第118話 スッキリしない話し合い

 高校入学前に父さんが海外出張になったと聞いて、それに母さんが付いて行く。

 それなら一人暮らしにチャレンジしてみるといった話の流れになった。

 別に実家に一人暮らしでも良かったのだが、不動産屋へ足を運んで、実際、何件か不動産屋に車で連れて行ってもらい見学して、新しい場所に住む。

 今まで家計は母さんが全てやってくれていたから、それも全て自分でやる。

 家事もそうだ。自分の洗濯、掃除、ご飯に風呂だって全て一人でやらなければならない。


 それらを全て一人でやるのは良い人生経験になると父さんが言ってくれて、俺もそれに同意したから始めた一人暮らし。


 ――まぁ……ほとんど二人暮らしで、家事はほとんどシオリがやってくれたのだが……。


 それでも、自分の中では色々と知識が増えて成長したと言える。


 生活費をやりくりしての生活。


 光熱費は毎月これ位で、夏と冬は電気代が高くつく。冷房より暖房の方が電気代は高くなるから暖かい格好をしなければならないとか。

 中学の時はコンビニばかりだったから知らなかったけど、スーパーの方が断然安いとか。

 風呂掃除サボるとカビめっちゃ生えるとか。


 ――他にも色々、実家暮らしでは気が付かなかった事が沢山ある。


 まだまだ自立経験は浅いし、生活費は親が出してくれているから自立とは言い難いが、自分の中では成長したと思われる。


 だが……考えてみたら、確かに父さんは期限を設けてはいなかった。

 勝手に俺が高校卒業までは終わらないと思っていただけだ。

 だから父さんの海外での仕事が一年半で終わるのに対して文句を言える立場ではない。


 だけど――。


「急過ぎるだろ……。仕事の目処が立った時に早めに連絡しろよ……」


 やはり文句は出てしまう。


「――お前の意見は最もだ。実家に戻って来いという件は親として……。いや、社会人として前もって連絡していないこちらが悪い。本当にすまない。これは親として子供に謝るのではなく、一人の人間として小次郎に謝罪する。本当に申し訳ない」


 大の大人が高校生に頭を下げている。

 心からの謝罪が伝わり気まずくなった。


「いや……。何もそこまでは……。ともかく頭を上げてくれ。話にならないから」


 言うと頭を上げた父さんは少しおちゃらけた顔をして言ってくる。


「まぁここまでしたけど、別に実家に帰って来いって言うのは強制じゃない」

「は?」


 俺は呆気に取られてしまう。


「いやいやいや! じゃあ何で子供に頭まで下げて謝ったんだよ」

「そりゃ……まぁ色々とな。それにいつも急に呼び出して振り回しているのは承知の上だから」

「はぁ……。で? 別に強制じゃないの?」

「そりゃ一人暮らしを勧めたのは俺だからな。お前が一人暮らしを続けたいっていうのなら別に無理してこっちに帰って来る必要もない。お前は成績も良いし、あそこは学校も近いしな。タイムイズマネー。時間に余裕があった方が良い。お金の事は気にしなくて良い」

「なんだ……。父さんに言われた時軽く走馬灯が見えたよ。あはは」

「あっはっはっ」


 二人して笑い合うと、いきなり父さんが肘をテーブルにつき、手を組んで真剣な表情で「だが――」と場に緊張が走る。


「汐梨との同居は夏休みで終わりにしてもらう」

「――え……」


 父さんの言っている事が一瞬理解出来なかった。


 真っ白になった頭で考えてみる。


 父さんは俺とシオリを離そうとしている……のか?


「七瀬川さんの所も海外出張が終わり日本に帰ってくる。今から新しい家の契約やらで少々時間がかかるが、夏休みが終わる前には住む家は決まるだろう」


 なんだよ……それ……。それって事はシオリは転校してしまうって事か? いつも一緒にいたのに急に離れ離れになってしまうのか?


 そんなのは絶対に嫌だ!


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 そう思い込んでしまうと血が逆流するみたいに怒りの感情が表に出てしまう。


「なんだ?」


 子供が怒った所で親は大したリアクションを取らない。それに更に腹が立ち怒鳴り声を上げてしまう。


「またいきなりとんでもない事を言うなよ! だからそういうのは前もって言えって言ってんだよ!」


 そう言うと先程とは打って変わって真剣な表情で言ってくる。


「だから前もって言ってるだろ? 今日、明日同居を辞めろと言ってる訳じゃない。夏休み終わりまでまだ時間はあるだろ? 今が前もって言っている段階だ? 違うか?」

「くっ……」


 何だかいつもの父さんと全然違う。

 あの、おちゃらけた雰囲気はいっさいない。まるで契約交渉をするみたいにピリついた雰囲気だ。


「でも! それってあまりにも勝手過ぎないか!? そっちが勝手に許嫁を決めて、勝手に同居させてさ! その上勝手に同居辞めろって……。自己中過ぎるだろ! それは向こうの親も言ってんのか!? こっちの都合も考えろってんだよ!」


