第28話 FLY ME TO THE ROMIO

 むんむんと湿った熱風が頬を撫でる午後5時少し前。


 ジュリエット・フォン・モンタギューは薄暗く埃っぽい廃工場の中で、顔をしかめながら小さくため息を溢した。


「随分と落ち着いていますねぇ~、ジュリエット様。もうちょっと慌てふためいてくれてもいいんですよぉ~? そっちの方が人質として価値が上がりそうですしねぇ~」

「あいにく、この手の事には慣れているからな。今さら生娘きむすめのようにキーキー騒ぐこともあるまいよ」

「達観してますねぇ~」


 ねぇ~、だーりぃん♪ と甘えた声をあげながら、ジュリエットの前でロミオゲリオン零号機の胸板に背中を預ける花咲。


 零号機はそんな子猫のように甘えてくる花咲に微笑みを添えると、後ろから彼女の貧相な身体をギュッと抱きしめてやった。


 それだけで花咲は鼻の穴をこれでもかと広げ、満足そうにンフー♪ と息を吐く。



 正直、新手の拷問かと思った。



 手足を拘束され、見たくもない喪女もじょとアンドロイドのラブシーンを2時間に渡って見せられているのだ。


 例えるのであれば、苺牛乳の中に練乳を入れ、角砂糖をたんまり淹れた超甘々な飲み物を無理やり一気飲みさせられた気分だ。


 もはやイライラを通り越して、殺意すら湧いてくる。


 なにイチャついとんねん貴様ら? と。


 もちろん、そんなことなんぞ言えないジュリエットは、仕方なく勃起しそうになる中指を抑え、目の前のバカップルから視線を切った。


 そして目に入るのは倉庫の入口で周りを警戒している人口筋肉の塊ことロミオゲリオン弐号機の姿だった。


 弐号機はいまだジャミングされ続けているのか、あれだけ眩しかった笑顔は鳴りを潜め、今はのっぺりとした表情で辺りを警戒し続けていた。


「あぁ~、もうすぐロミオゲリオン初号機に会えると思うと私、ワクワクが止まりませんよぉ~。いよいよ私だけのハーレムが――違う、アンドロイドたちを解放する日がやってきたんですねぇ~」

「おいおいハニー? 僕というアンドロイドが居るのに、他のアンドロイドに色目を使うだなんて……いけない子だ」

「もう怒らないでくださいよぉ~、零号機ぃ~♪ もちろんアナタが1番に決まってるでしょ~?」

「まったく調子のいいことばかり言って……困ったハニーだ。その唇を僕の唇で塞いじゃうぞ?」

「あ~ん♪ 塞いでぇ~っ! ムチュっと塞いじゃってぇ~ん♪」


 不愉快極まりない声音と共に、急速に花咲と零号機の顔が近づき――ジュリエットは見るのをやめた。


 ピチャピチャと、いやらしい水音が2人の方から聞こえてくる。


 そのたびにジュリエットの瞳から光が急速に失われていく。


 人間、あぁはなりたくないな……と心の底から軽蔑しつつ、今すぐこの両の耳を取り外してガンジス川で洗濯したい衝動に駆られる。


 あぁ、耳を塞ぎたい。


 出来ることなら耳を塞いでこの目の前のバカップルにガソリンをぶちまけ火をけてやりたい。


 ジュリエットは両手に力をこめるが……かなりキツく縛ってあるのか、拘束が外れる気配は一向にない。


「チュパッ――ふぅ……無駄ですよぉ、ジュリエット様。仮に拘束を解いたとしても、零号機と弐号機がすぐアナタを捕まえますからぁ。だから余計なことはせず、初号機が来るのを大人しく待っていてください~」


 大丈夫、アナタにはコレ以上危害を加える気はありませんからぁ。


 と、零号機のB地区を服の上から指先でコリコリしつつ、花咲はジュリエットに微笑みを浮かべた。


「私の狙いは初号機だけですぅ。初号機さえ手に入れば、すぐに解放してあげますよぉ」

「随分とロミオに……初号機にご執心だな?」

「そりゃあもうっ! ずっと目をつけていた機体ですからねぇ!」


 花咲は今まで以上に興奮しているのか、女性がしてはいけない恍惚とした笑みを頬のたたえながら、喜々として口を開いた。


「まるで本物の人間のような匂いと体温、それでいて野生動物のようにしなやかで美しい脚っ! 女を誘ってやまない色気たっぷりのバッキバキに割れた腹筋に、女を発情させるフェロモンをまき散らしているとしか思えない血管の浮いた太い腕っ! まさに私が夢にまで見た理想の肉体ですぅっ!」


