第12話 不思議な空間。

 そこからいったんおばあちゃんといっていい年齢の女官に引き渡された。国王が、服を見咎めたらしい。ネグリジェに裸足という格好では無理もあるまい。


 そして、彼女に普通の服を着せてもらい、ベルベットでできた柔らかい靴をもらう。いくら初秋とはいえ、いい加減、ネグリジェでいるのもきつくなってきたところだったので助かった。あのままだったら凍えてしまう。


 古着ですが、と言われたがやわらかくて薄い上質の毛織でできた部屋着のドレスは、ものすごく上等だと思う。贅沢にもたっぷりとひだがとってあり、裾や袖ぐりには丁寧な刺繍がしてあった。


「こんなの、わたくしが貸していただいて、よろしいのでしょうか」

「構いやしませんよ。持ち主の王妹・ベルトラーダ姫様はもう、嫁がれておりますし。大体、こんな遅くにこんな小さなお嬢ちゃんを召喚するだなんて、アインハルト坊ちゃ…いえ、陛下は何を考えていらっしゃるのやら」


 プンプンしながら身支度をしてくれた。どうやら話とその様子を考えると、彼女は国王陛下の乳母であり教育係だったらしい。立った少しの間だったが、彼女にはとても好感が持てた。


「さあ、参りましょうか。陛下はともかく、キール坊ちゃまは気が短いですから。この婆ばばが案内しましょうね」


 おとなしく、彼女の後についていく。王宮はどこもかしこも天井が広くて、柱や何かが立派だった。もはや自分がどこを歩いているのだか分からない。ひんやりとした夜気が身体を包む。全体が石造りだから空気が冷たいのだ。


「こちらが陛下の執務室ですよ。何かあったら叫びなさいな。わたくしがあの大きな坊やたちのお尻の一つでもぶって差し上げましょう」


 大きな扉の前に来ると、私と大して背の変わらない彼女がドアを難なく開ける。茶目っ気のある仕草が魅力的なおばあちゃんだ。


 ドアを開けると部屋の奥の机の前に、国王陛下が座っていた。その向かって右には王弟殿下が苦虫を嚙み潰したような顔をして立っている。ほっぺたをつねられでもしたのか、片方だけがほんのり赤い。ルーはもうどこかに行ってしまっていた。


「エヴァンゲリン・デンボフスキー参上いたしました」

「うむ。こちらに来るがいい」


 国王ではなく、その弟が高飛車に言い放つ。


ムッとしつつ、足を取られそうな絨毯をこわごわ踏みしめながら、呼ばれた方に近づいていった。それにしても、このキルデリクスという王様の弟はどうしてこんなに偉そうなんだろうか。まあ、立場的には偉いんだろうが。


「すまないな、デンボフスキー伯爵令嬢。とても時間がある、というわけではないのでいきなり本題に入らせてもらう」


 そういうと、国王は立ちあがり、執務室の右手奥へと進んでいった。そこには花瓶を飾れる程度のアルコーブがあり、そこにそれこそ花台になりそうな大理石の白い台があった。そして、それを90度ひねるとアルコーブが虹色の結界のようなものに変化する。なるほど、これは見せかけだったのか。


「こちらに来てくれ。儀式の間だ。私が認めたものしか入ることはできん」


 ここで断っても強制的に引きずられていきそうだから、大人しく観念してついていく。兄を呼んでほしかったが、待っている暇はないらしい。せめて、ルーがそばにいてほしかった。


「それでは…」


 虹色の壁を潜ると、ぶにょんという膜を通るみたいな妙な感じがした。そして、体がキラキラと金色を帯びる。ルーが我が家に入ってきた時と似ていた。きっと、まだ習っていないような結界魔法の一種なのだと思われる。それに続いて、王弟殿下も入ってくる。


 中に入ると、真っ白な空間が広がっていた。白の奥の空間にしてもやたらに広いので、一種の亜空間なのかもしれない。国王と王弟がたてる靴音以外は聞こえない。私の靴は布なので、ほとんど音はしなかった。


