第145話 許嫁の状態

 琴葉さんが天国へ旅立ってから、まるで時間がスキップしているのかのように進んでしまっていた。


 あの日、文化祭の二日目だったのは覚えている。しかし、そこからの数日はほとんど覚えていない。

 

 目の前で話をした事のある人物が亡くなった。目の前でだ。


 もっと伝える事があったのではないのだろうか。

 長くないと分かっていたのだからもっと何か出来たのではないだろうか。


 もっと……。

 

 そんな後悔をしているから……現実を受け止められないとういうか……。そう言った人物の先立つ姿を見送るのが初めてだったから時間の流れが飛んで感じてしまう……。


 ――気がついたら一人暮らしをしていた……。いや、二人で過ごしたマンションへ帰って来ていた。シオリと共に……。


 お通夜、告別式、そして火葬と……。琴葉さんとのお別れを終えた後に父さんにお願いされてしまった。


『しばらく汐梨と一緒に居てあげてくれないか? コジのマンションはまだ解約してないから』


 シオリにその旨を伝えると返事はなく、黙って少し頷くだけだった。


 帰って来たマンションは変わらずに俺達を出迎えてくれた。それもそのはずだ。まだ一ヶ月しか経過していないのだから。

 でも……短い間しか空けていなかったのに懐かしく思えるのはそれほどに濃い時間を彼女と過ごしたからだろう。


 シオリは無言のままいつものソファーに座った。そして電源の入っていないテレビの液晶をジッと見つめていた。


 琴葉さんが旅立ってしまった日から彼女は一回も声を発していない。


 それは悲しんでいるからだろうか……。


 シオリと過ごしているうちに彼女が表情豊かな少女というのがわかり、お互いの想いが通じ合った後には手に取るように感情がわかっていた。

 だが、今はわからない。まるで初めて出会った頃のように無表情だったから。だから何て声をかけて良いのかも分からない。


 こういう時にシオリの感情を読み取らないと意味がないだろう……。これじゃあ許嫁失格だ……。


「私って……本当に人間なのかな……?」


 久しぶりに聞いたシオリの声。久しぶりの発言がそれだった。


「どうしてそんな事言うんだ?」


 俺は出来るだけ優しく問いかけながら彼女の隣に座った。


 いつもの位置、いつもの距離、いつもの光景。違うのは雰囲気が重い事。


「だって……。親が死んだのに涙の一つもないんだよ?」


 確かに周りが涙で琴葉さんとのお別れを惜しむ中、彼女は涙一つ流していなかった。


「お母さんが長くないって話を聞いた時にも涙は出なかった。流石に死んだら涙の一つくらいは出てくれるかなって思ったけど一つも出ない。そりゃそうか。私は人間じゃないし、コジローが『家族をやり直してみたら?』って提案してくれても無視してお父さんともお母さんとも会話はほとんどしなかった。私は人間じゃない何かなんだよきっと」


 やはり家族仲は上手くいっていなかったか……。

 彼女から家庭の話題が全然出なかったのでおそらくはそうだとは思っていた。

 当然と言えば当然。いきなり切り替えなんてできるはずもないんだから。

 もう少し……もう少し時間があれば……。

 いや……今はその事よりも彼女の心のケアが先決だ。


「そんな事――」

「また、そんな事ないって優しい嘘で私を甘えさせるの?」


 シオリは冷たい視線でこちらを見てくる。

 その瞳に怯んでしまう。


「ちがっ――」

「違わないよ? だってコジローが、もし両親を亡くしたら涙が出るでしょ?」


 その問いに対して、どちらを答えても結果は同じ気がしたので素直に頷いた。


「ほら。人間はそうなんだよ。両親が亡くなれば泣くんだよ。でも、私は違う。本当に出ない。出ないんだよ……。母親が死んだのにね」

「――シオリ……」

「次はどうさせるの?」

「え……?」

「そうやって優しく名前を呼んで……優しい声で優しい言葉を出して次は私をどうさせる気なの? 私をどうさせたいの? 聞くよ? コジローの言う事なら何だって聞く。だって私は人間じゃない。あなたの人形何だから。なんでも聞くよ」


 シオリ……。


 どうすれば良いのだろうか……。今は何を言っても悲観的になってしまっている彼女へ俺がどんな声をかけても無駄なのだろうか……。時間が解決してくれるのだろうか?

 しかし、このまま時間経過に身を委ねるとシオリが以前のシオリに戻ってしまいそうだ。

 

 彼女の微笑んだ顔、怒った顔、喜んだ顔、悲しんだ顔、涙した顔――。そうだ、彼女は表情豊かな普通の女の子なんだ。人間なんだ。それを今の彼女へ伝えるにはどうすれば……。


 そう考えているとポケットのスマホが震え出した。長さからメッセージではなく電話だろう。


 俺は電話には出ずに立ち上がりシオリに優しく声をかけた。


「最近目まぐるしくて疲れたろ?」

「別に」


 冷たい息を吐くように答えられる。


「コンビニで暖かい飲み物でも買ってくるよ。シオリもいるだろ?」

「必要ない」

「心が落ち着くぞ?」

「あなたの命令なら飲む」

「命令って……」

「命令じゃなければいらない。あなたの分だけ買ってくればいい」


 そんな彼女へあまり口うるさく言っても逆効果だろうから「じゃあ買ってくるよ」と言い残してリビングを出て行き、未だ震えているスマホを玄関を出てから確認する。


「父さん……?」




 マンションの下に降りると見慣れた車が停車してあり、近づくと見慣れた中年男性が車から降りた。


「父さん……」

「どうだ? 汐梨の様子は?」

「喋ってはくれる」

「そうか」


 父さんが少し安堵したような表情を見せたのは彼もシオリを心配してくれたからだろう。


「でも……まともに話をできる状態じゃない……」


 顔を伏せて言うと父さんからの応答はなかった。


「こういう時の許嫁だってのに、俺……シオリに何もしてあげられないのかな……」


 悔しくて泣きそうな声が出ると父さんは俺の肩にポンと手を置いてくる。


「許嫁だからって一人で解決する必要はない。そりゃお前の気持ちもわかる。大切な人を自分の手で救ってやりたい。大切な人の気持ちを一番理解しているのは自分。だから自分の手で解決したいってな。でも、時には周りの人間に手を借りる事も必要だ。よく言うだろ? 人は一人では生きていけないって。今がまさにその状況だ。もっと頼って良いんだぞ。俺も母さんも太一くんも……そして琴葉にもな」


 そう言いながら俺にもう片方の手で持っていた紙袋を渡してくる。


「これは?」

「汐梨に渡してくれ」


 多くを語らずに父さんは車のドアを開けた。


「今、小次郎に出来るのは汐梨の側にいてやる事だと思う。それは小次郎にしかできない特別な事だ」


 そう言って車に乗り込むと、車の窓を開けて「困ったらいつでも連絡しろ」と言い残して帰って行った。


 

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