2-2 虹色のドレッド
ビーッビーッ
「っ!」
扉を閉じる。数年古い型の冷蔵庫は歪な音を立てた。レオはその場を離れようとしたが、立ちくらみを起こししばし静止する。汗がぽたぽたと床に落ちる。マットがそれを吸い込む。
ようやく治まると、リビングに戻った。入り口のほうの壁に小さなラックがあり、半裸の男が表紙の雑誌が並んであった。レオはすぐに目を逸らした。それらを見なかったことにする。入った時は気付かなかった。
ダンの噂が立ち始めたころ、その月刊誌がダンのカバンから見つかったそうだ。ダンは赤くなったり青くなったりしながら、あわてて取り返そうとした。
しかしレオを含めて、クラスメイトとの体格差は絶望的だった。何より、優等生であった彼の調子が崩れた瞬間、彼らはおもしろくなったのだ。
空中でバスケットボールのように行きかう雑誌に必死に手を伸ばす彼を見て笑っていた。
そのことがあって、ダンについての下世話な噂にも拍車がかかった。
思い出してしまうと、胸の中と、体が重く感じる。疲れているらしい。レオは退散することにする。
玄関を出ると、風が肌を撫でたが、やはり暑い。鍵をきちんとかけて、その場を後にする。緊張が解けてきて、体の部位一つ一つが休みを欲していた。
その時、階段の下にカラフルなものが見えた。下りていくと、それが虹色のドレッドだということに気付いた。一気にまた全身がピリッと緊張する。相手は男、黒い肌にサングラス。若者の間でもめったに見ない派手さだ。逆に感心してしまう。
階段の幅は心なしか狭く、レオもその男も壁に掠れながらすれ違う。
それ以降は何事もなく、無事に地面に着いた。
さっきまでなかったワイン色の車が停まっている。
レオは膝に手を着いた。
「死にそー……」
ふと、手の感触がおかしいことに気付く。妙に柔らかく、履いているはずのジーパンの生地ではない。視線を下ろしてギョッとする。手袋をはめたままだ。軍手でもない白い手袋なんて、タクシードライバーや執事でもない限りしないだろう。サッと外して、柔らかいそれをポケットへ押し込む。
さっきのドレッドは、サングラスをかけていたし大丈夫だろう。
「……あっ……ってか、あいつ」
レオはまた思い出した。
ダンの部屋を訪れようとしたある日。彼の階に差しかかった時、ガチャっと音がした。向こうから、虹色のドレッドの男がやってきていて、その奥で扉が閉まるのが見えた。ダンの部屋の扉だ。
インターホンを鳴らすと、ダンは少し遅れて出た。なぜか汗だくで、着ていたタンクトップと短パンが崩れていた。
「委員長、何かここ、白いのついてる」
「……あっ、はずかしっ」
指で口元を指してやると、彼はあわてて舐めとっていた。その後部屋を通されたが、どこか湿っぽくて、新鮮な汗の匂いがしたのだ。
その頃には、彼の不穏な噂が流れ始めていた。レオはあの時初めて、本格的に浮気を疑い始めた。彼と付き合っている、とはっきりしていたわけではない。
だが、自分だけが親しくしていたと思っていたレオにとって、他に同じような存在がいる事実は耐え難かった。自分を一番に考えてほしい。だが、しつこくしたら嫌われるのではないか、そう思って、結局何も言えなかった。
このワイン色の車は、さっきのドレッドのものなのだろうか。高級そうだ。自分には、これを買えるだけの財力がない。やり場のない怒りが、足のほうに暴力的な衝動を巡らせそうになる。が、レオは目蓋をギュッと閉じて受け流した。それがぶり返さないように小走り去って、ワイン色を視界から消した。
夜勤の休憩時間、携帯を見ると、ケイトから着信が来ていることに気付いた。店の裏でかけ直す。
『何で連絡しないんだ。どうだったんだ?』
眠そうな声でそう言われる。布ずれ音が聞こえるから、ベッドで寝ていたのだろう。レオは申し訳なくなった。
「すんません。大丈夫だと思いますよ」
『何もなかったか?』
「特には……」
『誰かと会ったか?』
レオの脳裏に虹色とワイン色がよぎる。
「えっと……階段でなんか派手な人とすれ違いましたけど、まぁ……それだけっス」
一拍、ケイトの返答に間が空いた。
『……あーそいつは……ダンの兄かもしれない』
「え?」
そうなのか、とレオは戸惑う。
『多分。でも部屋から出たのを見られたわけじゃないんだろう?』
ケイトの言葉があまり頭に入らない。あの時の男も、兄だったのだろうか? でも何であんな格好になったんだ? だとしてもセンコーとの噂はどうなんだ? わからない。
『おい。おい……何かあったら俺が揉み消してやるから安心してろ』
レオの不穏な様子を察知したようで、向こうからそう言葉をかけられる。
「はい……」
『堂々とするんだ。頼むから』
ケイトの冷静さで、レオは取り乱さずに済んでいる。レオは壁に背中を預け、深呼吸をする。
「すみ、ません……あ、て、手袋どうしましょ?」
『……そうだな、持っててくれ。下手に捨てると不自然かもしれない』
「わかりました」
電話が切れる間際、彼の欠伸が聞こえた。
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