第17話 マッチョと味噌汁
その日、俺は生まれて初めて味噌汁の匂いで目を覚ました。
「……なんかスッゲェいい匂いがする」
寝ぼけ
我が家で料理をするのは基本的に俺だけなので、まず美味しそうな味噌汁の匂いで目を覚ますことなどありえない。
だというのに、キッチンの方からトントントントンと包丁の軽やかな音色や炊き立てご飯のイイ匂いが漂ってくる。それだけで腹の虫が主の意志に反して、勝手に起き上がってくる。
「腹減ったなぁ……」
俺は
キッチンへ顔を出すと、そこには朝の
うん、もう一発で目が覚めたよね。
扉を開けたら2秒でマッチョっていう、ホモビデオ界でも中々見ない視覚の暴力を前に、俺の意識が一瞬で覚醒したよね。
「んっ? おぉっ、キョーダイ! ようやく起きたか、おはよう! 今日も清々しいいい朝だぜ! さぁ、ホットでタフな最高の1日の始まりだ!」
「……おう、おはよう弐号機」
俺は真っ白な歯をキラッ☆ と輝かせながら爽やかな笑みを浮かべるマッチョこと【ロミオゲリオン弐号機】に視線を送りながら、心の中で頭を抱えた。
弐号機は初めて出会ったときのようにパンツ一丁のまま……ならまだ良かったのだが、一体どこで仕入れたのか超絶フリフリの真っピンクのエプロンを着用していた。
しかも最悪なことにエプロンの裾がギリギリ弐号機の鋭角パンツを隠す形になっていて……傍から見たらもう完全にマッチョの裸エプロンにしか見えない。
「どうしたキョーダイ? 元気がないぜ? はっは~ん? さてはちゃんと筋トレをしてないな? よし、この後はオレと一緒にレッグ・ツイストでもやって最高の汗でもかこうぜ!」
「……気がむいたら、な」
わずか数秒で俺にとんでもねぇトラウマを植え付けた筋肉モンスターからのお誘いをやんわり断りながら、キッチンを後にする。
背後で「まったく、良い筋肉をしてるクセに、釣れない男だ」と弐号機が肩を竦める気配を感じながらリビングへと移動する。
ちなみに弐号機の言っていた【レッグ・ツイスト】とは、いわゆる2人組で行う腹筋運動のことである。
片方が
まぁ単純だが、これがまた……クるのだ。
もう何がクるって、単純に押し返されるのもキツイが、ランダムに両足をブン投げられるので、もう腹筋がグチャグチャになるのだ。
おかげで1秒たりとも気が抜けず、常時戦闘態勢という、俺の中でもっともキツイ筋トレトップ3に入るヤベェ奴なのだ。
正直、朝からやりたい運動ではない。
というか、鋭角パンツを装備したマッチョとやりたくない。
だってさ、もし俺が仰向け側になったらさ、あのマッチョのハイレグ気味なパンツを見つめながらヤることになるんだぜ?
ピチピチの
コレを人は何て呼ぶか知ってる? 精神的拷問って言うんだよ?
ほんと俺があと少し若かったら間違いなく児童相談所に駆け込んでいる所だ。
「あっ、センパイ♪ 今日は珍しく起きるのが遅いですね?」
リビングへ移動するなり、鈴を転がしたような軽やかな声音がマッチョのロケット発射台がごときシックスパックの残像を洗い流してくれた。
ここ1年ほど聞き慣れた声にふと口角が緩みそうになりながらも、俺はいつものイケてる先輩の表情を崩すことなく、リビングの一角で腰を下ろしてテレビを見ていたメイドさんに挨拶した。
「う~す、ましろん。おはようさん」
「はい、おはようございます。ちょうどセンパイの好きな『おは占い』をやるところですよ?」
そう言って寝起きの俺に笑みを向けてくれるのは、元『白雪家』令嬢にして現モンタギュー家のメイド見習いである我が愛しの後輩、白雪真白たんだった。
今日も今日とて朝の陽射しに照らされて、色素の薄い髪がキラキラと輝いて、まるで妖精のようだ。
ほんと何度も見ているハズなのに、全然見慣れる気がしないわ。
と、後輩の容姿に見惚れていると、当のましろんが不思議そうに俺に向かって小首を傾げてきた。
「どうしましたセンパイ? ボーッとしちゃって? まだ眠いんですか?」
「いや、我が家にメイドさんが居るこの光景にちょっと感動してたわ」
「あぁ~……。センパイ、何気にメイドさん大好きですもんね?」
「むしろメイドさんが嫌いな男の子ってこの世に居るの?」
「……朝から
後輩と軽口の応酬をしていると、首筋にナイフを押し当てられたような冷たい声音が俺の鼓膜を叩いた。
あぁ……やっぱり昨日のは夢じゃなかったんだ。
と改めて現実と向き合う準備をしながら、その絶対零度の声に引かれるように視線をましろんの横へとスライドさせた。
そこには粒子が
俺は唇の端がヒクヒク震えるのを感じながら、下手くそな笑みを顔に張り付けつつ、その少女の名前を呼んだ。
「お、おはようございます。ジュリエットさ……ちゃん」
「ふん。まったく、こんな時間に起床してくるとは情けない。ボクのロミオは規則正しい生活を送っていたぞ? おまえも『オリジナル』なら規則正しい生活をするんだな」
「す、すいません……次から気をつけます」
「『次』はない。『今』から気をつけろ、このニートが」
「せめてフリーターと呼んでください……」
初めて向けられるジュリエット様からの敵意にも似た鋭い言葉に、朝から俺の気力がガンガン削られていく。
つい1週間前まで俺のご主人様だったジュリエット・フォン・モンタギュー様はつまらなそうに鼻を鳴らしながら俺から視線を切り、再びテレビの方へと向き直ってしまう。
俺は心の中で小さくため息をこぼしながら、『今日1番ラッキーなのは……かに座のアナタ!』と声を張り上げるアナウンサーの
夏休みということもあり、今日のお嬢様は制服でもなければ、パンツスーツ姿でもない。
半袖のロングパーカーを1枚羽織っているのだが……それが腰の下あたりまでしかないんだよね。
おかげでパーカーの裾から60デニールのパンストがよく似合いそうな健康的な生足が伸びていて……なんていうか、超ミニなスカートを履いているように見えてしまうのだ。
しかも体育座りでテレビに集中しているせいで、良い感じにパーカーの裾が上がり、ギリギリの所でパンツが見えそうで見えない、なんとも男心をくすぐる有様なのだ。
流石はお嬢様、よく分かっていらっしゃる。
常時見えそうで見えないという、丸見えよりも一層男心をくすぐるその姿こそ、男たちは大好きなのである!