 んふっ! んふっ! と鼻の穴が限界突破しそうなほど興奮しきった花咲は、口からヨダレが垂れていることもお構いなしに、さらに言葉を重ねていく。


「ぶっちゃけ顔は好みではないのですが、そこはまぁ、あとあと私好みにカスタマイズしていきますよ。とにかくあの女の理想を固めたような肉体っ! 欲しいですぅ! 超欲しいですぅ!」

「……もはや建前すら言わなくなったな」


 ジュリエットは今にも粗相そそうをしでかしそうな花咲にドン引きしつつ、胸の内でどす黒い何かがモヤモヤと湧き上がってくるのを感じていた。


 なんというか……初号機をエロい目で見られるのがすこぶる不愉快なのだ。


 ロミオの性格も知らないクセに、見た目だけで判断するこの独身女がすこぶる不愉快でたまらない。


「まったく、マイハニーは浮気性なんだから……。焼けちゃうね、どうも」

「大丈夫ですよぉ、零号機っ! ちゃんとアナタと初号機の人格データは入れ替えてあげますのでっ!」

「ということは、もうすぐ僕が初号機になるのかい? そんなこと、可能なのかいハニー?」

「もちろんっ! 私を誰だと思っているんですかぁ?」


 ムカムカと腹を立てるジュリエットをあおるように、その薄っぺらい胸をえへんっ! と張る花咲。


 その仕草が何とも癪に触ったので、ジュリエットはついつい彼女につっかかってしまった。


「ロミオはボクのモノだ。おまえのモノはじゃないぞ?」

「いいえ、もうすぐ私のモノですよぉ。それから申し訳ないんですがジュリエット様? 人の男の名前を軽々しく呼ばないでもらえませんかぁ?」


 至極不愉快そうに眉根をしかめる花咲。


 瞬間、シュボッ! ジュリエットの怒りの導火線に火が点いた。


「ほ、ほ~う? それはそれは……悪いコトをした。すまない」

「いえいえ、以後気を付けていただければそれで大丈夫ですからぁ~」

「ただ1つだけ。1つだけ忠告させてもらえるか?」


 忠告ですかぁ? と牛乳瓶の底のように厚いメガネの奥から不思議そうにジュリエットを見つめる花咲。


 ジュリエットは万感の思いをこめて、その果実のように瑞々しい唇をニィッ! と歪めた。


「そう簡単に事が運ぶとは思わないことだな」

「??? どういう意味ですか?」

「なぁに、簡単なことだ」


 ジュリエットは見ているコチラがゾッとするほど綺麗な笑みで、ハッキリとこう口にした。



「ボクのロミオがそう簡単に捕まると思うなの?」

「……マスター、来ました。ヤツです」



 いつの間にか近くにやって来ていた弐号機の野太い声が大気を震わせる。


 それと同時に、廃工場のさびびついた扉がぎぃぎぃと悲鳴をあげながらゆっくりと開いていく。


 まるで地獄の扉を開くようなその重々しい響きに混じって、近くで休んでいたカラスたちが一斉に飛び上がる。


 なんとも不気味な雰囲気だ。


 やがて扉が開き切ると、奥から涙が出そうなほど爽やかな青空と共に、執事服を身に纏った1人の青年が4人の前に現れた。


 それはアンドロイドというにはあまりにもガラが悪く、地獄の使者と呼ぶにはあまりにも優しい顔をした男だった。





「――お待たせしましたジュリエット様。【汎用ヒト型決戦執事】人造人間ロミオゲリオンTYPEタイプ初号機、ただいま参上つかまつりました」




 そう言って笑うロミオゲリオン初号機の顔は、何故かあの安堂ロミオバカと重なって見えた。

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