4-2 「俺……自首、します」

 レオはいつの間にか眠りについていた。緊張がピークに達していたのだろう。目が覚めると、とても気分が晴れ晴れとしていた。不安定だった精神も落ち着いていて、体の調子もいい。睡眠がいかに大切なものなのかを思い知らされた。

 吐しゃ物塗れになっていた体を熱いシャワーで洗い流して、手を付けていなかったリンゴを齧ると、水気がなかったがとても甘い味が舌を痺れさせた。食べ終わると、隣人へ謝りに行った。そしてバイトの時間まで、またひと眠りした。



 駅から出ると、レオは突っ立って、ぬるい風を受けていた。電車の冷房が効き過ぎていた分、最初は心地よかったが、数秒もすると鬱陶しくってきた。

 レオは歩き出した。空は、ここ数日の干天とは打って変わって、遠くから雲を運び始め、ちりぢりの雲が、一欠けら、一欠けら、流れていく。


 今日は大型ショッピングセンターの品出しのバイトが入っていた。


「ちわーっス!!」


 店に着いてから指示を受け、制服に着替えると、さっそく運び始める。体が大きいため、頼まれるのは重いものばかりだ。液体洗剤、瓶詰のコンポート、二㍑のペットボトル飲料。軽いものだとトイレットペーパーやパン、それとビッグサイズのぬいぐるみだ。ホールケーキを運ぶ時はさすがに緊張した。

 これもお願いします、と、パックジュースの段ボールを渡され、えっちらおっちら商品棚に運ぶ。その時、どの棚に置くか見比べていると、レオは気付いた。


「これ……ダンが飲んでたやつだ」


 ココアのパックと、フルーツのパック。ココアのはよく見ると、プロテインのフレーバーの一つ。フルーツのはBCAA。その瞬間レオの記憶が、破れた絵の紙片を一つずつ貼り合わせるように補完される。


 ダンは小さくて細いのだが、痩せているのではなく引き締まっていた。それが彼なりの肉体改造、隠れた努力によるものだとわかっていた。節約でも何でもなく、レオからのゼリーは余計なお世話だったのかもしれない。


 思い込みがあった。レオはショートケーキの大好きなイチゴを真っ先に食べるタイプだ。ダンもそうかと思ったが、そうではない。ダンには温かい家族がいて、他人のショートケーキのイチゴを横から掠め取るような人間がいなかったのだ。

 レオの余計なお世話を、ダンは断らなかった。好意を無碍にできなかったのだろう。


「おいおい、ボサッとしてんな」

「……あっ! すんません!!」


 呆然としていたらしく、店員から冷ややかに睨まれる。その目はケイトを彷彿とさせ、レオを追い詰めた。体はてきぱきと動いたが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。




 昼休みに入ると、レオは連結している隣の建物にフードコートに立ち寄った。何かを腹に入れて、落ち着きたかったのだ。

 ホットドックを注文して、行列から離れる。その店は立ち食い専用のようだが、いくつかベンチが置かれている。近いところは全部埋まっているが、ちょっと歩けば別の店のベンチがあるだろう。


 ふらふらと空いているベンチを探していると、途中にある書店の窓ガラス越しに雑誌が見えた。ダンの部屋にあった上半身裸の男が表紙のやつだ。スポーツのコーナーにある。


 何だ、健全な雑誌じゃないか。なぜ俺は、いかがわしいものだと思い込んだのだろうか、とレオは肩を落とす。彼にまつわる噂、彼に対する不信感、それと何より、彼の慌てた反応が、そういうものなのだと思い込んでしまった。


 ダンは純朴な人だったのだ。


 わかっていたはずだ。彼は努力をするが、それを見られるのが恥ずかしい。先生の言うことを鵜呑みにすれば、レオに好意があった。その理由の一つはおそらく、レオの体型への憧れ。だが、ケイトと恋仲だったということは、レオを恋愛対象として見ていてもおかしくなかったのではないか。お互い好き合っていたのに、壊れてしまった。


 あの環境の中で、優等生の委員長である彼が、「好き」なんて、言葉にして言えるわけないじゃないか。その分、不良である自分が言ってやれば良かったのだ。


 不意に涙がこぼれそうになって、レオは額の汗を拭う。空いたベンチは見つからず、建物の裏に隠れて、ホットドックを頬張った。




 バイトが終わり、とぼとぼと駅に歩き続けながら、レオは空を見上げていた。月が上っている。やわらかい雲に覆われていて、輪郭がぼやけている。夕日がゆっくり溶け、ほんのりと空が桃色掛かっている。夕日から遠い雲は、暗く冷たそうだ。


 待ち望んでいた雨が近づいている。これさえあれば、死体を消せる。

 ダンが消えてしまう。

 川に飲まれ、何もかもが流れてしまう。


 レオの手は、ポケットの中の携帯へ伸びていた。ぱきっと窓を開き、緩慢な動きで発信履歴を辿って、耳に当てる。

 二回のコール音。


『どうした?』


 ケイトの冷淡な声、薄っすらと疲労が滲んでいるようにも聞こえる。仕事が終わって、家にいるのかもしれない。ダンと同じ部屋。

 …………。


『ん? もう一回言ってくれ』


 レオは何も言わなかったのだが、聞き逃したと思ったらしい。


「……ぁ」

『もうちょっとはっきり喋れ』

「お……俺、じしゅ、します」


 きゅっ、と向こうで聞こえた。驚きすぎて、ケイトの喉が鳴ったのだ。


『馬鹿か? 馬鹿か? ここまで来て……っ空を見ろ!』

「みてます」

『見てんならわかるだろ? もうすぐなんだよっ、ここで台無しにする気か? ここまで来て! わかってんのかよ!』


 ケイトが取り乱している様子が、どことなくダンに重なるような気がした。レオは、かわいそうなダンの感情を考えてみる。辛かっただろう。きっと今のケイトも辛いのだ。心が痛む。


「……します」

『いいんだな? お前だけ犯罪者にしてやる。いいんだな? 今なら』


 ストン、とレオの腕が落ち、そこから先の言葉は遠のいた。

 親指だけに力を入れて通話を切る。ポケットにしまうと、全身から力が抜けていくような気がした。

 駅を見る、帰宅ラッシュだから、ホームには人が多いだろう。そこを掻き分けて線路に近づく気力はない。


「はぁー……」


 何度目になるかわからないため息をつき、レオは目蓋を閉じる。


 ケイトは、焦って早く処理をしようとする。ダンは軽いから、彼一人でも多分大丈夫だ。彼に申し訳ないから、自首するのはやめておこう。


 それよりは、早くダンのもとへ行きたい。俺は人を殺したから地獄行きだろう。ダンはクリスチャンだが、同性愛をしたから天国へはいけないはずだ。地獄にいるかはわからないが、会えるかもしれない――――レオはそう考えた。

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