第27話 悪役令嬢は鐘の鳴る夢を見るか?

「――うむ? ……あれ? 生きとるじゃと?」


 マリアが次に目を覚ます、真っ白な見知らぬ天井が視界いっぱいに広がった。


 いや、正確にはここ数年見てこなかった天井が視界に納まっていた。


 この天井は見たことがある。


 まだ病弱だった幼少期の頃に何度も通ったモンタギュー家系列の病院の天井だ。


 しかも超VIPしか入ることができない、最高級の病室の。


「ど、どういうコトじゃ? た、確か妾は誘拐されて、火事に巻き込まれ、そのままお陀仏だぶつしたハズでは……?」

「せ、先生ッ! マリア様が起きました!」

「大きな声を出さなくても聞こえてるよ」

「す、すみません……つい」

「な、何じゃ? 誰じゃ?」


 マリアは寝起きの頭を必死に動かしながら、自分の身に起きた出来事をゆっくりと反芻はんすうしようとするのだが、それよりも早く、近くに控えていたナースが声を張り上げ、彼女の思考をぶった切った。


 マリアは億劫おっくうな身体を動かし、声のした方向に目線を向けると、そこにはピンク色のナース服に身を包んだ若い女性と、ボサボサの頭に白衣をまとった妙齢の女性がホッとしたような顔つきでコチラを見ていた。


「おはようございますマリア様。気分はいかがでしょうか?」

「……お主は確か院長の娘の」

桃井ももい百乃もものです。今は父の後を継いでこの病院の院長をしています」


 そう言って穏やかな笑みを浮かべる桃井


 マリアは彼女と向き合おうと身体を起こそうとするが、力が入らず、よろけてベッドから落ちそうになってしまう。


 が、そこは院長というべきか、素早くマリアに寄り添い、彼女をゆっくりとベッドの方へと戻した。


「無理はいけませんマリア様。煙を吸い込み過ぎた影響で、まだ頭も身体も本調子ではないのですから」

「桃井院長……何故妾はここに? 妾は確か火事で死んだハズじゃ……?」

「お礼ならあの人型アンドロイドの、確か……ロミオゲリオンでしたっけ? 彼に言ってあげてください」


 下郎に? と首を傾げるマリア。


 いまだに状況が呑み込めない彼女に、桃井の傍でひかえていたナースがやや興奮気味に口を開いた。


「いやぁ、もう凄かったですよ、彼! 自分だってボロボロのクセに、意識を失ったマリア様をここまで背負せおって走ってきたんですよ!? しかも私たちの目の前で『自分の持てるモノなら全て差し上げますので、どうか彼女を治療してあげてください!』って、土下座までしてきて、ほんと驚きましたよ!」


「ふふっ、よほど彼に愛されているんですねマリア様?」

「む、むぅ……」


 何故かドキッ! と心臓が高鳴ってしまい、マリアはバツが悪そうに顔をそむけた。


 だがようやく状況が飲みこめてきた。


 どうやら妾が意識を失ったあの後、妾を助けるべくあの下郎はもう一度あの火の海の中へ飛び込んできたらしい。


 まったく、どこまでお人好しというか、何と言うか……。


 1歩間違えていれば自分だって死んでいたというのに。


 ほんとバカな男である。


 バカでマヌケで……何とも愛らしい男である。


 思わず口角を緩みそうになるのを、マリアは意志の力で何とか統率し、すまし顔のまま桃井に声をかけた。


「ところで、その下郎……ロミオゲリオンはどこに居るんじゃ?」

「そ、それは……」

「えっ?」


 桃井が一瞬暗い顔を見せる。


 途端にマリアの胸に言いようのない不安が爆発的に膨れ上がっていった。


 ま、まさか……?


