第1話 さらば、一度目の人生よ!
その日は、人生で最悪な日だったといえる。そう、私が死んだ日だ。大往生ならば、ともかく、不慮の死なのだから最悪と言っていいだろう。
そもそも、その日は朝から最悪だった。朝、出がけに予定より2分早くバスが行ってしまった。お昼は苦情に対応している間に食べ逃し、夕方には子育て中で時短の同僚にマウントされ、私と同じ独身の年配女性には格好が浮ついていると注意を受ける。ちょうど、上からも下からも突き上げられる年頃だ。
これらだけだったら、ちょっと不幸な一日だったのだが、とどめに仕事の帰りに見合い相手にこっぴどく振られたのだ。職場のお世話焼きのおばちゃんに押し切られて、見合いをしてからきっかり3回目のことであった。
真面目過ぎてつまらない、容姿に華がないという理由だった。あっそう、という程度の感想で、むしろ思ったよりもショックがなかった自分に、ちょっとショックを受けていた。
しかし、職場から直行だと、これが限界である。職業的にも役職的にもこの髪型と恰好が理想的なのだ。むしろ淡いピンクのツインに濃いめのベージュのスカートなんて、私にしてはものすごく頑張ったほうだった。色だけは白いから、その格好でも、まあいいんじゃないと同僚にも一応はお墨付きをもらっていた。
もちろん、見合いの席には気合を入れていったのだ。ふんわりと髪を巻き、きらきらしたメイクを施し、品が悪くないほどに胸が開いたブラウスを着て見合いに臨んだのである。可愛いですね、と言われたし、自分でもそこそこの出来だったと思う。
だが、本日の仕事帰りの私の格好はひどくお気に召さなかったようだ。きっと彼は、もっと若くてかわいらしい子が好みなんだろう。つまり、縁がなかったのだ。
「あー、もう。早く帰ってあいつらと遊ぼう…」
昼食に続いて食べ損ねた夕飯を、ムーンバックスで済まし、誰もいないのを見てから伸びをする。不幸な一日だった。
ちなみに、あいつらとは我が家の猫たちのことである。愛犬を亡くした後、半年たって辛抱堪らなくなり、友人が保護している保護犬に貢ぐために餌を買いに行ったペットショップで偶然に出会った。次に買うのなら保護犬と思っていたけれど、縁とは不思議なものである。
そこにいたのは小さなケージから出され、大きな中央のケージで不貞腐れたようにしっぽを振っている白と茶の大柄な子猫と、チョコレート色に黒のシールポイントがかわいらしい小柄な子猫。ちびのほうは大柄な子猫の腹にうずもれていた。
どちらもかわいいのに売れ残りで、3分の1以下の値段だった。明日にはもっと格下のペットショップに行くという。最終的には猛禽類のお肉かも…と言われた。
きっとうまく乗せられたのだろう。そんなことはわかっている。
だが、居ても立ってもいられなくなり、その場で両親に電話をし、勝手に飼うことに決めた。幸いにも、両親に生活費と家賃を渡すだけの地味な生活のおかげで、貯金はそれなりにある。
今までの人生、私が両親を押し切ったのなんて、それが初めてだった。とにかく、半ば強引に2匹を連れて帰り、飼い始めたのだ。
「ただいまー」
こっそりとあいさつしながら家の玄関を開け、さらに廊下にある引き戸を引くとそこには2匹の猫がちんまりと座っていた。両親はすでに寝ているらしく、静かなものである。
いや、1匹はちんまりというには語弊があるかもしれない。何せ、骨格が大きすぎて、太っていないにもかかわらず8キロある。しかも長毛種で存在感が半端ない。逆にもう1匹はシャムのようにすんなりとした短毛種で、それこそちんまりとかわいらしい。
「父さんと母さんはもう寝てるんだね」
「んなぁー」
「にぃにぃ」
足元にまとわりついてくる2匹が愛おしい。同時に抱き上げて頬ずりをする。お返し、とばかりに冷たく湿った鼻をつんと押し当てて、あいさつをしてくれた。猫なんて、と渋っていた両親だが、飼ってみればそれなりにかわいがっている。出たくてたまらなかった家だが、この子たちのためにはよかったかもしれない。
「さあて、お風呂に入ろうかな~」
2匹の耳と尻尾がピン、と立つ。どちらも扉越しにシャワーで遊ぶのが大好きだ。ピンクと小豆色の肉球が透明アクリルの扉越しに見えるのは、何ともかわいらしい。シャワーをかけてやると追っかけて遊ぶのだ。
そのまま部屋に行き、荷物を置いてから下着や寝間着をもって移動し、服を脱ぎ始める。
そして、その時はきた。
ずずん、という地響きとともに、大きめな地震が起きる。だが、これくらいの地震ならば今までもあった。大したことはない。だが、その日の私は運が悪かった。
そこには、風呂場には母が通販で買って設置した棚があった。洗濯物を入れるためのもので、通常より奮発したらしく、なかなかいい、重量のある木材だったらしい。それが倒れ掛かってきた。また固定していなかったせいで、グラグラとしていたのだった。多分、明日にでもストッパーを付ければいいと思っていたんだろう。
そして、棚のたどり着くその先には、猫たちがいた。ちびのほうは、危険を察知したらしく、シュッと逃げる。あの子は体の通りすばしっこい。しかし、もう一方は驚いたように目を見開き、固まっていた。体は大きい分、おっとりとしていて鈍い。
私は慌てて救い出しにスライディングする。
それが記憶にある私の最期だった。
佐南透子34歳。もうすぐアラサー終了。棚と洗濯機の間に挟まれ、胸を強打して半裸で死亡。
最後に聞いたのは、にぃーっというちびの叫びだった。
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