第8話 いよいよ、アウ家へ!

 光陰矢の如しというのは本当らしく、あっという間に訪問日はやってきた。


 この日のために、父は一番いい馬車をピカピカに飾り立て、御者やフットマンも見場が良い者をそろえた。私も朝から頭の先から足の先まで分不相応なまでに磨き上げられている。侮られないためには必要らしい。


「くれぐれも失礼のないようにするんだぞ。アンナマリア、頼んだからな」

「アンナマリア、貴方がいれば大丈夫だとは思うけれど、エヴァが粗相しないか見張っておいてね」


 父母がそろって何度目かの注意をする。アンナマリアが大層優秀なのは認めるが、何もかも私ではなく、彼女に言うのは釈然としない。横のアンナマリアを見ると、完璧な笑みを浮かべているが、呆れが微妙ににじみ出ている。両親の隣で彼女の母親であるモルトケ夫人が苦い顔をしていた。


「旦那様、奥方様、エヴァンゲリン様は優秀でいらっしゃいます」


 ねえ、エヴァ様、と私ににっこりと笑いかける。だけれども、瞳は笑っておらず、とりあえず逆らわない方がいいということだけは分かった。決して怒鳴ったりはしないが、怒った時のアンナマリアは恐ろしい。これは「まさか、失敗なんてしませんよねぇ」と脅されている。


「お父様、お母様。心配なさらないで」

「ええ、ええ。アンナマリアは心配してないわ、アンナマリアは」

「……お母様!」


 とどめのように言う母に、思わず非難めいた声を出してしまった。このままだと行く前に消耗しそうだ。


「でも、エヴァ!」

「ヘルミオーネ。もういいだろう。もう、行きなさい」


 父の声をきっかけに馬車のドアが閉められ、御者が馬に合図を送った。パカポコという小気味いい音と共に出発する。



 アウ家の屋敷は王都のほぼ真ん中にある。領地はほかに持っていても、普段は王都にいるのが旧家でなおかつ高位の貴族というものだ。


 そのことは理解していたから、城の近くに行くのだろうとは思っていた。確かの途中で城は見た。だが、馬車が入っていったのは、近所の屋敷群ではなく、木々が生い茂る森の中だった。


 地図を見て、森の存在は知っていた。だが、まさかそこに人が住んでいるとは思っていなかったのだ。うっそうとした森の中、迷いなく馬は進んでいく。


「アンナマリア、これ、王都の中心なのですわよね」

「左様でございます。王都の旧市街ですわ」

「わたくし、今までこの森を公園か薬園だと思っておりましたわ」


 王の居城から徒歩15分ほどにあるこんもりとした森。城に近いが、歩いていけない距離ではないから、王家所有の薬園か何なのだろうと思っていた。貴族が領地の居城のそばに薬園を持っていたり、狩場を持っているのは珍しいことではない。


「アウ家は今でこそ侯爵ですが、初代は国王の次男の方です。王都の屋敷も領地も最上級というのも当然なのですよ」

「そんな方が、わたくしに一体どんな用事なのかしら。やはり、どう考えてもレオンハルト様のことですわよね…」

「今まで接点がなかったのですから、間違いなくそうでございましょうね。……いいですか、決して!決して粗相をなさってはなりませんよ」


 にこにことして念を押すアンナマリアの顔が怖かった。目が一切笑っていない。私も家業を傾けたくないので、そこのところは色々と復習しておいた。ただ、普段、お茶会にすら滅多に出ない身としては、正直荷が重いと思っている。


 そんなことを思っていると、森に入ってから15分くらいだろうか。地球で言うイギリスの屋敷のようなものが現れた。だが、私たちが住んでいる簡易の屋敷ではなく、大きく壮麗な、本格的な屋敷である。我が家も領地に行けばこのような家があるらしいが、王都の中にこのようなものがあるとは驚きだった。


 外で何かしらの声が聞こえ、馬車が止まると、馬車の戸が開けられた。どうやらアウ家の玄関先に到着したらしい。


「着きましたわ。さあ、まいりますわよ、姫様」


 安全確認のために先にアンナマリアが降り、次に私が降りる。従者の手を取りながら、できるだけ優雅に淑女らしく階段を下りて見せる。余所行き用のコルセットで膨らませたスカートが非常に邪魔であるが、さすがに長い間履いているだけになれた。


 複雑な文様の柱で支えられた玄関の前には、家令と思われる壮年の男性とメイドがずらりと並んでいた。我が家とは異なる濃紺の制服にシンプルな白のエプロン。いかにもできそう、といういでたちに思わずごくりとのどが鳴る。


