第15話 ロミオとジュリエットと嵐の夜に……

 ジュリエット様が俺の胸で泣き続けて30分。


 ようやく落ち着きを取り戻したジュリエット様だったが、ここで俺はある問題に気づいてしまう。


 そう、俺はこのドシャ降りの中、傘はおろかカッパも着ずに走り続けてきたのだ。


 おかげで仕立ての良さそうな執事服は水分をこれでもかと吸ってドロドロ。


 腰を下ろしている廊下に至っては水たまりが出来てしまっているくらいだ。


 そのせいで体は冷え切り、今の俺の身体を温めてくれているのは、まぎれもなくジュリエットお嬢様の体温だけということになる。


 彼女のぬくもりが俺に伝わるということは、当然俺の冷たさが彼女に伝わっているということで……。


「お嬢様? このままじゃ風邪を引いてしまいますよ? ちょっと離れてもらってもいいですか?」

「~~~~~~~~ッッ!?!?」

「お、お嬢様?」

「……ヤダ。離れたくない」


 ジュリエット様の肩を押して距離をとろうとするのだが、彼女はソレを嫌がるかのように俺の胸に顔を埋めてしまう。


 こ、困った……このままじゃ本当にジュリエット様が風邪を引いてしまう……。


「このままくっついたままでいると、お嬢様のお召し物まで濡らしてしまいます」

「……別に構わないもん」

「でも冷たいでしょ?」

「……冷たくないもん」


 こりゃダメだ、何を言っても聞いてくんないわコレ。


 ジュリエット様は「絶対に離さない!」と言いたげに、俺の身体にしがみつく手に力をこめる。


 そんな小さなお姫様の姿に苦笑しながら、しょうがない、と胸のうちで小さくつぶやく。


「では、もっとくっつきましょうか? そうすればきっと温かいですよ?」

「……うん」


 離れられないなら、次善の策だ。


 2人の身体が冷えないように密着して体温を交換するしかない。


 俺がさっきよりも強い力でジュリエット様を抱きしめると、ジュリエット様も全身の力を抜いて俺に体重を預けてくれる。


 その信頼が今はとてつもなく嬉しかった。


「雨、止まないですね」

「うん」

「寒くないですか、お嬢様?」

「うん」


 取り留めのない会話を繰り返しながら、ジュリエット様の肩まで切りそろえられた髪を指先でいていく。


 彼女の乾いていたハズの金色の髪は俺から垂れる雫のせいですっかり濡れていた。


 それでも俺の身体にしがみついて離そうとしないジュリエット様。


 そんなジュリエット様がつい愛おしく思えてしまい、彼女を抱く腕に少しだけ力がこもる。


 すると俺が力をこめた分だけ、ますます体重を預けてくれるお嬢様。


「……ロボくんは何も聞かないんだね」

「? 何がですか?」

「その……どうしてボクが雷が怖いのか、とか。ネズミが怖いのか、とか……」

「自分はお嬢様専用のロボット兼恋人役ですから、無理やり聞き出すことはしませんよ。お嬢様が喋りたくなった時に喋ってくれればいいですから」

「……うん、わかった」


 一瞬の沈黙。


 雨音が肌を叩き、時折轟く雷鳴が身体を震わす。


 そんな時間の中、ぽつり、ぽつり、とお嬢様がその桜色の唇を震えさせながら言葉をつむぎだした。


「ボクはね、物心ついた頃から『死』と隣合わせの生活をしていたんだよ」


 食事をれば毒殺されかけ、外出すれば襲われる。


 かと言って家に引きこもっていても暗殺されかけてしまう。


 何度殺されかけただろうか?


 何度自分の立場を恨んだだろうか?


 何度生まれてきたことを後悔しただろうか?


「別にモンタギュー家の次期当主の座なんてボクはこれぽっちも興味がないんだよ。笑っちゃうかもしれないけどさ、ボクの夢はね、普通のお家に住んで、普通に恋をして、普通に結婚して、普通の……お嫁さんになりたかったんだよ」


 まぁ叶わない夢なんだけどね、と苦笑するジュリエット様。


 気がつくと、彼女の身体をさらに強く抱きしめる自分が居た。


「ボクね、小さい頃、誘拐されたんだ。……犯人は本当の親のようにしたっていた使用人のメイドに、ね」


 朝起きたら見たこともない部屋に手首を鎖に繋がれて放置されていたんだ、とジュリエット様は続けた。


「あのときは本当に怖かったなぁ……目が覚めたらいきなり知らない部屋で、鎖に繋がれて身動きが出来ないんだもん。でもね? 本当の地獄はこの後だったんだ」


 食事も何も出ず、何日も放置されるあの苦しみ。


 自分の爪を自分で食いちぎるほどの飢餓感。


 気が狂うほどの空腹。


 幸い、水道水は飲めたから餓死するまではいかなかったが、やがて衰弱して動けなくなった。


「そんな時だった、薄暗い部屋の隅に一対いっつい光源こうげんを発見したのは。その日は外で雨でも降っていたのか、すごい雷が轟いていたんだ。だから部屋の中を雷光が照らしたとき、その光源の正体がハッキリと分かったよ」




