第144話 最後の姿
走る、走る、走る。
人混みを掻き分けて隙間を縫うように走って行く。
既に息は切れているが、立ち止まらずに走る続けるのには大切な理由があるから。
『琴葉の意識がない……。おそらく……もう……。だから頼む! 汐梨を、汐梨を病院へ連れて来てくれ!』
先程の父さんからの電話がどうしてもフラッシュバックしてしまう。
いきなりの事で頭が真っ白になった為、四条に事情を説明する余裕もなく、身体は体育館へ向かって走り出していた。
到着した頃には「ゼェゼェ」と過呼吸になるんじゃないかと思えるくらいに肩で息をしている状態。だが、今は休んでいる暇なんてない。
『我らの――』
ここから見える体育館のステージには複数人の姿はあるがシオリの姿がない。
多分、裏で次の出番を待機しているのだと予想し、急いで舞台袖の方へ向かう。
「一色くん? どうしたんですか?」
体育館の端っこを通り、舞台袖へと続く扉の前には四組担当の先生が立っており、こちらに気が付くと心配する様な声を出して聞いてくれる。
「せ、先……生……ゴホッゴホッ」
「だ、大丈夫ですか?」
俺が咳き込むと先生は背中を優しく撫でてくれる。
「だ、大丈夫じゃ……ないです……。緊急です……。入れてください」
「緊急?」
いきなりの言葉に首を傾げてくる。
「説明している暇はありません。今度は本当なんで」
この前は普通に騙してしまったから今回も疑われていると思ったので真剣な眼差しで訴えかける。
そんな態度に先生は察してくれて、優しく答えてくれた。
「どうやら嘘じゃないみたいですね。事情は後で聞きます。嘘なら承知しませんがね」
そう言って快く通してくれるので軽く頭を下げて「ありがとうございます」と言いながら急いで中に入る。
舞台袖は薄暗く、足元が悪い。そして四組の連中がいきなりやって来た俺に対して、いきなり何? みたいな視線を向けられる。
普段の俺なら絶対に尻込みしそうなほどに刺々しい視線。しかしながら、今はそんな事を気にしている余裕は全く無かった。
そんな舞台袖だが、純白に輝くウェディングドレスの様な衣装を身に纏って目立っている人物がいた。
シオリだ。
俺はこんなにも美しい花嫁姿を見逃すところだったのか、何て見惚れそうになるのをすぐに切り替えて彼女の下へ向かう。
邪魔すんなよ、の四組の視線を掻き分けて彼女に近づくと、こちらに気がついたシオリが振り向いた。
「コジロー? どう――」
「こ……琴葉さんが倒れた……。意識が……ないらしい」
彼女にのみ聞こえる様に言うと「え……」と驚いた反応を見せた。
当然の反応だが、そんなシオリを無視して手を握る。
「行くぞ。時間がない」
「え……え……」
困惑する彼女を無理矢理に連れ去ろうとすると「小次郎」と聞き慣れた声が聞こえてくる。
視界の悪い中現れたのはタキシード姿の冬馬だった。
「何かあったのか? 説明してくれないか?」
文句を言いたいのをグッと抑えてくれたかの様に問われる。
「ごめん……。説明してる暇は――」
シオリの母親が倒れたと伝えるのは簡単だ。
しかし、それを第三者に容易に言っていい案件とは思えない。かと言って、今の精神状態じゃ上手い説明が思いつかず、そう答えるしか出来なかった。
俺の焦っている態度を見て冬馬は悟ったみたいに「わかった」と言ってくれた。
「七瀬川さん、気にせずに小次郎と行け」
「冬馬……」
「すまないな足止めをしてしまい。なぁに、劇なら何の心配もするな。俺が何とかする。任せておけ」
心強い冬馬の言葉に「ありがとう」と言って俺は花嫁衣装のシオリと共に走り出した。
♢
まるで結婚式から花嫁を奪取したかのように街を走る。
ドラマやアニメにありそうな状況だが、今はそんなロマンティックな状況ではないし、通り過ぎる人、全ての視線を浴びてしまっていた。
