第7話 準備は大切。
アウ侯爵というと、ルーの今の母上だったな、と思い起こす。名前だけはわたしも知っているくらいの人で、確か王妃殿下の近衛だった。その人に何かした覚えはない。
「なに、とおっしゃられましても、ご子息と面識を持っただけですけれども……」
兄の膝から降りて父に対峙する。父の手には白い、上質な紙でつくられた封筒があった。表に金の封蠟があることから、それが正式な書類であることがわかる。つまり、アウ侯爵家から正式な書面で何か我が家に届いたのだ。
「アウ侯爵のご子息と知り合いになったのか?ご長男かご次男か?それとも三男の方なのか」
父が青い顔のまま畳みかけるようにきいてくる。アルブレヒトは面白そうに事態を見守っているだけだ。ここに情報通のフロリアンがいたら、アウ侯爵家に関する色々な情報が入ってくるのだろうが、残念ながら外出中である。
「レオンハルト様ですわ」
ルーが何番目かなんて知らなかったので、それだけ答える。私の中ではアウ家の子息、レオンハルトではなく、猫のルーである。多くの獣人は獣体になれると聞くので、早く猫になってもらいもっふもふを堪能したい。そう意味は早く再開したいが。
「ああ……、ご次男か」
途端に、ほっとしたように父が息を吐いた。それはもう、安堵したというように。大商会の幹部にもかかわらず、豪胆さが足りない。
「何番目の方かというのが重要なんですの?」
「……ああ。もしもご長男ならば大問題だった。ご長男は、先日アルニム侯爵家に養子に入られることが、正式に決定したばかりだからな」
なるほど、私がちょっかい出したと思ったのか。失礼な。
まあ、確かに自分よりも上の立場の貴族の婚姻に嘴を挟むと、非常に面倒なことになる。我が家は商家よりの伯爵なので、貴族としての立場はあまり強くない。お金はあるけど。
「…まあ、そうでしたの」
「この手紙はお前に渡せ、とアウ家のご当主から私宛に送られたものだ」
未婚の女性あてに正式な形で招待状を送る場合、その保護者に送るのが通例である。保護者の許可を取る必要があるからだ。この世界は、前世よりも男女交際や何かについては厳しい。
「今日、レオンハルト様とお知り合いになっただけですけれども…」
ルー本人から手紙をもらうならばともかく、その母である侯爵から手紙をもらう覚えはないが、名刺を渡したことを思い出す。もしかして、それを見られたのかもしれない、と父に言う。
「なるほど、確かに変なところはなさそうだが…。お前の商業用の名刺か。…まあいい。とにかく開けてみなさい。アル、お前、ペーパーナイフを持っているだろう」
「持っておりますよ。…私が開けてもいいかい?エヴァ」
アルブレヒトが受け取って、私に確認を取る。もちろん否はない。
「お願いいたしますわ、お兄様」
彼はそのまま手紙を受け取ると、どこからか取り出したペーパーナイフで手紙を開ける。中には色とりどりの美しい花の絵で縁取られた華麗な便箋が入っていた。
それをまじまじと見つめる。非常に貴族的な言い回しで、ややこしい。だが、国語は得意なのだ。
それを読み解くと、つまるところ麗麗たる貴族的な文体で、以下のようなことが書かれていた。
『ちょっと聞きたいことがあるから、うちに来てくれない?』
― 最初っからそういう風に書いてくれればいいのに。
ということで、私はなぜだか、アウ侯爵に呼び出しを食らったのだった。
☆
父とアウ家の調整で、3日後の藍の日に訪問することになった。一般的には休日だ。ちなみに地球と同じく7日間であるが、1年は13か月だ。微妙に似ている。いわゆるパラレルワールド的なもんなのだろうか。
それはともかく、母とメイドたちはアウ家訪問に余念がない。時間があまりないので、当然と言えば当然なのだが、あまりにあわただしい。今も、学校に行く前だというのに、身体をより美しく見せるためにドレスを詰めていた。少しでもメリハリがあるように見せるのだそうだ。
― 寸胴で悪かったね!
