第19話 本気のケンカ

 茂生が凄い顔をしている。睨むと言うか、何と言うか……こんな怖い表情は見たことが無い。

 「法子、こっちに来て座って?」

 口調はいつもと同じで優しい。でも……そんな顔をしている茂生の隣に行きたくない……けど。

 おずおずと、隣に座る。私をさっきから睨み付けてない?茂生……。

 「……法子、もしかして、何か知ってる?僕んちのこととか?」

 「それは……里沙先輩から少しは聞いたから……」

 「うん、そうなんだけど、法子は僕に何か隠し事とかしてない……かな」

 私はムカッとして、茂生を逆に睨み付けた。

 「隠し事って何よ!茂生の方がずっと隠してたんじゃない!実家は商店とか言って!忙しいから家には連れて行けないとか言って!」

 「そ……れは、その」

 茂生が言いよどむ。余計頭にきちゃった。

 「何よ!そんなに私をおうちに連れて行きたくなかったの?ご家族に紹介したくなかったんでしょう!」

 「違っ、違うよ!」

 「違うって何が違うのよ!言ってよ!こっちはね!茂生と私がだ、ってもう誤解されちゃって、大変だったんだから!」

 「……え、そういう関係……?誤解……?」

 誰に……?聞かれてから、ハッ、としても……もう遅い。

 「だ、誰だっていいじゃない……私たち……まだそんな……え、エ……ッチだっ、て……」

 最後までしたこと無いのに!なんて……なんか情けないやら恥ずかしいやら悲しい……。

 「のり……こ?」

 茂生が目を丸くしてる。そうよね、こんな風に話したことなんか無かったもの!エ、エ……えええ……私何を言ってるのよ……だって、だって。

 「何よ……茂生が全部悪いんだから……だから、私があんなことを言われてしまったんじゃないの……」

 あ、ダメ。核心に触れちゃう!でも、これを話さないと前に進めないわよね!

 茂生は私の肩に両手を掛けて、優しく諭すように尋ねる。いつもの茂生なんだけど……。

 「法子、教えて?一体を法子に言ったの?……その、僕たちのこと。友達?それとも、里沙さんとか?」

 「……違う……。もう、誰だっていいでしょう!」

 「良くないよ?それで法子が嫌な思いをしたんじゃないのか?僕たちには僕たちのい、色々な進み……かたがあるんだから。ね、法子だってそう思わない?」

 なんか言いくるめるように言わないでよ……ちょっと、そんな顔したって、ごまかされな、いん……ちょ、ちょっと!

 茂生がいきなり顔を近付けたと思ったら……。

 キス、されちゃった……。軽い、触れるだけの優しいキス……。

 「……」

 「…………」

 「……ね、何か僕に言いたいんじゃないの?法子……怒らないから話してくれないかな」

 肩を抱き寄せられた。あやすように話し出すの茂生の癖なのかな……。私の方がひとつお姉さんなのに、時々子供扱いするところがあるのよね。こういうの、長男だから……?私は妹じゃないのよ?

 私はそっと肩に回された方の手に触れた。ちょっと……久しぶりに手を握りしめて、ドキドキよりも切ないなんておかしいでしょ、自分……。

 「……茂生……」

 「ん。何?」

 やっぱりこれを言ったらおしまい、っていうことになってしまうと思う。だって、茂生の未来に私がいるかいないかの二択になってしまうもの。


 いつまでも、こうして茂生と触れ合っていたい……い、今はちょっと気持ちの整理がつかないけれど、あ、あっちの月のモノも考えなくちゃ、って!私ったら何を考えているのよ!

 急に茂生と手を繋いでいることが恥ずかしくなってしまった。手を繋ぐなんて久しぶりなんだもの……。

 え、茂生?なんだか茂生が体を緊張させてない……?なんか、こわばらせているというのかな……?