 いや、そんなハズ……。


 マリアの脳裏に最悪のビジョンが次々浮かんでは消えていく。


 気がつくとマリアの呼吸は荒くなっていた。


「も、桃井院長……下郎は、ロミオゲリオンはどこに居るんじゃ?」

「……誠に言いにくいのですが」


 桃井が残念そうに、首を横に振る。


 瞬間、マリアは目の前が真っ暗になった。





 ――かと思えば、廊下の方からナースの怒声と元気いっぱいのバカの声が病室に響いてきた。





『ロミオゲリオンさんっ! またウチの看護婦にセクハラしましたね!? もう何度目ですか!?』

『ひ、否定ッ! ち、違いますっ! じ、自分はただマリア様の居るこの病院の治安を守ろうとしているだけで……ッ!?』

『それがどうやったら匍匐前進ほふくぜんしんのローアングルでナースのお尻を追いかけるコトになるんですか!? 変態ですか!? 変態なんですね!』

『ひ、否定ッ! 自分は変態ではありません! 紳士ですっ!』

『って、そんなコトいいながらパンツを覗こうとするなっ! この変態紳士が!』

『い、痛いッ!? そ、そんなっ!? パンツを見せて貰えたうえ、ご褒美まで蹴って頂けるだなんて……ありがとうございますっ!』




「――と、まぁあの通りピンピンしております」

「…………」


 こめかみに青筋をたてる桃井に、マリアは何とも言えない気分になった。


 例えるのであれば、父兄参観日に父親がアニメのコスプレをしてやってきたような、そんな複雑な気持ちと言えば分かってもらえるだろうか?


 いまだに廊下から『(白衣の)天使に触れたよ♪』『くたばれ! ぽんこつアンドロイドがぁっ!』と頭が痛くなるような会話が聞こえてくる中、桃井はあきれたような口調でこう言った。


「さすがはあのジュリエット工房が作った高性能アンドロイドと言うべきですかね。彼も致死量レベルの黒煙を吸い込んだハズなのに、ケガ1つ無くピンピンしているだなんて……いったいどういう身体の作りをしているんだか」


 まぁアンドロイドの身体なんかには興味無いんですけどね、と続ける桃井。


 ロミオの秘密を知っているマリアからしたら、苦笑を浮かべるしかなかった。


 ほんとアレだけの火災があって、どうして火傷の1つも負わず無傷で居られたのだろうか?


 あのバカが根本的に生物として自分とは違うステージに居るようなそんな気がして、マリアはやっぱり苦笑を浮かべた。


 桃井はそんなマリアに気づくことなく、スタスタと部屋の入口の方まで移動して、勢いよく扉を開けた。


 扉の前、そこには……床に這いつくばり、嫌悪感剥き出しのナースたちからボコボコに蹴られているロミオゲリオンが居た。


 桃井は何故か若干嬉しそうなロミオゲリオンをゴミカスでも見るような冷めた瞳で一瞥いちべつしながら、


「おいカス、マリア様が目覚めたぞ」

「ッ!? ほんとですか!?」


 途端にバネ仕掛けの人形のようにピョンッ! と起き上がるなり、慌てて部屋へと入室してくるロミオゲリオン、もといロミオ。


 ロミオはコチラを見ているマリアの存在に気づくなり、ほっ、としたように表情を崩した。


 そんなロミオの顔を見た瞬間。




 ――どきんっ!




 とマリアの心臓が一際大きく高鳴った。


 ドキドキと心臓が脈打ち、何故か顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。


 マリアは慌ててロミオから視線を外し、いつも通りの自分を演じるように、震える声を必死に抑えつけながら彼に声をかけた。


「さ、騒がしいぞ下郎? 病院内は静かにするのがマナーじゃぞ?」

「ま、マリア様ッ! よ、よ、よ……よかったぁ~」


 へにゃっ、と笑うロミオ。


 そんな彼をチラッ、と横目で盗み見て……また慌てて目を逸らす。


 ドキドキ、ドキドキッ! と血液が沸騰し、全身が熱くなる。


 それどころか、ロミオに見られていると思うと、何故か呼吸が上手く出来ない。


 ど、どうしたんじゃ妾は!? と内心盛大に慌てふためくマリア。


 そんな彼女の内面など、もちろん知らないロミオは意気揚々とボロボロの執事服のまま彼女が横たわるベッドへと近づく。


「一時はどうなるかと思いましたが、無事目が覚めてくれてよかったです。もし覚めていなければ、自分はあの団子3兄弟を串刺しどころか八つ裂きにしなければいけない所でしたよぉ!」

