第2話 26歳の夏
私の働いているのは、丸の内にある大きな書店、元々本が好きだったこともあったけど、何よりもあまり人と接することのないことが、この職場を選んだ理由の1つだった。
「おはようございます」
「おはよう~久美子、金曜日・・・って暇?」
「えっ?何で?また?」
「ぅうん人数足りなくてさ・・・ねっいいでしょ?お願い~」
同僚の岡田亜希子がロッカールームで話しかけてきた。
「今回は、丸の内の商社マン、ねっ、久美子~お願い」
そう言って亜希子は私に向かって手を合わせた。
「・・・ぅうんわかった」
「サンキュー久美子、じゃあ詳しいことは後でメールするね」
そう言うなり亜希子はロッカールームを走って出て行った。
「ぁあ~ホント面倒」
合コンの人数合わせで亜希子から誘われたのはこれで3回目、1回目は確か鉄鋼メーカーのラガーマン、2回目は歯科医師のグループだった。
そんな時、私はいつもより地味な服を選んで、伊達メガネをかけて行く、普段から地味な服しか持っていないから・・・その中から一層地味な服を選ぶそして一番隅の席に座って話を聞いてる振りをする。
伊達メガネは相手と目を合わせないため・・・コンタクトをしていないから相手の顔なんて、ほとんど見えていない。
2回目の時には、前に座った歯科医から「歯キレイですね」って褒められたっけ。
そんなことを思い出しながら、伝票整理をしていると突然目の前の内線が鳴った。
「はい・・・」
「久美子?7月21日って空いてるよね?」
「奏子?どうしたのよ 突然・・・」
杉江奏子は私と同期入社で唯一の親友、私の両親の事故のことも彼女には打ち明けていた。
「横浜アリーナ・・・行けるのよ~ファイナルm-floのライブ」
「え?ホント?チケット取れたの?」
「うん、奇跡でしょ~それもアリーナの真ん中なんて」
「うっそぉ~」
私は珍しく興奮してそう聞き返した。
「ねっ行こう横浜アリーナ、絶対ね」
「うん、絶対何があっても行く、奏子、ありがと」
私はシステム手帳を取り出して、7月21日に赤いペンで大きく花マルをつけてm-floライブと大きく書き込んだ。
「7月かぁ楽しみ~あっ・・・金曜日」
そう呟いて今週、金曜日の欄に合コンと小さく書き込むと少し溜息をつき手帳をバックに仕舞った。
m-floのライブと出逢ったのは私がまだ大学生だった7年前、友達に半ば強引に連れて行かれたライブで私は一瞬で彼らの虜になった。
彼らの境遇にも共感し、一人ぼっちな自分もいつかこんな仲間に出逢えたら、そう思っていた。
金曜日、私は地味なワンピース姿で鏡の前に立っていた。
まだ6月初めだというのに朝から蒸し暑い、窓を開けると湿った生暖かい風が部屋に入ってきた。
「はぁ~憂鬱・・・会社休んじゃおっかなぁ」
そう呟きながら後ろ髪をまとめてシュシュで無造作に束ねる。
「化粧っけのない顔・・・」
鏡に向かって自分にそう呟くと、昨晩作った煮物の残りと今朝焼いた鮭の切り身をお弁当箱に詰めて部屋を出る。
自転車で石神井公園を突っ切ると、生暖かい風が身体に纏わりついて背中が汗ばんでくる。
駅の駐輪場に自転車を置くとゆっくり改札へ歩き出す、スーツを着たサラリーマンが汗をハンカチで拭いながらホームへ向かう。
私もその後について行くと各駅停車がホームに滑り込んで来た。
急行を待つ客でホームはいつもの様に混雑していた。
比較的空いている各駅停車に乗って辺りを見渡すと席は一杯で、仕方なく車両の真ん中に立って少し霞んだ車窓に目を向ける。
しばらくして急行が出た後、ドアが閉まり電車はゆっくりと走り出す。
私は人と目を合わさないように、車窓から遠くをぼんやり眺めていた。
「富士山は見えないよね・・・今日みたいな日は」
富士見台の駅を過ぎた辺りからは冬、真っ白な富士山がキレイに見える。
そんなことを思いながら、チラッと下を見ると、私の前に座っている白髪の女性が目に入った。
その女性はずっと俯いて動かなかった、気に留めることなく、私はまた車窓に目を移す。
電車が練馬駅を出て東長崎駅を過ぎたところだった、白髪の女性が突然顔を上げた。
私は、無意識にその女性の顔を見下ろして目が合った瞬間だった。
