第11話 由比ヶ浜のサーファー

今日は比較的時間に余裕があって、夕方4時過ぎ休憩に入った時、薫子とメールで連絡を取りあった。


(7時15分に丸ビル1F待ち合わせでいい?)


(オッケー、今まだ学校なんだけど7時には着けるよ~)


(引っ越し祝いで今夜は私がごちそうするから、なに食べたい?)


(えーいいの?なんでも?)


(いいわよ、薫子まだ学生なんだから、働いたらごちそうしてもらうから(笑))


(じゃあ~鰻、鰻が食べたい!)


(わかった鰻ね!)


(やったぁ~鰻なんて久しぶりぃ)


「鰻かぁ~」


正直鰻は想定外で1万円以上の出費を覚悟した。


「来月は毎日お弁当ね…」


更衣室で着替えていると梶野美樹が話しかけてきた。


「先輩~今夜予定ありますか?」


「うぅんちょっとね」


「えぇ~男?ですか?」


「違うわよ、友達と食事をね」


「私の同期3人でこれからビアテラス行くんですけど~この前のお詫びもあって麻生さんにも来てほしくて」


「あっありがと、じゃあまた今度…」


「えぇ~その友達も誘ったらいいじゃないですか!ねっそうしましょうよ~」


「いいね!それ!麻生さんのトモダチっていうのも会ってみたいし」


「え?なに?そんなこと勝手に…」


そう言って梶野美樹とその同期ふたりは勝手に盛り上がって着替えだした。


「どこですか?待ち合わせの場所?」


「丸ビル…だけど」


「じゃ行きましょっか」


そう言って梶野美樹は私の腕を強引に引っ張った。




丸ビルの東京駅口側には仕事帰りのサラリーマンや着飾った丸の内OLが家路を急いでいた。


そんな中、周りの女性より頭ひとつ分背の高い、白いTシャツとスキニージーンズにスニーカーという出で立ちの薫子が天井を仰いで立っていた。


「薫子、待った?」


「久美子~おっそいぃ~お腹ペコペコ」


薫子の白いTシャツの首元は少しヨレヨレで、袖は絵の具で少し汚れていてこのビルにはそぐわない格好だった。


「ごめん、いろいろあって…」


「初めまして麻生さんの後輩の梶野美樹っていいます、今夜は無理言って麻生さんとお友達と一緒にビールでも飲もってことになって」


「お友達?あっそうなんですか?でも今日は久美子がごちそうしてくれるって…」


「久美子?ぁあ~そうなの、あのぉ~」


「あっ私、安藤薫子って言います芸大4年生です~今年留年しなきゃね」


そう言って薫子は大きな声で笑った。


「芸大って?学生さん?」


「はい、久美子とは一緒に住んでます」


「一緒に?まぁこんなところでなんだし、行きましょお店」


「え?鰻じゃないの?」


「ごめん、鰻はまた今度…」


「えぇ~まいっか鰻、次、絶対だかんね~」


そう言ってビアテラスへ歩き出した。




「じゃあみんなグラス持ってる?じゃあこの猛暑に乾杯~」


「なによぉ~猛暑にって 乾杯~」


次から次へと料理が運ばれてくる、山椒と唐辛子の効いた熱々麻婆豆腐、エビと芽キャベツのトムヤンクンアヒージョ、フィッシュアンドチップス、アンガス牛のカットステーキオニオンガーリックソース全てビールが進む料理ばかり。


薫子は梶野美樹の隣に座ってアンガス牛のステーキを頬張って3杯目のビールを半分飲み干した。


私は2杯目のビールを頼んでトイレで席を立った、時計を見ると9時半を回っていた。


「そろそろ帰んないと」


席に戻ろうとしたその時、梶野美樹の大きな悲鳴が聴こえた。


「え?何?どうしたの?」


「なにすんのよぉ~」


ビールグラスを高く持ち上げてる薫子と、頭からビールまみれになって半泣きしている梶野美樹の姿が目に入って私は固まった。


「へ?どうした?」


「私のことはいい…私のことは何て言われても、けど…けど久美子のことを悪く言うやつは私が許さない!」


そう叫ぶと薫子は店の外に駆け出して行った。


「え?大丈夫?梶野 ごめん」


そう言って私は薫子を追いかけた。


「まって薫子、薫子まってよぉ」


私がどれだけ全力で走っても脚の長い薫子に追いつけるはずもなく、ふたりの距離はどんどん開いていった。


「はぁはぁはぁぁ まぁてぇ まってぇてばぁ 薫子〜お願いだから」


東京駅の灯りが見えてきて、新丸ビル手前で私はやっと薫子に追いついた。


「どっどうしたの?薫子?え?泣いてるの?」


薫子の背中は怒りと悲しみに満ちて震えていた。


「だって、だって久美子のこと…ひどいこと…」


薫子はそれ以上言葉にならず泣きじゃくっていた。


「馬鹿ね…薫子、帰ろ、家に、鎌倉に…ね」


私は薫子を抱き寄せ優しくそう呟いた。 


「うん…ごめん」


そう言って薫子は大きく頷いた。




月曜日、私は人事部に呼ばれて10月から倉庫に行くように命じられた、梶野美樹の父親はこの会社の重役で人事にも影響があると噂されていた。


8月20日を過ぎても猛暑は続き、連日35度近い日が続いていた。


「久美子~洗濯干しといて~」


「えぇ~薫子洗濯好きって言ってなかった?」


「干すのは苦手たたむのが好きなんだ~」


真っ白なタンクトップにデニムのショートパンツ姿の薫子がアトリエから出てそう言った。


「もぉ~今日も猛暑日?あっつぅ」


「冷蔵庫にアイス入ってるわよ」


「やったぁ〜ガリガリ君〜」


「久美子?」


「ん?なに?」


「サーフィンしない?」


「はぁ?サーフィンって、あのサーフィン?」


「そぉ海でやるサーフィンよ」


「いやよぉこの歳でサーフィンなんて…やったことないし」


「私も中学生の時やったっきり」


「調べたんだけど、由比ヶ浜の週末のスクール」


「もう調べたの?薫子やりたければ、やればいいじゃん」


「久美子と一緒じゃなきゃダメなの!」


「ねっサーフィン、しょ」


薫子は一度言い出したら絶対引かないのはわかっていた。


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