第9話 男装の麗人現る。

 ― うおおお!これ〇塚だよ!!!むっちゃ美人、かっこいい!


 おもわず心の中で絶叫した。ルーの母上ことアウ侯爵は、ゴージャスの金髪の巻き毛といい、凛々しい美貌といい、某男装の麗人を思わせる凛々しい美人だった。おまけに黒の軍服に包まれているお胸は豊満だ。これはミーハーな母が夢中になるのも無理はない。ああ、あの胸に埋もれたい。きっと素晴らしい心地に違いない。


 前世でも今世でも私の胸はささやかだ。成長中であるという言い訳もむなしいくらいである。見下ろしたところで普通に腹が見える、幼児体型だ。もう少し成長したら胸を強調した衣装を着なければならないので、今から気が重い。


 そんな風に彼女に見とれていると、後ろからささやかにつつかれる。はっとして貴族らしくあいさつを行った。スカートをつまみ、膝を曲げて挨拶をする。何度しても、前につんのめりかねない不思議な挨拶である。


「初めまして、アウ侯爵。エヴァンゲリン・マルガレーテ・オイフェミア・デンボフスキーです。本日はお招きにあずかり、ありがとうございます。アンナマリアと共に感謝しております」

「うん。まあ、気楽にしていてほしい。君はまだ未成年だしね。デビューもしていないのだから、社交界の礼を取らなくても大丈夫だ」


 なんだか呼び出された割に、ルーの母上は気さくであった。美人だしかっこいいし、これで3人の息子を生んだとは信じられないほどの若さだ。獣人特有の若さかもしれない。スタイルも見ほれるほどで、女性らしいラインはあるものの、しっかりと引き締まっている。


「ありがとうございます、侯爵」

「ところで、モルトケ嬢。メイド長のエザリントン夫人が色々と話を伺いたいそうだ。ホフマンに案内させるから、行って来てくれないかな」


 にっこりと笑う彼女に、おっと……、と思う。やはりアウ家のご当主は一筋縄ではいかないらしい。中身の見えない笑顔は、次兄のフロリアンにどことなく似ていた。


 思わずアンナマリアと顔を見合わせたが、否といえる雰囲気ではなく、彼女はホフマンに連れていかれてしまった。こうして私はアンナマリアと引き離され、侯爵と二人きりで(もちろん外に控えている人はいるが)過ごすことになってしまったのである。


「二人きりになれたね。エヴァと呼んでも?それともマギ―、ミア?」


 私に愛称を訪ねながら、応接室の机を中心にアウ侯爵が簡易結界を張った。これで中の様子は見えても音は聞こえなくなる。豪快に見えて、彼女は結構魔力の繊細なコントロールが得意なようだ。


 外の使用人には聞こえないし、手出しもできなくなったため、彼女が手ずから用意されたお茶を注いでくれる。このプフェルに似た香りのお茶はカマエメーロンだ。胃腸とリラックスによいハーブティーである。そして、わきにあった毒見用の杯に注ぎ、自ら飲んで見せた。


「さあ、召し上がれ。ああ、名前でいきなり呼ぶのはなれなれしいかな。許してくれるとうれしいけど」

「……どうぞ、エヴァと御呼びくださいませ」


 ― この人、男性だったら絶対にホストで№1になれたと思うわ。


 女性にしては低めの声で甘くささやかれ、思わずぞくりとしてしまった。確かに、お姉さまっていうのが学生時代は似合っただろうなぁ、と思わず納得する。


「ではエヴァ、ちょっといくつか聞きたいことがあるんだ。夫も一緒にね」


 そういうと、応接室の奥にあった、陶磁器を飾った棚の1つがギィという音を立てて開いた。そこから黒いローブを着た人が出てくる。あそこは隠し扉であったらしい。


 出てきた人物は、ずるずるした上着を着ているのと猫背なのとで、性別の判断も難しい。だが、「夫」といって出てきたのだから、この人物がアウ侯爵の伴侶なのだろう。慌てて、そちらに向けて礼をする。


