第6話 問題の始まり。 

「痴漢?容赦しないよぉ」


 突き付けられた足元はうっすらと魔力を帯びている。キックする気満々だ。魔力で強化したウサギ獣人の脚力で蹴られたら、騎士科の学生と言えどただではいられないに違いない。


「コニー!誤解、誤解ですからっ。感極まって、私が抱き着いてしまっただけですのよ!」


 慌ててルーから離れ、コニーに抱きついてなだめる。こんな時に不謹慎だが、お胸がフカフカして気持ちいい。抱き着くと、ちょうど胸のあたりに私の顔が来るのだ。


「感極まったって、いんちょー、知り合いなのぉ?」

「え、ええ!そう!!そうなのよッ」


 目の前で起こる茶番に、ルーは耳を引っ込め、襟元を正して騎士科の男子らしい装いを取り繕った。騎士たるもの、常に身ぎれいにしていなければならないらしい。家でもユルゲンがぶつぶつ言いながら毎晩ブーツと徽章を磨いている。曇りが1つでもあったら先輩の拳固をもらうと言っていた。


「すいません、僕の行動が紛らわしかったですね。昔のよしみで親愛の情を現したのですが、僕らの年齢では誤解を招いてしまう軽率な行動でした」


 にっこりと笑うと、まるで本物の貴公子のようだった。フォンの称号は伊達ではない。それだけの看板を背負っているのだ。


「そ、そうなの。コニーが気にすることなど全然ありませんのよ。それより、私の所為で遅くなってしまったわ。カフェに行きませんこと?」


 ルーはきらきらしい笑顔で、私は優等生面で場を取り繕う。体を離して様子をうかがうと、コニーのうさ耳と鼻がルーを探るようにぴくぴく動いていた。


 そして、非常に胡散臭そうに双方をみると、一つもぐらつくことなく、すっと足を下ろす。恐るべき体幹だ。


「……いいんちょがいいなら、いいけどぉ。ほんとに大丈夫?」

「大丈夫ですわよ。怪しい人ではありませんわ。ほ、ほら!騎士科の徽章ですのよ」


 慌てて彼の襟元の徽章を指し示す。そこには騎士の盾と剣を意匠としたブロンズの徽章が輝いていた。ブロンズは3年生の色だ。ちなみに我々2年生は黒で、紋章は杖に巻き付いた、英知の蛇である。


「レオンハルト・フォン・アウです。彼女の兄上のユルゲン・デンボフスキー氏とは旧知の間柄となっています」

「ええ。ですから何も心配ありませんのよ」


 コニーの目つきは胡乱だが、とりあえずはその場は収まったらしい。チェリーピンクの唇を尖らせながらも前のめりの姿勢をやめてくれた。そのままなだめ、正門へ向かう方へと誘導する。


 その際に、持ち歩いていた名刺をこっそりルーの懐に潜り込ませ、慌ててその場を立ち去ったのだが、この私とルーの再会が思わぬ化学反応を引き起こし、自分の全く思いもしない方向に人生が転がっていくだなんて、この時は思わなかった。



「やっぱ、今日はもう帰ろっか?いいんちょー疲れているみたいだしぃ」

「まあ、悪いわ、そんなの。お約束なのに」


 正門に移動すると、そんなことを言われた。カフェに行く気満々だったのだが、私の顔色がよくないと注意される。元気だったけれど、ショックは大きかったのかもしれない。


「いいよぉ。バタバタしたし、仕切り直して明日にでも行こ?ね?新作の人参ケーキ食べたいし」


 悪いと思いつつ、提案に乗る。多分、厄介ごとがあるような気がしたのだ。コニーの気遣いがありがたい。


「行ったら、おごらせていただくわ。ありがとう、コニー」

「うふふ。じゃあ、明日ねぇ。絡まれたら、言うんだよ、いいんちょ~」

「大丈夫ですわよ。アウ侯爵のご子息ですもの。身元は分かっているのですし」


 そして、大きく手を振ってから別れる。別れ際のコニーは若干心配そうな顔をしていた。彼女が建物の角を曲がり、帰路に無事就いたことを見て私も帰路につく。


 家の外に出ていいことになって以来、外歩きは私の日課となっていた。この西欧人のような体は、すぐに足の筋肉が落ちて棒切れのようなメリハリのないものになってしまう。それに気づいてからは、できるだけ歩くようにしている。


