第16話 ロミオの価値は

 金次狼と士狼さんが芽衣さんと青子ちゃんの手によって無理やりあーちゃんのお家へドナドナされていくのを確認した夕方の午後6時少し過ぎ。


 俺は今日の晩御飯の支度のため、スーパーで食材を買い漁り、1人カラカラと自転車を押しながら茜色に染まる町中をのんびりと歩いていた。


 東の方ではうっすらと夜が走ってきており、何とも言えない幻想的な景色が目に眩しい。


「懐かしいなぁ……そう言えば俺がまだ小せぇ頃、母ちゃんとよくこの道を散歩したっけ」


 確か俺がまだラブコメの良さに気づけずにいた時代だから……小学校低学年の頃だったかな?


 当時、読んでいたラブコメの主人公があまりにもヘタレというか、ラッキードスケベ・イベントが発生しているにも関わらず、まるで菩薩のようにノーリアクションというかスカした態度を取っている姿に共感出来ずに、ついつい買い物帰りにママンに愚痴ったことがあるのだ。



『どうしてラブコメの主人公はヒロインのスカートに頭を突っ込んだり、お風呂に突貫したりしているのに、あんなに冷静で居られるの? 意味分かんないよ』



 みたいなことを言った記憶がある。


 あの僕らの性義のヒーロー、ガンジーだって13歳そこらではセ●クスのことしか考えていないドスケベ小僧だったのに、どうしてラブコメの主人公たちはヒロインたちとエロハプニングが起きても動じることなく、むしろ気取った態度で接するの? 性欲をお母さんのお腹の中に置いてきたの?


 と、俺は純粋な疑問をママンにぶつけた。


 するとママンは、西の空へ沈んでいく太陽を愛おしそうに眺めながら、


『アイツらはね、別に性欲が無いワケじゃないのよロミオ? ただアイツらもプロだから。現場に入る前は極限までヌいて、仕事に臨むのよ。万が一間違いが起こらないようにね』


 それがプロフェッショナルってものよ――と、感慨深そうにそうつぶやくママンに、当時のガキんちょだった俺は衝撃を覚えた。


 そうだったのか、あいつら、そんな逆AV男優みたいなことをして仕事ラブコメをしていたのか……。


 自分の仕事に誇りを持ち、どんなにヒロインがエロくても絶対に【おさわり】しない。女の子を孕ませるのは二流のすること、と言わんばかりに己を律し続けるその強靭な精神力。


 もはや修行僧を通り越して悟りでも開眼しているんじゃないか? と思わせる主人公たちのたぐいまれなる努力を知った幼少期の俺は、それ以来ラブコメの主人公をリスペクトするようになった。


 俺もいつか自分の仕事に誇りを持てる、そんな生き方をしてみたい。と、幼心にそう決心したっけ。


 まぁその結果、今、無職のプー太郎なんですけどね?


「ほんとあの頃は毎日が宝石みたいにキラキラと輝いていたなぁ……」


 夕日が目に染みたのか、目の前の景色がちょっとだけ歪んだ。


 俺は目尻に浮かんだ涙をピッ! と親指で軽く拭いながら、アパートの自転車専用駐車場へとデリヘル号を置きに行く。


 そのままカゴに入れていた買い物袋を引っ掴み、今にも底が抜けてしまいそうな2階へ続く階段をカンカン♪ と軽やかなステップで上がりきる。


「そう言えば母ちゃんの野郎、今頃どこに居るんだろう?」


 去年のクリスマス『お母ちゃんより強いヤツに会いに行ってくる』って、どこぞのパチモンファイターみたいな事を口走りながら、携帯ゲーム機片手に世界旅行へ行った我がママ上。


 あの人は今頃ナニをしているのだろうか?


 まぁあの人のことだ。どこへ行ったとしても……ロクなことはしていないだろう。


 久しぶりにママンの顔を思い返しながら、玄関の鍵を開け、ゆっくりとドアノブを握り……俺の身体が硬直した。



「……誰か居る」



 部屋の中に親父マイ・ダディの気配じゃない、複数の人間の気配を察知した。


 これは……涼子ちゃんじゃないな。涼子ちゃんなら俺に気配を気取られるような初歩的なミスはしない。


 そして大神一家は今現在あーちゃん宅で事情聴取中だ。


 とくれば、考えられる可能性はただ1つだ。




「サンタさんだ。サンタさんが来たんだ……っ!」




 間違いなかった。あの不法侵入者のロリコン野郎がとうとう我が家にやって来たのだ!


