれるほどスティーブとは仲が良かったのだ。

やがてそんな声はどこへとも無しに消え去っていった。それから更に2年が過ぎようとした頃に、地球温暖化による排気ガス規制により、原油削減が本格的に叫ばれ始めた。しかしアメリカは途中で温暖化防止条約を破棄し独自の路線を打ち出した。

その結果多くの場所で採掘権を確保し、世界各地で油田開発が頻繁に行われた。

その余波は私たちの所にも及んできた。

そうして最大の油田採掘が行われ、十分な結果を残すことなり、私たちの会社は一躍その道では有名企業に知られたのだ。その後も順調に仕事をこなし、そして訪れたサウジアラビアで事件が起きた。

それが世界を危機に陥れるとは、私自身想像すらしなかった。原油貯蔵層には、同時に多くの天然ガスが発生していることがある。その中に未知の病原体がいるとは、誰も予想さえしなかった。

私個人の考えでは、地球の怒りとしか思い浮かばなかったほどである。今まで何故一度も発見されなかったのからだ。同じサウジの油田でさえ見つかっていない病原体だ。しかも何故私とスティーブは最前線にいながら発病しなかったの。

そして浮かんだ疑問。まるで「お前たちがどうにかしろ」と言われているような錯覚さえ覚えた。ガスが噴出しその場にいた作業員の大半は、翌日に発病。

2週間足らずでその命を奪われた。部下の6人のうち4人も5日後に発病。

4人とも帰らぬ人となった。その悲劇はあっという間に中東全域に広がり、100万人が1ヶ月で命を失った。我々残された人間はアメリカに戻ったが、入国に際しては最高基準の医療検査を受ける羽目になった。

私は日本の両親に連絡を入れたが、日本では話だけで病原体は発見されていないようだった。私もスティーブも中東だけで終わるものだと決めつけ、少しは胸の心配を撫で下ろしたが時もあったが、その考えは甘いものだとすぐに気づかされた。

病原体は突如としてヨーロッパで発見され、あれよあれよという間に欧州全体に広がりを見せた。感染経路が掴めなかったからなのだろうか。この時点でWHOは明確にパンデミックと定義付けた。

各国の対応は後手に回り防止できなかったようだ。各地でロックダウンが敢行される中、世界各国の機関がサウジでの調査に訪れた。

その間、私とスティーブの身体に変化は起きなかった。やがて残る2人の部下も、発生してから3ヶ月目に発病した。何故、このような時間差が現れるのかさえも理解できないようだが、医者は空しく首を振るだけだった。

発病すると高熱により意識障害を起こし、筋肉が急激に萎縮する。身体がだんご虫の様に丸まってしまうのだ。やがて身体の穴という穴から出血を始める。

これはエボラ菌に似ているが、まったくの別物らしい。簡単に言えば、丸めた濡れタオルを絞るような感じだ。幸い意識障害を起こすため極端な痛みはなさそうだが、その段階まで病状が進むと致死率97%まで跳ね上がった。

もはや発症したと同時に隔離するしか処置が無かった。全米でもあっという間に広がった。しかしここで私はあることに気がついた。アジア近辺。また在米アジア人の発症率が極端に低いのだ。まだ、アジアでは発症の報告さえない国も有った。たとえ発症しても、在日のアメリカ人か白人だけなのだ。

「どう思う?」私はその事実をスティーブに尋ねてみた。

「うん。俺も気になっていた。完全に白人がターゲットにさえ思える」

「ただし、白人でないアラブ人も被害に有ってる。なぜ、アジアだけが発症しないんだ?」その考えは既に各国の学者の間で取り交わされていたが、答えが出ない以上発表は避けられていた。仮に「アジアは安全です」などと発表しようものなら、みんなこぞってアジアに押し寄せるだろう。いわゆるパニックだ。

そこで各国は国際線の離発着を大幅に制限しだした。これは中国が初めに打ち出したのだ。

「国際線の乗り入れを全面的に禁止する」というものだった。各国はそれならばと「輸出入の全面禁止」までをも打ち出し、国交断絶状態に陥った。

唯一日本は国外との国交を保っていたが、その数は極端に減っていた。

その間も謎の病原体は勢力を広げ、ロシアにも広がり始めた。どうやら気温には無関係らしい。中東の砂漠で発症した病原体は極寒の地でも活動できることを世界に知らしめた。アジアがダメならと、ロシアに渡った裕福な階級の白人が最初の餌食となった。やがてロシア人の身体をも侵食し始めたが、アジアではいまだに発症例は少なかった。各国首脳は日本への要人受け入れを打診したが、日本は断るしか道がなかった。これは『アセアン』で決まったことであり、独自の返答はアジア諸国との国交断絶を意味していたからだ。日本の問題は食料問題に密接だったからである。

今ではタイやカンボジアなどから食料を調達できているが『アセアン』の意向に背き要人を受け入れれば、食料の調達に深刻なダメージが起こるからだ。ところが同じ『アセアン』所属のオーストラリアでも病気の発症が確認された。

白人色が強いこの国では致し方ないだろう。オーストラリアは自ら『アセアン』を脱会していった。これで日本の牛肉輸入はほぼ無くなったといっても良いだろう。この病原体の特徴は人間以外には無害だということ。なぜかアジア人には今のところ発症しない。温度、地域は関係ない。感染方法が分からない。などの特徴が挙げられる。

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