中には「おいおいおい今日はハロウィンじゃないぞ」なんて野次を飛ばしてくる輩なんかもいたが、人間本当に余裕がない時は聞こえてくる声が右から左へと流れてしまう。
途中でタクシーで行った方が早かった事に気がついたのだが、もう遅い。
人間焦っていると当たり前と取れる判断が取れないものなのだと実感できた。
こちらは相当焦っているのだが、シオリは見た目には焦っている感じはなく、黙って俺の手に引かれて走ってくれていた。
ようやくと病院に着いて、父さんが教えてくれた病室の階へたどり着く。
「小次郎! 汐梨!」
父さんと母さんが病室の前に立って目印になってくれていた。
「琴葉さんは!?」
そんな気は全く無かったのだが、怒鳴るように父さんに聞くと何も返事なく視線を逸らされてしまう。
「汐梨ちゃん! 早く琴葉のところへ行ってあげて!」
母さんが病室のドアを開けて誘導するとシオリが中に入って行く。
俺達親子もつられて中に入ると「琴葉! 琴葉!」と太一さんの叫び声が聞こえてきた。
「手を尽くしましたが……もう……」
心電図の隣では医者が首を横に振っており、看護師が俯いているのが見えた。
そんな医者の声を無視して太一さんはベッドで人工呼吸器を付けて横になっている人物の名前を叫び続けた。
だが、彼の叫び声で奇跡なんて起こるはずもなく、それは虚しく病室に響き渡るだけであった。
視線をベッドに向けると息を呑んでしまう。
琴葉さん……なのか……?
ベッドで横になっていた人物は髪全体が真っ白になっており、肌はしわくちゃで痩せ細っていた。そこに先程までの琴葉さんの面影はもうない。
嘘……だろ……。なんでこんなことになってるんだ? どうして?
いくら長くはないと聞いていたとしてもさっきまで普通だったじゃないか。さっきまで元気に楽しく喋っていたじゃないか。
どうしてこんな……いきなり……。
「お母……さん……」
シオリが琴葉さんを見てようやくと声を出した。
彼女の心境は分からない。どんな感情で母の名を呼んだのだろうか。それは分からないが――。
――ピクリ。
あれだけ太一さんが叫んでも何の反応も無かった琴葉さんの指が動いたと思ったら、ゆっくりと起き上がる。
そ、そんな……あり得ない……と医者が心電図を見ながら驚愕の声を出していた。
医者の声などお構いなしに起き上がると口に付けていた人工呼吸器を震えながらも自力で外して琴葉さんはシオリを見つめた。
その姿は今思う事ではないのかもしれない。だけれども思ってしまった。
非現実的にいきなり姿を変えてしまったとしても琴葉さんは美しく儚いと……。
そんな光景に琴葉さんの言葉がフラッシュバックする。
『現実的じゃない、非現実が起こった時に開けるんじゃ』
あの時、中庭での会話、貰った包み。
それって今の状況の事か? 琴葉さんはこの状況を予知して俺にこれを授けたのか?
泣きそうなのをグッとこらえて急いで言われた通り、肌身離さず持っていた可愛らしい包みを震える手で何とかポケットから取り出して開ける。
中から現れたのは高貴な輝きを放つネックレスと一枚の手紙であった。
手紙を開けて確認してみる。
『小次郎くん、汐梨。結婚おめ――』
最初の一文で読むのをやめ、急いで手紙をしまった。
今じゃない、これは今じゃなかった。
――でも。
琴葉さんの思い通りではないかもしれないが、俺はシオリに近づいた。
「シオリ」
震える声で名前を呼ぶと振り向いてくるその顔は何だか出会った頃の無表情に近い気がした。
「これ……」
彼女の返事を待たずにネックレスを着けてやる。
ネックレスを着けたシオリの姿を見て琴葉さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「し…おり……。け……こん……おめ……でとう……」
最後に娘へ言い残すと琴葉さんは眠る様に息を引き取った。
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