第25話 最期のシ者

 ジュリエット様が我が家に居候としてやって来て早5日経った今日この頃。


 どうも最近お嬢様の様子がおかしい。


 どうおかしいのか? と聞かれたら少々答えにきゅうしてしまうが……具体的に言うと、挙動不審が目立つようになったのだ。


 俺が声をかけると、ビクッ! と肩を震わせたり、「な、なんだ!?」と上ずった声をあげたり、視線をあっちこっち彷徨さまよわせたりと、何と言うか落ち着きがないのだ。


 いや表面上は落ち着いているように見えるんだけどさ、何と言うか、俺もお嬢様と一緒に生活して半年近いせいかな、細かな所で普段のお嬢様との違いに気づいてしまうのだ。


 最初は体調が悪いのかとも思い、熱なんかも測ったりしたが、すこぶる健康体だったし……一体なにが彼女をおかしくしているのか皆目見当がつかない。


 そしておかしいと言えば、俺の身の周りでも不可解な現象が多発している事だ。


 まず俺のパンツが日に日に減っている。間違いなく減っている。


 洗濯はお嬢様の強い希望により、弐号機が全てを取り仕切ることになっているのだが……何故か俺のパンツが1枚も返ってこない。1枚もだっ!


 流石にこれはおかしいと思い、ソレを弐号機に問いただした所、



『??? オレはフツーに洗濯してるだけだぜキョーダイ? キョーダイが出し忘れただけじゃないのか?』



 と真顔ですっとぼけられてしまった。


 なので1回お風呂から出た後、脱いだパンツ確認するべく放り投げた洗濯機の中身を見たのが……神隠しにあったかのように俺のお気に入りのパンツが消えていた。


 うん、もうホラーだよね。


 あとホラーで思いだしたんだけどさ、なんかお風呂を入っている時さ、脱衣所に誰か居るような気配を感じるんだよね。


 何て言うか、すごく興奮したように『んふっ! んふっ!』って荒い鼻息が聞こえてくるし、ガサゴソと何かを漁るような変な音も聞こえてきて……もうね、怖くてお風呂から上がるに上がれないっていうね。


 もう最近じゃ、お風呂に入る時間が怖くて仕方がないっていうね。


 ほんとアレ何なの? 変態の幽霊でも居るの?


 おかげで神経過敏になってしまったのか、ときたまリビングに居るときでも肉食獣に狙われているかのようなドロドロした熱っぽい視線を感じてしまってしょうがない。


 キョロキョロと辺りを見渡しても、近くにはジュリエット様しか居ないし……もう我が家が怖いっ!


 そろそろ引っ越しをするべきか考え始めたある日の昼下がり、唐突の事態が急変し始めた。




 ◇◇




 その日は自室のクーラーの調子が悪く、仕方がなくリビングにて撮りためていた新作アニメを観ていた時のことだ。


「あの……ジュリエットちゃん?」

「なんだ?」

「いやその、さ? 何か距離……近くない?」

「別に。これくらい普通だろ」


 そう言って、ふっくらとした唇を尖らせながら、俺の腕にピッタリとくっつく位の距離であっけらかんとそう答えるお嬢様。


 少し視線を下げれば、目が潰れそうなほど真っ白な太ももが飛び込んできて、思わず生唾を飲みこんでしまう。


「どうしたオリジナル? 鼻息が荒いぞ?」

「し、新作アニメが手に汗握る展開で、つい興奮しちゃって!」

「コレは日常系アニメだぞ……?」


 自分のエロさに無自覚なのか、無邪気な瞳が俺を襲う。


 や、やめて! そんなビー玉みたいに澄んだ目で俺を見ないで!


 お嬢様は今日も今日とて腰の下まである半袖パーカーを羽織っており、下は履いているのか分からない状態だ。


 しかも、無防備に体育座りなんかして見るもんだから、『ちょっとごめんねぇ~?』とか言いながら彼女の前を横切れば、さぞ素晴らしい絶景を見ることが出来るだろう。


 クソッたれめ! 何故俺には時を止めるスタ●ド能力が備わっていないんだ!?