「そ、そう言えばその例の男たちはどうしたのじゃ?」

「もちろんマリアお嬢様を病院に連れてきた後、キッチリと警察に突き出してきましたよ。……まぁ何故かまた自分が逮捕されかけたんですけどね」


 警察署の前で「またオマエかぁっ!」と怒声をあげながら数人の武装警察官が駆け寄ってきた時は法治国家の終わりを感じたモノだが……ロミオは黙っておいた。


 ほんの少しだけ寂しい気分になるロミオを尻目に、マリアはうるさいほど高鳴っている胸の鼓動を落ち着かせるように、必死に深呼吸を繰り返していた。


 大丈夫、いつも通り。いつも通りの自分で。


 と念仏のように唱えながら、澄ました顔を作るように努力しつつ、ロミオに声をかけた。


「そうか。それは大変じゃったのぅ」

「はい、大変でした。屈強な男たちを前に大立ち回りをするのは。もう文句の1つでも言ってやりたいくらいで――あっ」

「???」


 途中で言葉を差し止めたロミオが、何か思い出したかのように「そうだ」と声をあげた。


 かと思えば、どこか責めるような視線をマリアにぶつけてきて、彼女は思わずたじろいでします。


 何気にこのアンドロイド、いや男からこんな視線をぶつけられたのは初めてだったので、マリアはおおいに狼狽うろたえたが、そこはお嬢として矜持きょうじか、平静を装って逆に不満気な視線をロミオにぶつけた。


「なんじゃ、その不満気な視線は? 妾に文句でも言いたいのかえ?」

不躾ぶしつけながら、その通りです」

「ほぅ? よかろう、言ってみよ。許可する」


 マリアは一瞬で心に壁を作り、相手を挑発するような笑みを浮かべてみせた。


 その表情は先ほどとは一転して、威嚇するような笑顔だった。


 大体ヤツが何を言いたいのか分かる。


 きっと腹にえかねる想いを罵詈雑言と共に吐き出すつもりなのだろう。


 上等じゃ、いつでもかかってくるがよい!


 と、身を硬くするマリアを前に、ロミオはどこまでもまっすぐ言葉をぶつけた。


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……マリア様? 自分は今、怒っています。激オコです」

「ふむっ。キサマを怒らせるようなコトなんぞ妾はした覚えがないのぅ」


 どこまでも上から、挑発的に笑ってみせるマリア。


 途端にロミオは不機嫌になった。


 マリアはロミオを小バカにするような口調を心がけながら、ヤツの心をへし折るべく、言葉をつむいだ。


「すまんが下郎? 無知なる妾に教えてくれんかえ? 妾が何故、キサマを怒らせたのかを?」

「自分が怒っている理由はただ1つです。アナタが敬愛すべき我があるじをバカにされたからです」

「姉上をか? 何をいまさら。そんなのいつも通りのこと――」





「違います。アナタがアナタ自身をバカにしたからです」




 ……何を言われているのか分からなかった。




 予期せぬ言葉を、台詞を前に、思わず「はい?」と間抜けた声をだして固まってしまうマリア。


 そんなマリアに向かってロミオは無礼にも言葉を重ねていった。


「確かにアナタの優しさは美徳です。でも、自分の命をなげうってまで他者の命を助けようとしなくてもいいんです! 大体『換気口から脱出する』なんて嘘までいて……1歩間違えたら本当に死んでたんですよ!?」