― 値踏みされそう……。


「ようこそお越しくださいました。デンボフスキー伯爵令嬢、並びにモルトケ嬢。アウ家の家令ホフマンと申します。主人のもとまでご案内を仰せつかっております」


 一部の隙もない見事な礼だった。彼に倣い、メイドたちも一瞬ののちに、完璧な角度で礼をする。ずらっと角度のそろった礼は圧巻だ。


「本日はお世話になりますわ。こちら、当家からのほんのささやかなお土産です。ご当主にお渡しくださいませ。アンナマリア」


 手土産を渡すのは常識である。珍しければ珍しいほどいいが、あまり高価すぎてはならないらしい。そして消え物が好まれる。今回は飴細工とアラザンで飾り立てたプロフィットロールだ。試行錯誤の結果、ようやく思い出したシュー菓子をアレンジしたのである。まだ、我が家のみのレシピで店には出していない。


「はい、お嬢様。どうぞ、こちらをお納めくださいませ。当家のものに作らせました菓子でございます。まだ、外に出したことがございませんので、お慶びいただけるかと」

「お気遣いいただきありがとうございます。後ほど主人のもとに持ってまいります。クララ、これを厨房へ。…それでは、こちらにどうぞ。ご案内いたします」


 ホフマンは流れるように美しい動作で必要なことをこなしていく。素晴らしく有能な家令のようだ。まったく無駄がない。彼についていよいよ足を屋敷内に踏み入れた。


 案内されてはいった玄関ホールは歴史を感じさせるものだった。階段の手すりや壁の木などは見事に黒光りしており、歴史を感じさせる大きな窓は特徴的な飾りがあった。確か400年ほど前に流行した形式の窓である。


 ともすると古臭く埃っぽいようなにおいになりそうな空間は、爽やかでありながら若干の甘さをもったヴァンダの香りで満ちていた。周りを見てみると南の地でよくあるように、ドライフラワーにしたヴァンダの花束がところどころに置いてある。


 外套と帽子を係のメイドに手渡すと、ホフマンが案内を続けてくれた。見れば見るほど見事な屋敷だ。彼についていくと、ひときわ大きな扉の前に来た。


「こちらのお部屋で少々お待ちくださいませ。当主が参ります」


 係りの男性が扉を開けると、中へと案内された。


 中は見事な応接室で、壁や窓辺には東から取り寄せたと思しき陶磁器が飾られている。面白いことに、この世界でも陶磁器は東国の名産品だった。いつかそこに行ったら、私の愛する味噌や醤油がないかと思っている。味噌はともかく、醤油を作るだけの知識は私にはない。


「お見事ですわねぇ。この陶磁器、100年は経っていましてよ」


 あちらこちらに飾られている壺や絵皿を見ながらアンナマリアが嘆息した。彼女はこういう骨董品に目がないのだ。感心してあちこち眺め回す。


 確かに100年前にこの陶磁器。当時はどれほどの権勢を誇っていたのだろう。その時代の陶磁器は金よりも価格は上だったはずだ。今でも磁器に適した土が発見されていないから、価値は100年前よりも下がったものの、磁器は重用されている。


「当時は公爵家なのでしょう?それならばこれも理解できますわね。さあ、あまり見回すのも失礼です。アンナマリア、座らせていただきましょう」

「あら、いつものわたくしのせりふですわね。申し訳ございません、少々興奮いたしましたわ」


 二人でちんまり腰かけて5分ほどしただろうか。扉をノックする音がして、ホフマンの声が続いた。


「当主が参りました」

「承知いたしました」


 礼儀として、私ではなくアンナマリアがそう返す。貴族の礼儀とは回りくどいものなのだ。返事をするなり二人して立ち上がり、扉のほうへと体ごと向ける。


 ぎい、ときしんだ音がして、そこから長身の女性が入ってくるのが見えた。


 ところどころ斑紋を思わせる色の入った豪華な金色の巻き毛に切れ長の瞳。目の色は空を思わせる見事な青だ。すらりと高い長身に、黒の軍服を着ている。だが、きれいに体に合わせてあるのでいかつくは見えない。


「やあ、よく来てくれたね。エヴァンゲリン・デンボフスキー令嬢。そちらのモルトケ嬢も。初めまして、私がベッティーナ・コンスタンツェ・フォン・アウだ」


 使用人であるアンナマリアにも挨拶をした彼女こそがアウ家当主、母憧れの君、ベッティーナ・フォン・アウであった。

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