 それは丸々とえて太った大きなネズミだった。




「最初に思ったのがね、『ネズミって食べられるのかなぁ?』ってことだった。もう食べられれば何でもよかったからね。……でも違った」

「……何が違ったんですか?」


 思わず話を遮るような形で声をかけてしまう。


 ジュリエット様は何とも言えない苦笑を浮かべながら、


「食べるのはボクじゃなかった……食べるのはネズミの方で、ボクは食べられる方なんだって」


 ……言葉が出なかった。


 ジュリエット様はビー玉のように色を無くした瞳で虚空を見上げながら、感情が消えた声音で乾いた笑みを溢した。


「雷が轟く中、ゆっくり、ゆっくりとネズミにかじられていくのは怖いよ? もうトラウマになっちゃうくらいに、ね」

「お嬢様……」

「でもね、1番怖いのはね、人間なんだよ。ボクをこんな状況に追い込んだ人間が……1番怖いんだよ」


 そう口にした瞬間、ジュリエット様の身体から力が抜けた。


 目を離したら消えてしまいそうな、そんな儚い彼女を前に、俺はただ抱きしめることしか出来なかった。


「次に目を覚ましたときは病院のベッドの上だった。そこで何で使用人のメイドが自分を誘拐したのか教えてもらったよ……お金だってさ。ボクの身代金を病気の母親の治療費にてようとしたんだって。それくらい言ってくれればいくらでも工面したのにね?」


 自分が信じていた人間に裏切られるのはキッツイよぉ? とお嬢様は苦笑した。


「本当はボクだって人間を信じたいんだ……でも、あの日の出来事がボクにソレを許さない。ボクはね、人を信じる心を忘れちゃった人間以下の生き物なんだよ」


 そう言ってさらに自分をけなそうと口を開きかけるジュリエット様。



 ――よりも早く、俺の唇は彼女の次の言葉をつむいでいた。



「ならまた思い出せばいいんですよ」

「……へ?」

「思い出せないなら、また作りましょう。大丈夫、今度は自分がアナタを支えてみせますから」


 ほうけた顔を浮かべるジュリエット様に、俺はいつものポーカーフェイスを脱ぎ捨て笑みを浮かべてみせた。


 こんなのロボットがする行動じゃないのは分かっている。


 それでも言わずにはいられなかった。


「ろ、ロボくん? つ、作るって……何を?」

「そんなの、決まってるじゃないですか――真っ赤に燃える熱いこころを、ですよ」


 ぽかんっ、と口を半開きにしたジュリエット様の瞳が俺を捉える。


 俺はそんな彼女の頭を優しく指先できながら、言葉を重ねた。


「安心してくださいお嬢様。お嬢様のこれから先の人生は幸せしかありませんから。約束します。自分がお嬢様をどんな理不尽からだって守ってみせるって。ロボットは1度した約束は破らないんですよ、知ってました?」


「ロボくん……ロミオくん」


「だから大丈夫ですよ、お嬢様。もうお嬢様は1人じゃありません、自分が居ます。自分が傍に居ます。ずっとずっと傍に居ますから。……お嬢様が自分を必要としなくなるその日まで、ずっとお傍に居ますから」



 ネズミなんて俺が全部追っ払てやる。



 雷なんか俺の歌声で消し去ってやる。



 どんな理不尽がジュリエット様を襲おうとも、俺が絶対にぶっ飛ばしてみせる。



 だから……だから――



「――だからもう1人で泣かないでくださいお嬢様。自分がアナタを守ってみせますから。アナタの笑顔を守ってみせますから」


「ど、どうしてそこまでしてくれるの……? ロミオくんには関係ないことなのに……」

「そんなの決まってるじゃありませんか」


 へっ? と口を開けて俺を見上げるジュリエット様。


 そんなジュリエット様に俺は絶対の自信をもってこう告げた。




「自分はジュリエット・フォン・モンタギュー様の恋人ですから。アナタの笑顔を守るのは自分の役目であり、涙を拭うのは自分の権利ですから」




「~~~~っ!? あ、あれ……? な、なにコレ?」

「どうかしましたかお嬢様? 急に胸なんか押さえて?」

「う、ううん。な、何でもないっ! ……ありがとうロミオくん」


 胸の中で不器用に微笑むジュリエット様を見て、俺は決めた。


 今までのその場しのぎのロボットでも役に立たない恋人役でもない。


 この小さなお姫様の笑顔を守るロボットに、恋人に、王子様になってやる。


 きっとこの選択は間違いだらけの欠陥品で、あとで絶対に後悔することになるだろう。


 それでも、彼女が俺を必要としなくなるその日まで……また人を信じられるようになるその日まで、俺は彼女を守る恋人ロボットになる。なってみせる。




 俺が本当の意味でジュリエット様の恋人ロボットになることを魂に誓ったその日、















 ――彼女は俺のことを『ロボくん』と呼ばなくなった。

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