第14話 その涙を拭うのは……

「~~~~~~~~~ッッ!?!? ぅ、ぅぇぇ……ぅぇぇぇっ」


 雷鳴轟く桜屋敷のとある1室にて。


 かつては物置として使っていた部屋だが、現在はこの桜屋敷のたった1人の使用人にしてアンドロイドであるロミオゲリオン専用の小部屋となった1室の隅っこに、小さな影が1つ落ちていた。


 シーツに身をくるめ、捨てられた子犬のようにブルブルと震える少女――ジュリエット・フォン・モンタギューは溢れ出る涙と嗚咽を噛み殺しながら、息を殺して不安と戦っていた。


「~~~~~~ッッッ!? ふぐぅ、ふぐぅ………ッッ!?!?」


 雷雲が連れてくる轟音に身体を震わせながら、耐えるように必死に唇を噛みしめる。


 そこに氷のように冷たく恐ろしいモンタギュー家の次期当主の姿はない。


 居るのは恐怖のあまり身体を震わせることしかできない小さな女の子が1人だけ。


 何度も何度も雷が落ちるたびに、ジュリエットは何度も何度も胸のうちで同じ言葉を連呼する。


 ダイジョウブ、絶対ダイジョウブ、今までだって何とかなっていたんだ、こんなのどうってことない。


 そうだ、今まで1人でもやってこれたんだ、これくらい何とも――




 ――ドォォォォォォォォォンッ! ゴロゴロ……




「ひぅっ!?」


 ジュリエットの決意は一際大きな雷鳴によってあっさりと打ち砕かれた。


 こ、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


 た、助けて、誰か助けて!


 気がつくと心の中で助けを求める自分と、頭の隅で助けなんてこないと自嘲気味に笑う自分が居た。


 ――助けて!?


 ――助けなんて来なよ。


 ――助けてよ!


 ――今までそう願って助けが来たことがあった?


 ――お願い、誰か……助けて……


 ――諦めなって、誰も助けになんか


 来ないよ、そう続くハズだったもう1人のジュリエットの台詞は、桜屋敷をドタドタと走り回る謎の存在によって掻き消された。


「ひぅっ!? だ、誰!?」

『クソッ! ここにも居ない……』

「……えっ?」


 その声を耳にした瞬間、ジュリエットの瞳は戸惑とまどいと期待に大きく揺れた。


 か、彼のワケない。だってさっき彼はメンテナンスのため桜屋敷を離れたんだから。


 だから違う、幻聴だ。



 そう何度も自分に言い聞かせ、思いこもうとする。……のだが。



『ここでもない。コッチでもない。お嬢様っ! ジュリエットお嬢様っ! 居るなら返事をしてください!』


 幻聴にしてはハッキリと、確かな存在感をもって自分の名前を呼んでくる。


 桜屋敷の扉を全部開けて回っているのだろう。


 その存在がジュリエットの居る部屋のドアノブを回した瞬間、ジュリエットは弾かれたようにドアへと駆けだしていた。



 ◇◇



 雨で重くなった執事服をそのままに、実に数十分ぶりの帰還を果たした俺は感慨かんがいふける間もなく桜屋敷の中に足を踏み入れる。


 そのままジュリエットお嬢様の部屋へと駆け込み……全身の血の気が一気に凍りついた。


「お嬢様が……居ない!?」


 部屋の主であるハズのジュリエット様の姿がそこにはなく、気がつくと俺は桜屋敷の部屋を片っ端から開けてお嬢様の姿を探していた。


「ここにも居ない……クソッ! ここにも居ない……」


 廊下に飛び出し、近くのドアから順に開け、中が空っぽなのを見て落胆し、すぐさま別の部屋の扉を開ける。


「ここでもない。コッチでもない。お嬢様っ! ジュリエットお嬢様っ! 居るなら返事をしてください!」


 扉を開ける度に嫌な想像が膨らんでいく。


 もしかしたらお嬢様の身に何かあったんじゃないだろうか?


 残る部屋は『元』物置の俺の部屋と脱衣所と浴場だけ。


 もしそこにも居なかったら、山のふもと本邸ほんていに顔を出してジュリエット様を探す。


 それでも居なかったら街中を這いずり回ってでも探す。


 それでも居なかったら、え~と、え~とっ!?


「えぇい、とにかく探す!」


 そうだ! 探せ、探せ、とにかく探せ!


 俺は雨のせいなのか、それとも汗のせいなのか分からないドロドロな姿のまま、次の自分の部屋のドアノブへと手を回し、


「お嬢様っ!?」


「――ロボくんっ!」


「うぶっ!?」


 扉を開けた瞬間、金色の弾丸が俺の腹部にめり込んできた。


 あまりの勢いに弾丸の威力を相殺することが出来ず、廊下に尻もちをついてしまう。


 な、なんだなんだ!? 敵襲か!?


 チクショウ、こんな忙しいときに!?


 と、俺の思考がかつてない程に高速回転し始める。


 が、自分の胸に納まっている小さな獣の姿を認識した途端、全身にみなぎっていた緊張が霧散むさんしていった。


 代わりに、自分でも驚くほど穏やかな声が口から漏れ出ていた。


「……ただいま帰りました、お嬢様」

「ぅ、ぁぁ、あぁ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん~っっ!?!?」


 胸の中で泣きじゃくる小さなお姫様を前に、どうやら俺は正解に辿り着いたらしいと確信する。


「こ、ここ、怖かったぁ~っ! 怖かったんだよロボくぅぅぅ~んっ!?」

「よく頑張りましたね、お嬢様? もう大丈夫ですから……自分が帰ってきたからにはもう大丈夫ですから」

「ろ、ロボくん……ロボくぅぅぅ~っ!?!」


「自分はココに居ますから。お嬢様の隣に居ますから。今だけは思いっきり泣いてもいいですよ? その涙は全部自分がぬぐってみせますから。……だから泣き終わったら思い出してください。もう悲しいことなんか無いって……自分がお嬢様の隣に居るってことを、思い出してください。ね?」


 ジュリエット様を安心させる言葉だけをつむぎだし、自分の疲労は誇りと共に胸の奥へと閉じ込める。


 俺は胸の中で泣きじゃくるジュリエット様の小さな身体を優しく抱きしめた。


 彼女が1人で悲しまないように、自分が傍に居ることを思い出してもらえるように。



 ジュリエット様の嗚咽おえつが雨の音で洗い流されていく中、彼女のお菓子のような甘い匂いだけが俺の肺いっぱいに広がった。

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