「苦しい、助けて・・・」
という悲痛な声が聴こえてきた。
「えっ?」
私は一瞬驚いて、すぐにその女性の目線に合わせるように訊いていた。
「大丈夫ですか?」
その女性は苦しそうに、でも言葉が出てこない様子だった。
「胸・・・胸が苦しい」
女性と目を合わせるとまた言葉が聴こえた。
「胸が、苦しいんですね」
私が大きな声でそう言うと、乗客の男性が緊急ボタンを押して電車は椎名町で停止した。
車掌が来て私に状況を聞くと、池袋駅で救急車を手配するように連絡をして電車は池袋駅のホームへ入っていく。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
私はその女性の手を握ってそう言った。
女性は私の手を握って、じっと目を瞑っていた。
救急隊がホームで待ち構え、ストレッチャーに女性を乗せて動き出す。
「ご家族の方?ですか」
「ぃいえ・・・」
私はそう答えると、女性は私の手を強く握り返した。
「私、家族じゃないけど・・・一緒に乗ってもいいですか?」
「はい、お願いします」
救急隊員はそう答えると、私と女性を乗せて救急車はサイレンを鳴らして走り出した。
「胸が苦しいと・・・意識レベルは」
救急隊員は無線で病院と連絡を取っているのが聴こえてくる。
まもなくして救急車は病院に到着すると、女性を乗せたストレッチャーは病院の救急外来と書かれた部屋に入っていった。
「ご家族の方はこちらでお待ち下さい」
「ぇえ?あのぉ」
看護師はそう告げると奥の部屋に消えていった。
「私・・・あっ電話しなきゃ」
私は廊下の隅の窓越しに立って電話を取り出した。
「ぁあっ麻生ですけど・・・少し体調優れなくて・・・はい、午後にははい・・・すみません」
そう言って電話を切った。
「ぁぁあ私って何やってんだろう」
私は待合室の椅子に凭れ掛かって目を閉じていた。
すると鎌倉のおばあちゃんの顔が目に浮かんできた。
「おばあちゃんって幾つだっけ?鎌倉・・・今度おばあちゃんに会いに行こう」
救急外来のドアが開いてさっきの看護師さんが近づいてきた。
「様態は落ち着いています、幸い処置が早かったので、先生から説明があるので診察室の中へどうぞ」
「ぇえ?あのぉ私、家族じゃなくて・・・たまたま電車で乗り合わせて」
「はぁ?そうなんですか?てっきりご家族の方かと・・・困ったわねぇご家族と連絡取らないと、2、3日入院して頂かないと」
そういい残して救急外来に戻って行った。
時計を見ると十一時近くになっていた。
「はぁ~」
私は大きな溜息を着くと病院を出て駅へと歩き出した。
蒸し暑い空気が身体に纏わりつく。
「ここどこよ〜」
辺りを見渡すと練馬総合病院と書かれた病院の外観が目に入った。
「初めてだよね・・・人の役に立ったの・・・」
「あの白髪の女性が私と目を合わさなかったら・・・とにかく良かった」
声が聴こえることをずっと隠してきて、人と目を合わせないようにしてきた私にとって、結果的に人助けになったことが不思議でならなかった。
少し歩くと西武線の東長崎駅が見えてきた、乗客も疎らな時間帯、私は空いている席に座るとまた大きな溜息をついて目を瞑った。
電車の中の冷気が私の汗ばんだ身体を冷やしていく。
「大丈夫?久美子」
私を見つけた亜希子が近づいてきた。
「体調?悪いの?」
亜希子は私の体調より今夜の合コンの心配をしているのがわかった。
「ぅうん平気、大丈夫だから・・・」
「そぉ良かった、じゃあ6時半に出るから」
「うん、わかった」
そう言うと私は鮭の切り身を一口食べた。
「あのおばあさん大丈夫だったかな?」
私は流し台でお弁当箱を洗いながら少し心配になっていた。
「家族とか?来たのかな?大丈夫よね・・・きっと」
夕方、女子トイレの化粧台にはこれからデートの子、合コンの予定が入っている子たちで混雑していた。
「あれ?先輩も合コンですか?」
私より5歳下の梶野美樹が鏡越しで訊いてきた。
「もうウザイのよね~ワンピースもダサいし・・・」
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