 彼の人はゆっくりとアウ侯爵のわきまでやってくると、口を開いてあいさつをしてくれた。 


「…はじめまして、デンボフスキー令嬢。僕がアシル=クロード・ジョルジュ・ラドミロー・フォン・アウ。彼女の伴侶だ。名前を聞いてわかるとおり、ラドミロー家出身だ」


 ラドミローは魔族の中では有名な家だ。もっぱら人間に好意的で変わり者とされているという。数十年前に友好条約を取り付けるのに尽力したのもこの家だ。なるほど、ラドミロー家の者ならば侯爵家の当主と結婚できたのも頷ける。仲睦まじいという話だから、単なる政略結婚ではなかったのだろうが、そういう意味合いもおそらくあっと推察できる。


「ええ、ラドミロー家は存じておりますわ。祖母とも取引がございます」

「家業に熱心で関心だ」


 そういいながらフードを外すと、そこからルーの髪のベースと同じ、少しくすんだ金髪がこぼれた。3兄弟の父であるからには、少なくとも私の母と大して変わらない年なのだろうが、彼はあまりに若かった。長いまつ毛に縁どられた大きなアーモンドアイに、撫子色の唇、ぬけるような白い肌にほっそりとした姿態。アウ侯爵よりもよほど女性的だった。


「単なるお嬢さんではないようだね。俄然興味がわいたよ」

「うん、私もだ」


 何が興味を引いたのかわからないが、とりあえず、彼らは私に興味を募らせたらしい。じわじわと距離を詰めてくる。二人とも私よりも相当背が高いので、なんだか巨人に見下ろされている気分になる。特に、アウ侯爵は獣人である所為かそれとも軍人である所為か目つきが鋭く、非捕食者になった気分だ。


「まあ、とりあえず、席につこうか。アシル、お茶いるかい?」

「うん、ありがたいね。そうだ、とっておきのお茶菓子を出そうか」


 彼が空間魔術で取り出したのは、何と饅頭であった。和紙っぽい箱にみっちりと入った丸くて白い物体。つるりとしたタイプではない。表面に少々凹凸があるようなタイプだ。それぞれにてっぺんには何かよくわからないが焼き印が押してあった。


「お、お饅頭…!!」


 この十数年間焦がれたものに、目が釘付けになって、はしたない声が漏れてしまう。それはどう見ては軽羹饅頭と呼ばれる類のものであった。私の前世での何よりの好物だ。 


「ふふ。レオンがね、君がこの東の菓子が好きだろうって。そう聞いたから取り寄せておいたんだ。僕の姉がアキツに嫁いでいてね」


 後から来るよ、という。その言葉にレオンって誰だろうと思うが、すぐにルーだと思い出す。ややこしい。


 ちなみにアキツとは例の東の国のことである。どう聞いても日本と共通点があるので、もう少しして成人したら何としても旅行するつもりだった。まさか、お饅頭があるだなんて!


「さあ、召し上がれ。ヴェルテでないのが残念だけれど、カマエメーロンも悪くはないと思うよ」


 ヴェルテとは日本でいう緑茶に似た茶の一種である。すっきりとした後味が特徴だ。うきうきして見つめると、アシル=クロードがテーブルの上に合った皿にフォークを添えて饅頭を載せてくれる。それを受け取り、少々妙な光景ではあるがデザートフォークで軽羹饅頭を食べ始めた。


 口の中に懐かしい甘さが広がる。しっとりとしつつ、若干ざらついた触感。これぞまさしく軽羹饅頭。あんこの香りも懐かしい。軽羹の独特の香りも愛おしかった。この国では白あんしか作れなかったから、小豆のようなものがあるアキツの国がうらやましい。