 もし時を止めることが出来るのなら、真っ先に能力を行使し、時の止まった時間の中、固まっているジュリエット様の正面まで移動して、その絶景を網膜に焼き付けながら涅槃ねはんに突入する所なのにっ!


「お、おい大丈夫かオリジナル? 身体が震えているぞ?」


「大丈夫、別におかしいことじゃないよ。人間は恐怖に震え、悲しみに震え、怒りに震え、喜びに震える生き物だからさ。こんな素晴らしいアニメをジュリエットちゃんと見れて、嬉しくて震えているんだよ」


「そ、そうか? ……そうだな。確かに人間は喜びに震える生き物だ。ボクもロミオと再会したときは――」

「へっ? 『ロミオと再会』? 親父のヤツ、まだ家に帰って来てませんけど?」

「……間違えた、今のは忘れろ」


 ジュリエット様は誤魔化すように俺から視線を切ると、何事もなかったかのようにテレビに顔を向けた。


 その瞳は食い入るようにテレビアニメに夢中だが、心なしか俺の方を意識しているような気がしてならない。


 ……なんだか最近、お嬢様との距離が異様に近い気がする。


 いやね? 確かに俺は自意識界のプリンスと言われるほど、自意識過剰の申し子だけどさ。流石にコレは……ジュリエット様の方から俺に近づいている気がしてならないよね。


 お、おかしい? お嬢様は『安堂ロミオ』を毛嫌いしていたハズだ。


 何なら肉体的に接触した部分をヤスリで削り取らんばかりの勢いで俺のことを嫌っていたハズ……それが今はどうだ?


 口調はいつもの外面のアレだが、身体はまるで子犬のように俺にピッタリくっついて離れないようにしている始末。


 そうこれはまるで、ロミオゲリオン初号機と接するような距離感だ。


 一体この数日でお嬢様の身に何があった?


「ね、ねぇジュリエットちゃん? そんなにくっついて暑くない? 暑いよね? 汗ダラダラだもんね? ちょっとお兄さんと離れようか? ね?」

「暑くない。いいから黙ってアニメを観ていろ。今、いい所だろうが」


 そう言って一向に俺から離れようとしないお嬢様。


 これはマズイな。


 何がマズイって、お嬢様の体温やら汗と混じった甘い匂いやらが俺の五感をダイレクトアタックしてきて、自然と我が下半身に住むオマタノオロチがムクムクと……いけない! コレ以上はいけない!


 弐号機が別室で筋トレしているとはいえ、今、この空間は俺とお嬢様の2人だけ。


 このままでは間違いなく間違いが起こってしまう!


 自分自身に恐怖しながら、少しだけお嬢様と距離を取ろうとキッチンへ避難するべく腰を上げ――ようとしたら、チマッ、とTシャツの裾をジュリエット様に握り締められた。


「待て、どこへ行く?」

「ちょ、ちょっと飲み物を取りにキッチンまで」

「そうか。わかった。ならボクも行く」


 そう言ってお嬢様はスクッと立ち上がると、母犬に付いて回る子犬のように、俺と一緒にキッチンまで移動してきた。


 ……何か最近のお嬢様、俺の行方を異常なほど気にするようになったよなぁ。


 何て言うか、俺が視界から消えると『おいオリジナルッ! どこへ行った!?』ってわめき散らしながら家の中を捜索するし、常に俺の傍を離れないようにしている気がしてならない。


 ほんと俺、自意識過剰で気持ち悪いなぁ。そんなコトあるワケないのにさ。


 なんて思いながら冷蔵庫から麦茶を取り出して、2人分のコップに注いでいく。


「ジュリエットちゃんも飲む? 麦茶? キンッキンに冷えてますぜ?」

「あぁ、いただこう」


 俺から麦茶を受け取りながら、その白い喉をコクコク動かし、麦茶を飲み干していくお嬢様。


 どうでもいいけど、飲み物を飲んでいるときの女の子って、ちょっとエロいよね。


 それにしても、ここ数日でお嬢様の罵倒をすっかり耳にすることが無くなってしまったなぁ。


 ココにきた当初は親の仇バリに罵詈雑言がシャワーのごとく俺の身体を貫いたというのに、今では罵倒を耳にすることすら無くなってしまった……。


 いや別に寂しくは無いよ? 俺、Mじゃないんで。ほんとだよ?


