1-7 オニオンソースのサラダ


 昼休み、昼食を取るためケイトは徒歩で近くのファミレスへ向かう。石畳の道にコツコツと靴が鳴る。真上に君臨している太陽を忠実に浴びている石は、さぞ熱せられているのだろう。途中にはコンビニ、ワゴン車の出店、女性人気のある屋外カフェのパラソルが見えたが、涼しさと食事の質を求めてファミレスを目指していた。


 入店すると、センサーが反応して入店音を響かせる。駅前からは少し距離があるので、まだあまり混雑していなかった。

 習慣でカップル席に座りそうになったが、途中で進路を変えカウンター席に腰かけた。烏龍茶、煮魚の定食を頼む。待っている間、やはりケイトは過去に気を取られた。


 「美味しいサラダをありがとうございます……」


 ダンはいつも食べる前にそう祈る。やめてくれ、とケイトは無視して食べ始めた。自分は関係ありません、という周りへのアピール。

 オニオンソースのサラダ。ダンが頼む料理はいつもそれだけだった。


「野菜だけじゃ筋肉がつかないだろ」

「昼は野菜だけって決めてるんです」


 ダンは学生の頃からストイックな生活をしているらしい。

 ケイトは無性に煽りたくなってしまった。だから、あえて彼が嫌いそうなものを食べることにしていた。


「今度、有休を使って実家のほうへ帰るつもりです」

「そうか」ケイトはコーラを啜る。

「先輩にはご兄弟はいますか?」


 家族の話題を、ケイトはしたくなかった。

 逃避したくなったせいか、周りの音が鮮明に聞こえる。


 コップの中の氷の音、会話、ステーキが鉄板で焼ける音、食器のカチャカチャ音、呼び出し音、咀嚼音、ライターの音、レジの引き出しが開く音、出入り口の扉のベルが揺れる音。


 ダンは返事を待っていたが、「ご兄弟はいますか?」ともう一度訊いてきた。聞き取れなかったと思っているのか。あんまり黙っていると、家庭環境にコンプレックスがあると知られそうだ。


「……兄が、いる」


 渋々、正直に。


「あ、一緒ですね、俺もです。髪型が奇抜だから"本当に兄弟か?"って疑われるんですが」


 そうダンは苦笑する。


「へぇ」


 ケイトは気を取り直してピザを取り、ダンの髪を見つめた。栗色のふわふわした癖毛。軍学校時代は丸坊主にされたのだろうか。


「お兄さんは何をされている人ですか?」

「さあ?」


 急にまた家族の話をされ、空知らずケイトはチーズを伸ばしてみせる。

 ダンは視線を下ろしてレタスをしゃくしゃく噛んでいる。


「ご存じないのですか?」

「割とどうでもいい」

「ええ? 家族なのに?」


 カッとなり、ケイトはテーブルの下でダンのすねを蹴り上げた。

 ダンの顔が「うっ」と歪む。

 彼の言い草は、恵まれた家庭で過ごしてきたことを顕著に表している。ケイトの神経を逆なでするようなことを平然と言いのけるのだ。ああ、忌々しい。


「食ってる時に話かけんな」


 ケイトが言うと、彼はいろんなものをグッと堪え、水をギュッと一口飲んだ。


「ごめんなさい」


 しおらしくなるな、まるで俺が悪いみたいじゃないか。

 ケイトは、しゅんとしたダンの口にピザを一切れ運ぶ。「えっ」と驚いたその口に押し付けると、「もぐ」と食んで、手を添えて受け取っていた。


 心なしか、幸せそうに見えた。やっぱり食べたかったんじゃないか。ストイックさが崩れた瞬間を見て、ケイトは安心した。


 「食べちゃいました」と、店を出た後ダンは戸惑っていた。美味しそうに食べていたというのに、今更こちらを責めるのか、と街中にもかかわらずケイトは殴りたくなった。


「先輩(俺)に出されたモンだろうが。食わないと逆に失礼だ」

「そう……それもそうですね」


 ありがとうございます、という彼に、ケイトは面を食らった。


「大体いつも、お前の食事は見ていて不快だ」


 自然と口から、彼を貶す言葉が出てきていた。


「ああぁ、それは……ごめんなさい」


 今度は謝ってきた。怒らないのか、とケイトは呆れた。自分の信念に基づいた行動を、上司とはいえ他人に否定されたというのに、睨みもしないとは。なよなよしたやつだ。


 いつもそうだ。明らかにこちらに否があるときも、責めないのだ。その態度が逆にイライラを加速させる。こいつ、合わないやつにはとことん合わないな、俺に感謝しろ、とケイトは彼を小突いた。


 運ばれてきた定食を食べていても、頭の中はピザでいっぱいだ。おかげでケイトは、記憶と味覚の齟齬が起きて、よくわからない感覚に陥っていた。

 比較的直近の出来事だから思い出してしまうのだろう。それだけだ。そうに違いなかった。




 午後三時、体が休憩を欲する時間だ。ケイトは更衣室で着替え始めた。汗で湿った体に制汗剤のパウダーを振りかけ、私服に着替える。

 「もう帰るのか?」とさっきの同僚。こいつはダンの代わりに入っているからか、ケイトの勤務時間を知らないようだ。


「ああ。早退する」

「そっか、気をつけな」


 そのままカバンを肩にかけ、裏口から帰った。

 早退というのはまったく嘘だ。ケイトは障害のおかげで、陽が出ている間しか仕事ができなかった。


 バス停には母親と小さな女の子が並んでいた。その子の手には、ぐるぐると紐が巻いてあり、傍に浮かんでいる黄色い風船へつながっていた。紐が長い気がするが、うっかり手を離してしまった際の救済の余地を与えているのだろう。


 待ちながら、ふと向かい側のショーウィンドウに映る自分自身を見つけた。罪を犯していそうには見えない、ごく自然な立ち振る舞いができている。意識してはいけない、逆にぎこちなくなってしまう。


 その時バサリと音を立てて、黒いかたまりがバス停の向かいにあるゴミ捨て場に下りた。カラスだ。光沢のあるくちばしで何かを摘まんでいる。その下の、破れたゴミ袋からあふれた何かに、ハエが群がっているのが見える。


 ケイトは悪寒を覚え、スマホを取り出し、蛆がわく状況を調べた。

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