「あっ……」


 そこでマリアはロミオが何を言いたいのか気がついた。


 気がついた上でマリアはすっとぼけるように、肩を竦めた。


「べ、別に妾の命は妾のモノじゃ。妾のモノを妾はどう扱おうが、キサマには関係なかろう? それにあの坊主頭も言っておったじゃろうが。妾の命に価値なんぞ無い、この世から居なくなってもいい人間――」



「人を笑顔に出来る人間に、価値が無いワケないじゃないですか!」



 そのあまりにまっすぐ過ぎる言葉に、マリアはもう何も言えなくなってしまった。


「『この世から居なくなってもいい人間』? そんな人間、この地球上に存在しませんよ。みんな誰かにとってのかけがえのない大切な人なんですよ? それはマリア様だって同じです。アナタは自分にとってかけがえのない大切な人なんですから」


「……あっ」




 ――ヤバい、爆発する。




 マリアがそう自覚した瞬間、彼女の胸の中でとんでもないほどの熱量と感情が大爆発した。


 それはとても甘く、温かい、初めて経験する感情の発露はつろだった。


「君はこの世界に居ていいんだ」と。


「君は必要な人間なんだ」とそう言われた気がして、マリアは思わず泣きそうになった。


 今まで誰一人としてそんなコト言ってくれなかったのに。


 欲しかった言葉を、誰かにそう言ってもらいたかった言葉を、この男は平然と言ってのける。


 ずっと、ずっと、誰かにそう言って欲しかったその言葉を、この男はさも当然のように口にしてくれた。


 それがどれだけ救いになったことか。


 きっとこの男は一生分からないのだろう。


 だってバカだから。


 どうしようも無いほどにバカだから。


 だから、だから……だからどうしようも無いほどに愛おしく感じてしまうのだ。


「……もうよい。帰れ」

「へっ? ま、マリア様……っ?」

「妾の無事を確認したのじゃろ? ならもう帰ってよいわ。さっさと帰って己の職務をまっとうせんか」


 そう憎まれ口を叩きながら、布団にもぐりこみ、ロミオに背を向けてしまうマリア。


 今のこの火照った顔を、可愛くない顔を見られたくない、という思いが今の彼女の心を支配していた。


 どうせなら、こんなボロボロな自分ではなく、可愛い自分を見てほしい。


 そんな本人すら気づかない乙女心に突き動かされ、ロミオから顔を隠す。


 反対にロミオは急に不機嫌になったマリアに面を喰らいながら、「あの……」と食い下がろうとするのだが、


「おいカス、面会終了の時間だ。さっさと行くぞ、このウスノロが」

「へっ? あ、あの院長先生? ちょっ、痛い痛い!? そんな強く肩を掴まないで!?」


 ミシミシミシミシッ! と、肩こりごと粉砕しかねない握力で、ロミオの肩を握り締めながら、ズルズルと出口まで引っ張って行く桃井。


「マリア様はお疲れなんだよ、おまえも彼女の従者ならソレくらい察してやれ」

「痛い痛いッ! 心に残るマリア様の冷たい言葉が痛いッ!」

「知るか、行くぞ! ――ったく、オレの目の前でアオハルしやがって、ふざけんな。 ……あぁ~、オレも素敵な恋がしてぇ」


 桃井は不機嫌な声音を隠すことなく、忌々いまいましげにそう呟きながら、抗議するロミオと共に病室を去って行った。


 パタンッ、と閉まっていく扉。


「……んっ」


 マリアはぴょこっ、と布団から顔を出し、誰も居ないことを確認するようにキョロキョロと辺りを見渡す。


 そして誰も居ないことを確認するなり、再び布団の中にもぐりこんで、




「~~~~~~~ッッッッ!?!?」




 声にはならな声をあげた。


 バタバタと布団の中でせわしなく暴れ回り、高鳴る心臓を誤魔化すように、ムチャクチャにドッタンバッタン1人で大騒ぎ。



 その日、マリアは胸から聞こえる鐘の鼓動に1人悶々もんもんとしながら、ベッドの上で眠れぬ夜を過ごしたのであった。


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