 さっきのやりとりだってさ、いつものお嬢様なら、



『当たり前の事を聞くな、このウスノロが』



 というドM大歓喜の台詞を皮切りに、俺の耳元で豪華ごうか絢爛けんらんな罵倒のエレクトリカル・パレードを開催するハズなのに……罵倒どころか、そこはかとなく今のお嬢様の瞳は優しさで満ち溢れているような気がしてならない。


 う~ん、ほんとここ数日でお嬢様の身に何が起きたというのか?


「? どうしたオリジナル? ボクの顔に何かついているのか?」

「あぁいえ、今日もジュリエットちゃんは可愛いなぁって思って」

「ッ!? お、おお、お世辞はいいっ! それよりも早くリビングに戻るぞ!」


 フンッ! と鼻を鳴らしてズンズンとリビングの方へと大股で移動するジュリエット様。


 その耳は後ろからでもハッキリと分かるほど赤く染まっていた。



 えっ? なに今のリアクション?



 俺はてっきり『気持ち悪いことを言うな。見ろ、おまえのせいで鳥肌が立ったじゃないか』と責められると思ったのに……なんでそんな恋する乙女みたいなリアクションをするのお嬢様ァァァァァッッッ!?


 ジュリエット様の予想外の行動に心臓がバクバクとエイトビートを刻み始める。


 ちょっ、しんどい! 可愛すぎてしんどい! 逆にしんどい!


 と、限界オタクになりかけていた俺に向かって、一足先にリビングへと戻ったお嬢様が、


「何をしている!? はやく来い!」


 と声を張り上げる。


 俺は高鳴るマイハートを誤魔化すように、「へいっ、ただいま!」とお嬢様に負けないくらい声を張り上げながらリビングへと移動し――





 ――ピンポーン。





 と、狙い澄ましたかのように我が家の呼び鈴が鼓膜を叩いたので、思わずビクッ! と身体を震わせてしまう。


 ま、まさか東京都から放たれた刺客か!?


 ロリコンを抹殺するべく、わざわざここまでやって来たのか!?


「んっ? 誰だ?」

「お、俺が見てくるからジュリエットちゃんはリビングに居ていいよっ!」

「いや、ボクも行こう。居候の身だからな、少しは働こう」


 そう言ってリビングから戻って来たジュリエット様は、ピッタリと俺にくっついて離れようとしない。


 ……クッ、まずいな。


 こんな所をキャツら見られたら、まず間違いなく(社会的に)られる。


 こうなったら一か八か窓から逃げるか? 


 いや、東京都からわざわざこの地へやってきたキャツらの尋常ならざるフットワークの軽さを考えるに、逃げるのは愚策中の愚策。


 だとすれば、俺に残された道はただ1つ。






 ――るしかない。今、ここでっ!