 私の顔が熱くなっちゃった。茂生の手が少し汗ばんできたの?それとも私の方かな……。 

 「何、何か言って、法子。今何か言いかけただろう」

 「……うん……」

 「うん、じゃなくてさ、誰に何か言われたとしても、僕たちには僕たちの……ね、法子、分かるだろう?僕だって……」

 「あっ!」

 急に私から離れて、ソファから立ち上がっちゃった茂生。何、なんなの?

 「僕だって、男なんだからな!が、我慢だってしてるんだよ判れよ!」

 顔を真っ赤にしている茂生。つられて私まで顔が火照ってきちゃうじゃないの!

 我慢て、我慢て……!

 やっ、私が誘っているみたいじゃないのよ!

 「ちょっと、我慢て何よ……!」

 「だってそうだろ!僕たちが付き合い始めたのは、塾がきっかけでさ、法子は翌年は受験生だったし、その翌年は県外に出ちゃうし、僕は受験生で法子の近い大学へ行くつもりだったのに……葵のバカがあんなことをカミングアウトしちゃって!僕が我慢して志望校を県内に変えなきゃならなかったし、離れちゃうし、我慢の連続じゃないか!だいたい、好きな女の子を目の前にして……でもさ、そうしたら、エッ……チしちゃったら、法子と離れるのはもっともっと耐えられない!て思うだろう?だから余計に我慢してたんだよ!誰だよ僕たちの関係に口を挟む奴!」

 「……茂生のお父さんよ……」 

 言っちゃった。茂生は突っ立ったまま、私はソファに座ったまま、見下ろされて見上げて。

 「なん、で……そこで父さんが出て来るんだよ……何、冗談言って」

 「冗談じゃないの。キャンパスまで訪ねて来られたの。帰り際に二人でいるところを里沙先輩に見られてたから、茂生のお父さんと先輩の婚約者さんのお父さんが兄弟だって後で知ったんだもの……」

 ……もう、全部茂生に話してしまおう。このまま黙っていても、良いことなんか無い気がする。我慢ばかりしてたんだ……茂生。

 私だって、私だって我慢してたわよ!自分だけじゃないんだからね茂生!

 茂生は呆然として、ドサッと私の隣にまた座った。

 「なんで……なんで父さんが法子に……え、僕たちの関係ってまさか!」

 「そうよ、茂生のお父さんがそう思ってたの。それだけじゃないんだから。私たち、将来を約束していると勘違いしてらして……茂生の将来の話までされたのよ!この私によ!来年は私が就職活動を始めるだろうから、その前にどうしても話しておきたい、って……」

 あ、ダメだわ……悲しくなってきちゃうじゃないの……。私は茂生にそこまで愛されてないのだと思うから……悲しい……。

 無性に腹が立った。情けなかった。茂生が好きだけど、茂生は私が好きと同じくらい好きじゃないの?だから平気で嘘を三年間もついていたの……?

 茂生は私の方を見ない。俯いていて、表情が見えない。


 「……どうして父さんが法子の就職活動に言及するんだよ……何を考えてるんだよ」  

 私も茂生を見ない。涙がボロボロこぼれているからじゃない。違うんだから。

 「……将来は公私ともに……茂生の右、右腕、になっ……て、欲しい、って……その為、に、卒業する、ま、までに、会社のこと、とか経営、とかを学んでおいて欲しい、って……違うのに……私たちはそんなんじゃない、のにっ!!」

 笑っちゃうわよ!ダブルスクールの費用まで持つとか言っちゃうのよ!茂生のお父さん!

 もう、涙がバーッてダーッてどばどば流れて来るから言葉が出ない。

 茂生が呆気に取られている。開いた口が塞がらない、ってまさにこの顔だわよ!これよね!……見てないけど、きっとそう。


 しばらく二人とも沈黙が続いた。茂生は私の言ったことを反芻しているみたいだった。

 「……なんだ、って……え、それって……つまり」

 「私は茂生からプロポーズの言葉は勿論、将来の話なんかこれっぽっちも聞いてないのによ!笑っちゃうわよ!」

 あ、全部言えた!言っちゃった……。

 本格的なケンカ。これが最初で最後かもしれない、と私は思った。

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