 正面の奥には、少し真珠色のぴかぴかした大理石のような石で作られた舞台があった。さらにその中央には巨大なオパールのような色をしている球体があった。神秘的にそれに浮かんでいる。


「ここが召喚の間だ。この球に触れるとあちら側が反応する」


 国王が球に手を入れると、ふわりとそこから分離するように精霊が立ち上がった。我が家にも時折出てくる程度の精霊だ。強めの中級の精霊だろう。人の形ではなく、美しい、牡鹿の形をしていた。


 精霊は、人に合わせた形でやってくる。元の形はおそらく誰も見たことがない。だが、力が強ければ人の形で現れるし、そうでなければ無理のない範囲で人に親しみのある形で現れる。


『ようやく連れて来たか。待っておったぞ。緊急事態だというに、まったく…』


 中級精霊は舞台の上に降り立ち、文句を垂れる。しわがれた老人の声だ。その口調が、前世の祖父のものとよく似ており、少しだけ親近感を得た。


「お久しぶりでございます、セルブス様。ようやく、大精霊さまをおろせる器を持つ者を探し当てました」


 国王陛下が頭を垂れ、精霊に謝っていた。どうやら中級でも、大精霊の眷属となると立場はかなり高いようだ。大きな体を縮め、恐縮したような感じで話す。そのわきでは王弟殿下が緊張した面持ちで牡鹿を見つめていた。


 それにしても、こうやって呼び出せるし話せるのだから、別に憑依させなくてもいいではないか。その方が断然楽である。乗っ取られる危険だって少ない。安全だし、確実だ。昔から、よく本で見かける儀式のその点がかなりよくわからなかった。


 召喚だけなら魔力が強ければいいはずである。悪魔に類するものも、精霊も呼び出せるはずだ。実際、国王陛下は呼び出している。なんで、憑依という面倒くさく、危険が伴うことをさせるのか。


『なんと!そんなにもたっておったのか。人の世界は分からんのう。だが、魔力もあるようだし、器は十分だ。姫様も召喚できよう』

「……大変申し訳ございません」

『だが……』


 牡鹿が国王に向かって滾々と説教を始める。鹿といえども結構表情が豊かだ。しかし、緊急事態とか言っている割に、説教を始めるとはなんか呑気である。


 そんなわけで、二人の世界になって置いてけぼりを食らってしまったため、私は手持無沙汰になり、こそっと国王のそばに立つ王弟殿下の袖を引いた。あんまり感じがよくない人だが、他に人がいないし、この人に聞くしかないだろう。


「あの…。こうやって召喚できますし、お話もできるのでしたら、憑依させる必要はないかと思われるのですけれど」


 すると、彼はものすごく軽蔑したような顔でこちらを見下ろした。背の低い者からすると、上から吹雪が吹き付けたような感じだ。こういう対応、前世でたまにあったが、この世界ではあまりなかった対応なので、むしろ新鮮である。


「我が国の主権は国王が握っている。しかし、独裁ではない。それはお前の頭でもわかるだろう?」


 ものすごく馬鹿にされた気がするが、ここは大人しくにっこり笑って頷く。また、彼の笑顔がひきつった。なんだろう、ちょっとこの感じ、くせになりそう。


「神託は、国王が独占していいものではない。基本的には宰相と、この国の興った時より王家につかえる八大貴族がいる前でおろすのだ。国王が神託をゆがめないようにな。まあ、兄上はそんなことはなさらないが。だが、精霊の姿が見え、なおかつ声が聞けるものは、どの時代でも八大貴族の中に二人もいればいい方だ。だから、憑依させるのだ」


 そして、なぜだか大精霊の方も、器がいるときにおりてくるのだそうだ。理屈的には魔力でも召喚できるらしいのだが、来てくれないのだという。


「はぁ…」


 間が抜けた声だけが出た。確かに、精霊とは気まぐれであり、精霊によっては呼び出す条件があるともいわれている。それを考えると、この大精霊を呼び出す条件が、器を備えることなのだろう。


「それより黙ってろ。兄上たちの話が終わるぞ」


 牡鹿と国王がいきなり私の方を振り向いた。



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