「お母様、そろそろ制服に着替えたいのですけれど」
こころの中で文句を言いながら、主張する。あと少しで出ないと、授業に間に合わない。新調する時間がないから、今着ているこれを詰めてから刺繍を施し、格を上げるらしい。
「だめですよ。今日は馬車で送らせるから、きちんとしてからいらっしゃい。帰りも寄り道してもいいけれど、五の鐘が鳴るころには帰ってくるのよ」
娘がアウ家に招かれたというので、大張り切りである。何しろ、アウ家当主は母世代の女性のあこがれの的だったのだという。
「アウ家のご当主、ベッティーナ様は、それはもう美しい方なのよ。おまけに凛々しくてお優しいの。ご結婚なさる前は社交界でも引っ張りだこだったわ!ねぇ、アンゲラ」
成人に達した息子がいるとは思えないほど少女めいた母が、うっとりとしながらモルトケ夫人に言った。直接の付き合いはなかったが、心をときめかせていたという。アンゲラ・モルトケはわたし付きのメイド・アンナマリアの母だ。
「そうでございますね。アウ家のベッティーナ様と言えば社交界の華。魔族の方をお相手に選ばれたときは、貴族院が紛糾いたしましたわ」
今でこそ魔族との婚姻も珍しくなくなってきたが、両親の世代では、まだ偏見が強かった時代だ。大変だったことだろう。その時代に魔族と結ばれたのだから、よほど愛し合っていたか、政略結婚かのどちらかだ。
口を動かしながらも夫人は私の採寸に余念がない。彼女の裁縫の腕はメイドの中でも群を抜いており、重要なものは彼女がすべて採寸してデザインを見分してから仕立て屋に回すのだった。
「さ、エヴァ様、これでよろしいですよ。そーっと脱いでくださいませ。アンナマリア!制服を」
モルトケ夫人の掛け声に、音もなくアンナマリアがやってきて制服を着せかけてくれ、髪を結ばれる。
ようやく、私はその場から解放された。
☆
「と、いうわけでわたくし、アウ家にお邪魔することになりましたの」
特に止められていなかったので、翌日約束通り言ったカフェで、コニーにあらましを話す。昨日から、どうも気になっていたらしい。
「ええ~、あの痴漢もどき、ベッティーナ様のご子息だったのぉ。がっかりー」
あざとく出しているふっかふかの素敵な耳を横に寝せる。チェリーピンクの唇がツンととがった。ちなみに、うさ耳を出しているのはかわいく見せるだけでなく、情報収集の意味もあるらしい。
「あら、コニーもアウ侯爵のことはご存じなのね」
「それはもう!獣人のあこがれだもの~。フラメル商会のご息女だったイルメラさまが、初めて獣人としてアウ侯爵家に嫁がれたの」
大恋愛の末、前アウ家当主と結ばれ、生まれたのがベッティーナだという。獣人の地位向上に対して、多大なる貢献をしたとして、有名な一家らしい。
今でこそ偏見は少なくなってはいるが、獣人は獣の特徴があるからと低く見られがちだった。だからこそ、その婚姻で生まれた
「なるほどねぇ。色々な意味で大事なおうちですのね、この国にとって。わたくしが警戒されるはずですわ」
爵位こそあれど、平民と親しい我が家はあまり歓迎されていないのかもしれない。商人貴族と言われ、我が家は貴族、特に高位貴族にあまり心証がよくないのだ。
「うーん、いんちょーのおうちも商人から見ると、ちゃんとした貴族だけど、上のほうの貴族っていうのは違うのかなぁ。今は侯爵だけど、もともとは公爵だし、おつきあいは厳選してるのかも」
前当主の婚姻によって、アウ家は公爵から侯爵に落とされた。それは一代限りとのことで、あと数年ベッティーナが近衛を務めあげたら、褒美として公爵に戻ることが決まっているという。獣人の中では有名な話なんだそうだ。
「まあ、偉そうだこと」
だれが、とは言わずにいう。表立って王家に対して文句を言うわけにもいかない。
「まーねぇ」
人参ケーキの最後のひとかけらがコニーの口の中に入っていく。新作は彼女のお口に合ったようだ。
「頑張ってね、いんちょー」
「……とりあえず、失礼がないように気を付けるわ」
なんだかますます行くのが憂鬱になってきた。
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