4-1 行方不明

 ――――あいつは……

 ケイトが昼休憩のために、更衣室に戻ろうとしていた時のこと、受付に何やら派手なものが動いている。虹色のドレッドで、サングラスをかけた色黒の男だ。受付嬢の二人は、その風貌にいささか緊張しているように見える。


 ケイトにはすぐに思い当たる節があった。ダンの兄だ。見るからにふしだらなところがあるのか、もう水曜だというのに、ようやく職場を訪ねたようだ。動き出すには少々遅いと思う。


 更衣室に戻り着替えていると、ガチャと扉が開きどやどやと同僚たちが入ってくる。同じように休憩しに来たのだ。


「ダンが行方不明だってよ」

「行方不明とか実際に見るの初めてなんだけど」


 話が広まるのが早い。ケイトは背中で聞きながら、さり気なく窓を見た。青い天井、という言葉にふさわしい空だ。澄み渡っているとも、空虚とも言える。ちぢれた雲でもあれば見栄えがするのに、とケイトは目を細めた。


「警察に届けんのかな」

「え、まだ言ってないんだ?」

「そうらしい、自力で解決するつもりかも知んねぇが、土曜かららしいじゃん? 無理じゃね」


 同僚が言うように、ケイトも呆れていた。もう少し弟を思いやってやればいいのに、と。


「時間制限なかったっけ、行方不明の生存率のやつ」

「低くね? もう五日だぞ、ほぼゼロだろ」

「ヤバくね」


 ヤバいどころではなく、確実にゼロなのだ。しかも、土曜当日にゼロになった。

 聞いていると何やらもどかしい感覚になり、ケイトは内心急いでその場から離れた。



 地面に反射する陽光が白くてまぶしい。ケイトにとって、光はありがたいものだが、今は早く、雨雲が欲しい。


 責め立ててくる熱気から逃れ、ケイトはファミレスへ飛び込んだ。カウンター席に腰かけ、メニューを開くが、何も食べる気が起きない。きっちりとした生活を送っているケイトは、体内時計も正確なはずなのだが、どういうわけか受け付けない。

 ――――俺も参っているんだろうか

 精神が疲弊しているか、食べている場合ではないと本能が焦っているのか。しかし予定外の時間に食事をとる後に続きそうだ。


 仕方なしに、少ないものを注文した。オニオンソースの野菜サラダ。皮肉なことに、ダンと同じものだ。彼の霊が、自分に憑りついているのではないか。ケイトはそこまで考えて、首をすくめ自嘲する。


 いざそれが目の前に出されると、ソースの香りが鼻をツンと突いた。健康には良いのだろうが、ケイトは酢の匂いが嫌いだ。


「あいつ、いつもこんなもの食ってんのか」


 ぼそり、とつぶやくが、店内はうるさくすぐに掻き消される。ダンの精神を疑う。当然食欲は起きない。フォークだけでも手に持ってみたが、具材を刺せない。刺したら食べないといけない気がしてくるから。チャクチャクと延々と混ぜるだけを繰り返し、水気が溶けだしてきてしまう。野菜の温度も上がって、美味しくないだろう。


 胃がぞわりとくる。ケイトは足早にトイレへ駆け込んだ。一応便器の前にかがんでみるが、何かが漏れ出てくる気配はない。指を軽く喉へ入れてみたが、気持ち悪くなっただけだった。


 結局何もせず個室から出て、洗面化粧台の前で身だしなみを整える。洗面器は水はけが悪いようで、ナメクジのように水滴が留まっている。

 鏡を見た。いつも通りの表情ができているだろうか。いーっと歯を見せてみたり、あーっと口を開けたりしていると、舌の側面が凸凹していることに気が付いた。


 ――――ああ、これは


 しばらく見なかった舌の形状記憶。喋らな過ぎると、歯の内側の形に沿って、舌が凸凹するのだ。ダンが入社する前は、いつものことだったのだ。彼が来てからは喋る機会が必然と増え、これは無くなっていた。


 彼が消えた今、また戻ってきた。


 ――――いや、消えてはいない。


 死体はまだ残っている。これを消さないと、安心した生活は戻ってこない。凸凹はともかく、死体だけは残してはいけないのだ。




 速達させた医療用の手袋とマスクを身に着け、ケイトは冷蔵庫を開ける。

 マスクがあるため鼻腔への直撃は避けられているが、異臭がし始めていた。肌の色がほのかに違うことを除けば、表面的にはほぼ変わりはない。しかし、中身の腐敗は進んでいるだろう。


 冷凍庫に入れていれば、はるかにましな状態を保っていただろうが、それをするには切り刻まなければいかなかった。

 蛆がわくという最悪の状況を避けるために、部屋には虫一匹の侵入も許さなかった。


 あらためて、落ち着いてじっくりと見てみると、すねに色濃いあざがあることに気が付いた。この間、ファミレスでケイトが蹴り上げた時のものだろう。


 一つ気が付くと、他のものにも目が行く。


 胸板と膝に挟まれている手首に、ぐるりと一周、微かな擦り傷があった。ケイトには見覚えがなかった。傷跡から見て、細い紐のようだ。


 縛られた痕??


 だが、レオがうっかり殺したあの時に、そんなことをした記憶はない。


 すると、もしかしたらレオに暴行されていた時、実は縛られていたのではないか。そんなことをされていたら、もちろん抵抗なんて――――


 ケイトはそこまで考えたが、ハッとして首を振り、遮断した。これ以上考えたら、今まで保っていたモチベーションが崩れ落ちるかもしれない。ダンは死んだ。どう考えても後の祭り、引き返すことはできない。たらればを言っている暇は無いのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る