 刹那、俺の細胞がうなりをあげ、肉体を戦闘態勢へと強制的に興奮させる。


「あのクソジジィ……とうとう我が家にきやがった!」


 安堂ロミオ19歳、恥ずかしながら今まで生きてきた人生の中でサンタと呼ばれるロリコンジジィを見たことが無い。


『今年もイイ子じゃなかったから、サンタのじぃさん、プレゼント持って来なかったぞ?』と毎年のごとく母ちゃんに言われ続けて幾星霜いくせいそう


 プレゼントを渡さないサンタなど、ただの不法侵入者であり、幼心ながら俺は家族を守るためにサンタ狩りを決行しようとした。


 が、サンタの野郎も狡猾こうかつである。俺の前に一向に姿を現さなかったのだ。


 それでも俺は諦めなかった。


 いつサンタが我が家を強襲してもいいように、毎日頭の中でサンタ捕縛シミュレーションを実施していたし、クリスマスには必ず白装束を着て、ヤツの返り血で真っ赤にドレスコートした後、俺がサンタさんに成り代わる準備も万全であった。


 そしてその努力が今、実を結ぼうとしている。


「上等だ……今日こそヤツの顔面にミートパイを叩きつけてやるぜ」


 もちろん出来立てのな! と心の中で付け加えつつ、俺は意識を集中して部屋の中の様子を探る。


 おあつらえ向きに、サンタの1人がトコトコと俺の居る玄関の方へと近づいて来る気配を察する。


 俺は一度大きく息を吸い込み、全身の筋肉を緊張させながら、その瞬間を待つ。


『――??? ――っ! ――……?』


 玄関の向こうでサンタの1人が何かを言っていた。


 雰囲気から察するに完全に油断している。チャンスだ。


「なんか妙に聞き覚えのある声だなぁ」とか「サンタの爺さん、女の子みたいな声してんだなぁ」とか、そんなコトは一旦頭から追いやり、酸素を身体中に行き渡らせる。


 5、4、3、2、1――サンタが振り返った。今っ!


 瞬間、俺はバンッ! と玄関の扉を蹴破けやぶらんばかりの勢いで、我が家に突入。


 そのまますぐ近くでビクッ!? と肩を揺らす金色の髪をした小学生もどきのサンタへと襲い掛かった。


「な、なんだ!? うわっ!?」


 と、声をあげる金髪サンタを無理やり廊下に組み伏せる。


「!? お、お嬢様!? 何ですか今の声は!?」

「どうしたお嬢! 何かあったか!?」


 異常を察知したのか、部屋の奥に居た2人のサンタも慌てた様子でこちらに駆けてくる気配を肌で感じ、半ば怒鳴りつけるように俺は声を張り上げた。


「動くなッ! 動けばこのサンタの命はないぞ!?」

「「ッッッ!?!?」」


 部屋の奥でピタリと制止するサンタ共の気配を感じる。未だ姿は見えないが激しく狼狽ろうばいしている雰囲気だけはハッキリと分かった。


 俺はゆっくりと呼吸をしながら、関節をキメ押さえつけている金髪サンタを一瞥した。


「おっと、余計な動きは見せるなよ? お互い、綺麗な身体のままでいたいだろう?」

「……何が望みだ?」

「そんなこと決まっているだろう? 俺の望みは今も昔もただ1つ。おまえの顔面に手作りのミートパイを――」


 と、そこまで口にして俺は気づいた。



 何かがおかしい、と。



 この氷のように凍てついた声音といい、触れれば斬る! と言わんばかり鋭い雰囲気といい……何故か俺の知っている女の子と目の前のサンタの姿が重なって見えてくる。


 俺はよくよく目を凝らし、押さえつけているサンタ――いや、少女の姿を凝視した。


 洗い立ての太陽のように肩まで切りそろえられた金色の髪。華奢なクセに全身くまなく柔らかい身体。生足が眩しいデニムミニなパンツに、清潔感溢れる白のTシャツからハミ出る横乳。


 俺はぜひともパンストを履いて欲しい魅惑の脚線美から視線をあげ、彼女の顔を見る。


 するとそこには、息を飲むほどの美少女が碧い瞳を睨みつけるようにして俺を見ていた。


「へっ? ……えっ?」

「ミートパイが、何だって?」


 金髪美少女の声が鋭く耳朶じだを打つ。が、正直それどころではなかった。


 俺は彼女を知っている。


 無表情で他人に冷たく、無機物以外なにも信じない氷のように冷たい少女……とは表向きの顔で、本当は優しくて寂しがり屋な天真爛漫な子犬のように可愛らしい女の子。


 そして、つい1週間前までは俺のご主人様だった女子校生。


 そう、彼女の名前は――





「――じゅ、ジュリエット様っ!?」

「……おまえのその顔と声でそう呼ばれるのは虫唾むしずが走るな」





 嫌悪感バリバリの瞳で俺を睨みながら、ジュリエット・フォン・モンタギュー様は忌々しそうにそうつぶやいた。


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