「どうしたキョーダイ? 誰か来たのかぁ? オレが出ようかぁ?」

「気にすんな弐号機キョーダイ。おまえは筋肉とたわむれていれば問題ない。ここは俺に任せておけ」

「OK,分かった。それじゃさっそく上腕二頭筋とコミュニケーションをしてくるぜ!」


 そう言って、俺の部屋で筋トレしていた弐号機が扉だけを開けてひょっこりこちらに視線を送ってくる。


 その額にはダイヤモンドのように輝く汗が珠のように浮かんでおり、扉の隙間からうっすらと雄臭い汗の匂いがキッチンの方まで漂ってきた。


 俺は男性ホルモンの塊と化した弐号機をさっさと部屋に戻しながら、覚悟を決めて玄関へと歩みを進める。


 もちろんお嬢様も一緒だ。


「ジュリエットちゃん……もし俺に何かあったら親父には『アナタの息子で幸せでした』って伝えてくれるかな?」

「玄関を開けるだけでは?」


 なんでそんな決死の覚悟をしてんだコイツ? と自分の置かれている現状を正しく理解していないお嬢様から疑惑に満ちた瞳を送られる。


「大丈夫、ジュリエットちゃんは絶対に安全だから。俺が保障するよ」

「だから玄関を開けるだけでは?」


 そうジュリエット様は絶対に安全なのだ。


 危ないのは俺だけであって、彼女は可哀そうな被害者という立場になるだけ。


「それじゃ……開けるよ?」

「頼む。しかし、なんで緊張しているんだおまえは?」


 震える指先でドアノブを握り締め、大きく息を吸い込む。


 ……ここは勝負所だな。


 ジュリエット様に気づかれない速度でキャツらのタマを刈り取り、音速で、いや光速で玄関を閉めれば、よしっ! イケるっ!


 気合を入れろ、俺。ここが安堂ロミオの分水嶺ぶんすいれいだと思えっ!


 自らを守るべく、全身に緊張を走らせながら、いつでも拳を繰り出せるように右手を軽く握りしめる。


 さぁ来るなら来い! 俺が相手になってやるっ!


 行くぞぉぉぉぉぉぉっっっ!!


「…………」

「どうしたオリジナル? 早く開けてやれ、相手が可哀そうだろう?」

「OK,OKっ! 今、開けるよ」


 気がついたら、ゆっくりと後ろに後退していた。ふっしぎぃ~♪


 俺はお嬢様にせっつかれ、改めてドアノブを握り締める。


 よ、よしっ! こ、今度こそ開けるぞっ!


「開ける……開けてやる……開けてやるぞぉ」

「…………」

「お、お、おっ! 俺は扉を開けるぞジョジ●―ッッ!!」

「えぇい、じれったい! もういい、ボクが開ける!」

「あぁっ!?」


 待ってジュリエットちゃん!? と俺が制止するよりも速く、お嬢様がパンドラの箱を――我が家の玄関を開けた。


 ヤバいッ!? 出鼻をくじかれた! キャツらが襲ってくる!?


 俺はやってくるであろう衝撃に備えて全身に力を込める。



 ……が、一向に予想した衝撃が身体を貫いてこない。あれ?



「い、一体何が?」

「あのぅ? ここは、安堂勇二郎主任のお宅で間違いないでしょうか?」


 混乱する俺を他所よそに、自分に自信が無さ気な女性の声が玄関へ木霊する。


 慌てて意識を自分から玄関に向けると、そこには牛乳瓶のように暑いメガネをかけ、ボサボサに乱れた髪を簡単に後ろでまとめ、迷彩柄の軍服ようなモノを着込んだ女性がオズオズといった様子で立っていた。


 んっ? 誰だこの女性ヒト


「あ、あのぉ? 私の話が聞こえてますでしょうかぁ~?」

「あ、あぁごめんなさい。はい、ここは安堂勇二郎の家で間違いないですけど……えっと、アナタは?」

「ひぅっ!? す、すみませんっ! すみませんっ! 申し遅れてすみませんっ!?」

「いや、そこまで謝らなくても……」


 なんだかやたらと腰の低い人だなぁ。


 ペコペコと頭を下げる軍服の女性は、何故か涙目で俺たちをしっかりと見据えながら、その不毛の大地の化したカサカサの唇を動かした。


「私は安堂勇二郎主任の直属の部下である花咲沙希はなさきさきですぅ~」

「はぁ? 親父の部下ですか……それはそれは、ご苦労様です。でもすみません。親父のヤツ、実はまだ家に帰って来ていなくて……」

「あぁいえいえ~、その安堂勇二郎主任から言づけを受けてやって来たんですぅ~」

「親父から言づけですか?」


 はひっ、と呂律の回っていない口調で小さく頷きながら、軍服の女性こと花咲沙希さんはこう口にした。








「――私は主任の命を受けて、ロミオゲリオン弐号機と初号機を回収するべく、ここへやって来ましたぁ~」

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