第3話 翼を広げた黒縁メガネ

「陸くん!今度のバナナアーモンドミルクフラペチーノの黒板アートもめっちゃ評判いいよ!お客様もどんな人描いてるんですか?って訊いてきた!」

「え〜ぇ僕だって言ったの?」

「もちろんナイショ!って答えたけどね」

上原さんは悪戯っぽく笑って言った。

「上原さん?」

「なに?」

「僕は…僕はここで必要とされてるのかな?」

「…なに言ってるの!陸くんは必要だよ!必要に決まってんじゃん…変な質問するとホント怒るよ!」

上原さんは僕の正面に立って、まっすぐに僕の目を見つめて言った。

「ごめん…」

僕はそれが心の底から嬉しくて、涙が溢れるのをグッと堪えていた…僕にはまだ居場所がある。

「少なくても私には絶対に必要だから…陸くんは!だから辞めたりしないでね…ここ」

「ありがとう…」

上原さんは嬉しそうに笑っていた。

僕は恥ずかしさを隠すように描き終えた黒板アートをレジ横に持って行った。

緊急事態宣言の解除と春休みも重なって、お店は

には多くのお客様が来ていた。

僕もやっとメニューも全て覚えて、レジに立ってオーダーを受けれるようになっていた。

そんな中、開店と同時に店に入っていつも同じ1番奥の席に座ってる女子高生が気になっていた。

春休みだというのにいつも制服姿で、黒縁の眼鏡をかけてる彼女は決まってチャイティーラテのホットを頼む。

「おはようございます〜」

僕が笑顔で挨拶すると彼女はいつも消えそうな声で「おはよう…ございます」と返してくれた。

珍しく今朝はバターミルクビスケットを頼んだ彼女に温めて席に運ぶ事を伝えると「ありがとうございます」と言っていつもの席に向かった。

「お待ちどうさまでした、バターミルクビスケットです〜」

テーブルにバターミルクビスケットとフォークとナイフのトレーを置いた時、彼女の持っていたノートからメモらしきものが滑り落ちた。

「あっ!」

彼女が声を上げて床に落ちたメモの1行目には綺麗な文字で遺書と書かれていた。

「すみません…」

「どうぞ…ごゆっくり」

僕の背中はゾクゾクして心臓の鼓動が乱れて、レジ奥で大きく深呼吸をした。

「あの時と同じだ…」

「幾田くん?大丈夫?顔色悪いわよ」

店長の山本さんが心配して訊いてきた。

「だ、だいじょうぶです…」

「調子悪かったら早目に休憩入っていいからね」

「はい…ありがとうございます」

僕は、そう返事をして奥の席に目を移した。

黒縁メガネの女子高生は、何かに突き動かされるようにノートにペンを走らせていた。

しばらくして、彼女がバッグにノートを仕舞って、食べ終わった皿とトレーをダストボックスに持ってくるのが見えた。

「ありがとうございます!」

僕がそう声をかけると、彼女はこちらを振り返って深々と頭を下げた後、…何かが吹っ切れたような笑顔を見せてお店を出た…初めて見た彼女の笑顔はとても悲しげに見えた。

「すみません…店長、やっぱり調子悪くなったんで早退させてもらっていいですか?」

「いいけど…幾田くん?大丈夫?」

「大丈夫です…じゃ失礼します、これ頼む」

エプロンを上原さんに預けて僕は店を飛び出した。

「どこ?どこ行った?黒縁メガネ…」

周りを見渡すと駅に向かう女子高生の制服姿が目に飛び込んた。

「いた!彼女…これから、死ぬ気だ…」

僕は駆け出して横断歩道を渡って、金町駅の北口へ向かう通路で彼女の後ろについた。

「また…こんな…ストーカーみたいなこと」

僕は大手町で出逢った少女のような老婆の言葉を思い出していた。

「死気を…死気を喰らう…確か…あと2度」

僕は自分の左手小指を顔に近づけた…小指にはくっきりと青2本と赤1本のリング跡が浮かんでいた。

彼女は時折空を見上げながら北口から自動車教習所の方へゆっくりした足取りで歩いて行った。

「どこ行くんだ?何で?うちの方向じゃん!」

いつも買い物するイトーヨーカドーを過ぎて公園の交差点から東京理科大のキャンパスへ向かって行った。

春霞で彼女の姿が途中で少し薄れて見えた気がした。

彼女は僕の存在など気づくはずもなく、東京理科大キャンパスに入って行くと、躊躇なく研究棟の中に入って行く。

何度もシミレーションを重ねていたかのように軽快に階段を上がって行く。

そして、最上階に着くとソーラーパネルの設置口から屋上に出た。

「こんなところから…」

研究棟の屋上は春の光が降り注いで、心地よい風が流れていた。

彼女はソーラーパネルの隙間をすり抜けて屋上の端に立った、そしてまるで翼を広げ飛び立つように両手を広げた。

僕は彼女が通ったソーラーパネルの隙間をすり抜けてその翼を抱き締めた。

「誰?離して!」

彼女は身を捩って僕を振り解こうと前に進んで行った。

「駄目だ!離さない!」

僕は大声で叫んでいた。

「冷たい…」

彼女の冷たい身体を思い切り抱き締めると、冷たかった身体が少しずつ温かくなっていくのを感じた。

「あの時と同じだ…」

翼を広げる事の出来ない彼女は、その場に蹲って大声で泣き叫んだ。

「私なんて…死んだほうが…もうイヤだ!死なせて!」

僕はそんな彼女の肩を優しく抱き寄せた。

「あっ…スタバの店員さん?」

僕の顔を見た彼女は安堵して笑みを浮かべた。

「私…死のうと…」

「もう大丈夫…」

僕の身体は鉛のように重くなっていった。

「私…高校でひどいイジメに遭っていて…信じていた友達にも…裏切らて…もうなにも信じられない」

黒縁メガネの奥からどんどん涙が溢れてきて、彼女は泣きながら話し始めた。

「じゃ…僕が友達になるよ…」

「えっ?」

「ダメ?ちょっと歳…離れてるけど…」

「いいんですか?私で…」

「じゃあ決まり、今から友達だ…僕ら」

「はい!よろしくお願いします」

黒縁メガネの奥から優しい光が広がっていくような気がした。

屋上にはふたりだけの青い空が広がって、心地よい春風が吹いていた。


キャンパスで彼女と別れて、駅の駐輪場までゆっくりと歩き出す。

「あの時と同じじゃないか…」

まるで水の中を歩いているように身体が重くて、頭が割れそうに痛かった。

やっとのことで駐輪場に辿り着いて、自転車のハンドルに左手を掛けた時…小指のリングが青と赤の2本になっていることに気づいた。

「消えてる…青が1本…」

そして僕の瞳からはまた涙が溢れ出していた。

「また泣いてる…」

僕は涙を拭いて自転車で今来た道を戻って行く。

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