「さて、エヴァ。話を聞こうかな」


 ひたりと二人に見据えられ、思わず動きが止まった。あんこに魅入られて忘れていたが、私は高位の貴族になぜだかわからないが呼び出されたという状況である。


 アシル=クロードとアウ侯爵の視線は、ひたりと私に照準を合わせられていたが、決して敵意のあるものではなかった。むしろ熱のこもった視線で、なんだか喜ばれているようである。


「…お話、とおっしゃられても、何をお話したらいいか、わたくし存じませんのよ」


 ごまかすように、お嬢様らしく笑って見せる。アンナマリア、お墨付きの笑顔である。真面目そうな私がやると、信用できるらしい。


「君の、いや君とレオの話を聞きたいんだ」

「私たちはね、レオンと君が会うのをずっと待っていたんだよ」


 アウ侯爵は私の目を見つめるとそう言った。冗談ではなさそうな雰囲気だ。淡い緑色の目は酷く真剣な光をたたえている。瞳孔が人間の者よりやや細長くなっているのは、窓から差し込む光の所為だろう。やはり彼女は獣人なのだ。


「あの、でも…わたくしご子息のレオンハルト様とは先日知り合ったばかりですの」

「だけど、私はレオンがずっと『トオコ』っていう子を探しているのを知っていたよ。あの子が2歳かな。話せるようになった時から、ずっと」


 彼女が視線を私からそらし、せつなげな表情をする。母親として思うところがあったのだろう。その表情から、私の胸も痛くなった。


 ルーは本当にずっと私を探し続けていたのだ。生まれてから15年間も。どんなにか長い時間だったろうか。いつ会えるかもわからない、どんな姿かもわからないなんて、気が遠くなりそうになったに違いない。


「僕が魔族じゃなかったら、あの子は病気扱いだっただろうね。だが、幸い僕は魔族だった。そして……時折前世の記憶を持って生まれてくる子どもがいて、その子たちが少々特異な体質をしていることを知っていた」


 アシル=クロードが空間から恐ろしく古い魔導書を取り出し、後ろの方のページを開いて見せる。そこには「前世の記憶を持つ者の特徴」と記されていた。なるほど。もとの世界と多少共通点がある時があったが、もしかしたら以前に私の様な人がいただろう。まあ、私だけ、とは思ってはいなかったけれども。


「僕たちはずっとレオンに監視をつけてそういう人物が現れないか見ていたんだ。もしもレオンに悪影響があるようなら排除しようと思っていたし、有益なら全面的に応援しようと思っていた」


 なるほど。それであの素早い対応だったのか。まあ、衆人環視のもとに色々とやらかしたので、報告は行くと思っていたが、呼び出しまで食らうと思わなかった。


「君は、知らないだろうけれど、前世の記憶を持つものはある意味で為政者には有益なんだ。この世界にはない知識を持っているし、囲い込むことで利益が得られる。だから、レオのことは王族などの顔合わせには極力出さず、大事に育ててきた。お茶会程度には出したけれどね」

「僕たちは、それだけの力を持っている。僕の家も彼女の家も。だから、君のことは守るから、どうかレオのことと君のことを聞かせてくれないかな」


 確かに、前世の記憶が有用なときもある。今だって私は前世の記憶をもとに金を生み出している。もしも軍事関係に明るい人物だったら、侵略や征服といった恐ろしいことだって起こりうるだろう。私だってそのくらいは想像がついたから、家族の誰にも言っていない。


「……つまり、わたくしが『トオコ』という人物だとおっしゃられているのでしょうか」

「そうだろう?間違ってはないと思うよ。少なくとも君の魔力の質は、前世の記憶を持つ者の特徴に合致している。僕はそういうものを見るのが得意でね。『トオコ』じゃないにしても、前世の記憶があるには違いない」


 この人たちが嘘を言っているようには見えない。それにアウ侯爵という立場も魅力的だ。王族の提案やごり押しを交わすすべを持っている。万が一、前世の記憶を持つことがばれ、私が王族に利用されそうになった場合、身を守るすべが必要だ。


「わかりました。私とレオンハルト様についてお話いたします。少々、刺激が強いかもしれませんけれども」

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