 学外では常に、ボディーガードがついているのでできる行為だ。家族からも許可が下りている。長兄の部下のトレーニングも兼ねているという。尾行が下手で、時々ばれるやつがいるのが面白い。長兄は宮廷魔術師の中で、戦闘に関連することを行う立場にいるのだ。


 今日の担当者は、今一つの尾行能力だった。私が店の大窓に寄って眺めるごとに、いらっとした気配を感じる。きっと早く帰れ、と思っているに違いない。そうこうしているうちに家の前に着く。途端にいらいらした気配がふっと消えた。


 町中の屋敷の前にたどり着くと、住人に反応して門扉が開かれる。許可を得たもの以外は入れない。科学ではないけれどセキュリティ面でも、意外に前世と遜色ないのである。


「ただいま戻りましたわ」

「「おかえりなさいませ」」

「おかえりなさいまし、お嬢様」


 屋敷の中に入ると、あちこちから声がかかる。我が家は割と使用人との距離が近いほうだ。それは貴族と言いながらも商家に近いからだろう。


 私付きの若いメイドのアンナマリアが、さっとやってきて私の外套と鞄を受け取る。なかなか慣れなかったが、さすがに14年もお嬢様をやっていれば使用人にもなれる。すんなりと流れるような動作で渡すことができた。


 そのまま部屋に移動して着替える。人に肌をさらすことも、メイドに対してだったら何にも思わなくなっていた。慣れたものである。


「今日は疲れたわ。柔らかいワンピースを出してちょうだい」


 そう言うと、さっと仕立てと素材は良いが簡素なワンピースが出される。それに、ふわふわした毛織のカーディガンを羽織らせてくれた。ワンピースだけではそろそろ夜は寒いから、という見事な気遣いだ。頬にかかった髪を少し跳ねのけると、すかさずアンナマリアが、髪をリボンでゆいなおしてくれた。。


「そう言えば姫さま、アルブレヒト様がお帰りですよ」

「あら、アル兄さまが?」


 長兄がこの時間にいるのは珍しい。三人の兄の中で、私はこのアルブレヒトを一番好ましく思ってた。


「ええ、お仕事が早く終わられたとかで。図書室にいらっしゃいますよ」

「じゃあ、そちらに行くわ」


 そのまま図書室へと移動する。同じ階なので移動は楽なものだ。街中の屋敷なので狭いというが、前世の私からすれば恐ろしいほど広い屋敷である。


 がちゃ!と勢いよく扉を開けると、正面奥の窓辺のソファに長兄が座っていた。夕暮れの光と相まって、幻想的な雰囲気である。観賞用には実に美しい兄であった。


「アル兄様、ただいま帰りましたわ。今日はお早いお帰りでしたのね」

「ああ、今日は殿下が城にいらしたのでね。ところで、今日の警備はどうだった?」


 ゆったりと本を読んでいる兄に近づくと、そのまま抱えられて膝の上に乗せられた。時折、小さい私をからかうように、兄たちは抱えたりおぶったりするのだ。母と私以外、この家の人間はかなり背が高い。


「今一つですわね。寄り道するたびに、苛ついた気配がありましたもの」

「うん、そうだろうな。指導しておこう。あいつはいま一つコントロールが甘くてな」

「後、忍耐力もですわね」


 兄の職業はなかなかに耐え忍ぶことが多いと聞く。いくら武力に優れていても、あれでは無理だ。こらえ性がない。


「そういえば、アウ家の子息と何かあったと聞いたぞ」

「まあ、いやだ、お兄様。もうご存知ですのね。でも、特に問題はありませんのよ」

「気をつけなさい。お前も一応貴族の端くれだ」

「ええ、承知しておりますわ」


 そうだ、前世は猫でも今はアウ侯爵の息子。うっかり変な対応をしたら、きわどいことになるだろう。気をつけねば。


 我が家は伯爵で、身分的には中間くらいだ。だが、父と王家とのつながりがあまり強くないので、さほど重要視される家柄ではない。大してアウ家は当主が近衛をやっていると聞く。つまり、何かあったら、とがめられるのはうちだ。


 そんな、兄妹としてはかなり親密な距離で会話を交わしている最中、ダンダンダンという固い靴底が床を打つ音が聞こえてきた。あれは父かユルゲンだろう。洒落者のフロリアンはあんな重い靴は履かない。


 アルブレヒトもいささか怪訝に思ったのか、二人で顔を見合わせる。


 その時、図書館の扉が開き、父が入ってきた。


「エヴァンゲリン! お前、いったいアウ侯爵に何をしたんだ?!」


 父の端正な顔は青ざめていた。

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