まったく、見た目は小学生のクセにここまで俺の心を
(センパイ……見すぎです。このスケベ)
(ッ!? ま、待てましろん、誤解だ!)
(ナニが誤解ですか……来年
ジトッ、と湿った視線を俺に向け、どこか責めるような口調でイケてる先輩を
もちろんお嬢様にバレないように、小声でやりとりしているのだが、どういうワケか彼女の言葉は俺の身体を大音量で走り抜けていく。
い、いけない! このままだとましろんの中にある俺の『知的でクールなナイスガイの先輩♪』としてのイメージが壊れてしまう!?
気がつくと俺は慌てて弁明の言葉を述べていた。
(ち、違うぞましろん!? 俺はただあのパーカーの下が気になっただけだ!)
(ナニも違わないじゃないですか……。そんなに気になります、アレ?)
(メッチャクチャ気になる)
(相変わらず自分に正直ですね、センパイ)
(いやだってさ? あんな短い裾だぞ? 下に何か
(ちょっとセンパイ必死過ぎません? 普通にキモ……怖いんですけど?)
(そりゃ
何故か若干ドン引きしている後輩を尻目に、俺は改めてジュリエット様の下半身を確認した。
う~ん、あれだけ短いと下に何か穿くは難しい気がするなぁ。
俺がお嬢様のパーカーの下のパンツを下から見るか、横から見るか、本気で悩んでいると、当の本人からジロリッ、と横目で睨まれてしまった。
「なんだ、ボクを舐めるように見て? いやらしい。見世物じゃないぞ?」
「ッ!? へ、へいっ! わかっとります! ただちょっと……」
「『ただちょっと』……なんだ?」
「……いえ、何でもないです」
ヘヘッ、と誤魔化すような笑みを浮かべながらお茶を濁しにかかる俺。
いや、流石に本人に向かって『そのパーカーの下、パンティですか? だとしたら最高に素敵ですね!』とは言えないよ……。
あぁ、ここで問答無用でお嬢様のパーカーを
「ふんっ。用が無いならジロジロ見るな。おまえの視線はいやらしくて嫌いだ」
「ご、ごめんなさい……」
人間嫌いのお嬢様の言葉に思わずドキッ! としてしまう。
どれくらいドキッ! としたかと言えば、声優さんのブログのタイトルが【ご報告】だったときぐらいドキッ! とした。やめてぇ~、結婚しないでぇ~っ!?
「まったく、こんなロクデナシと少しの間でも同じ屋根の下に居なければいけないだなんて、反吐が出そうになるわ」
「俺は涙が出そうです……」
あれ? もしかして雨漏りしてる? 頬に生温かい雫が当たるんですけど?
お嬢様は心の底から気持ち悪そうな軽蔑しきった瞳で、チラッ、と俺を
う~ん、流石はお嬢様だ。わずか
(なんかセンパイに対してお嬢様、当たりが強くないですか?)
(しょうがねぇよ。今の俺は【汎用ヒト型決戦執事】人造人間ロミオゲリオン初号機じゃなくて、どこでも居る普通のイケメンである安堂ロミオなんだ。むしろ人間嫌いのお嬢様が俺と同じ空間に居てくれること自体奇跡というもんだ)
(いやまぁ、お嬢様が人間嫌いだってのは真白も分かってはいるんですけどね? それにしては、センパイにトゲトゲしくありませんか?)
(それは多分、根本的に俺のことが嫌いなんだろうなぁ……)
自分で言ってて悲しくなってくる。
多分、先月我が家に強制家宅捜査にやってきた際に、その……アレだ。俺のホニャララパ~なDVDとか観られた影響だろうなぁ。
アレからお嬢様の中の安堂ロミオの株は日経平均株価並みに大暴落したもんなぁ。
ましろんが『何か心あたりでもあるんですか?』と言った視線を向けてくるので、苦笑で返す。
これは流石に先輩の股間――違う、
なんて考えていると、お嬢様がもう1度盛大にため息をこぼした。
「ハァ……さっさと『ロミオ』を連れ帰りたい……」
心底つまらなさそうに桜色の唇をポショリと動かしながら、テレビに視線を向けるジュリエット様。
そう、ジュリエット様が朝から我が家に入り浸っているのには、彼女のパイパイの谷間のよりも深い
あれはそう、昨日の夜……ジュリエット様たちが安堂家に不法侵入した後の出来事だ。
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