 バンと机を叩きながら立ち上がり反論すると父さんは「こっちの都合ね……」と頷いて次の言葉を考えた。


「それは汐梨と付き合ったって事か?」

「は、はあ!?」


 ピリついた空気の中、また父さんがいつものおちゃらけた雰囲気に戻る。

 それで、何だかガスが抜けたみたいに気が抜けた。


「汐梨と付き合ったのに同居を辞めさせられるのは嫌だという事か? どうなんだ?」


 ニタニタする顔は本当に先程の人物と同一人物なのか疑うほどの変貌だ。


「そ、それは……」

「え? マジで付き合ってんの?」


 黙って座り足を組むと「マジか……」と父さんが呟いた。


「わ、悪いかよ!? 許嫁なんだから問題ないだろ!? 言ってとくけどな――」

「許嫁だから何も問題ない」

「――え?」


 思ってた答えと違いまたあっけらかんな声が出る。


「むしろ俺等も七瀬川さん家も大歓迎だ。二人が付き合って結婚までしてくれるのが俺達の理想だからな」

「ちょっと待て……。え? マジで意味分からん」


 もう頭の中に色んな感情渦巻いて意味不明だ。


「よし、分かった、整理しよう。な。――まず、実家に戻るか一人暮らしを続けるか、これは今はどっちでも良い。置いておこう」

「お、おおん」

「で、だ。七瀬川さん家も海外出張が終わった。日本に戻って来る。だから汐梨と一緒に暮らすのはもう辞めて、汐梨には家族の下で暮らしてもらう。別にお前らの関係が変わる訳じゃないし、太一くんだって汐梨が学校に通える場所を探している。オーケーか?」

「――なんだよ……」

「お前……もしかして、汐梨と離れ離れにでもなると思ってたのか?」

「いや、何か言い方的に……」

「同居を辞めてもらうってだけだぞ?」

「確かに……そう言ってたけど……あああ!!」


 頭を掻きむしってしまう。頭がこんがらがる。


 いかんいかん。頭に血が昇ると冷静な判断が出来なくなるな。

 

 冷静に、冷静に。シオリみたいに冷静に……だ。


「まぁ……付き合ってて同居してる所を邪魔する訳だから、それは申し訳ないが……」

「父さん」

「ん?」

「同居を辞めるのを嫌だとワガママを言ったらどうする?」

「んー。それは困ったな」


 腕を組んで考えてから父さんは答える。


「これは俺達家族だけの話じゃなくて、一色家と七瀬川家の話になるからな。勿論、この後太一くんと琴葉とも話をしてもらう予定だ。そこで改めてその話をしよう。な?」


 この後、太一さんと琴葉さんと……。


 さっき怒りを放ったおかげで今は冷静になり、様々な疑問点が生まれてくる。


「――やっぱりおかしくない?」

「何が?」

「いや、父さんの海外出張と太一さん達の海外出張の終わりが一緒って、やっぱり変だって。そりゃ一時帰国を合わせるのは百歩譲って可能だとしても、出張の終わりも一緒とかどんな奇跡だよ」


 おかしい所を指摘すると父さんは真剣な表情で言ってくる。


「偶然だ」

「そんな偶然あるか?」

「ある。それがこれだ」


 父さんの顔は嘘を吐いているようには見えなかった。


「それじゃあさ……。家をシオリの学校の範囲に合わせるって普通じゃなくない? 普通は自分の会社の範囲へ子供に合わせてもらうだろ?」

「それは、太一くんが自分の会社と汐梨の学校の丁度良い所の物件を探すんだろうよ」

「ふぅーん?」

「なんだ? 不満げだな」

「いや、正直、始めの頃は特に深く考えてなかったけどさ……。何か色々違和感なんだよ」

「その違和感とは?」


 思い出したのは花火大会で四条に言われた言葉。


「――大人四人が何か隠してる」


 言うと父さんは動じる仕草も見せずに澄ました態度で説明した。


「俺の親友とも呼べる二人が海外に出張した。その娘は日本に残りたいと言っていたから、我が子に頼んで同居してもらう事にした。だけど、二人の出張が終わり日本に戻って来るので同居は終わり。――これだけだ」

「それなら、許嫁とかそういう設定いる?」

「言ったろ? 若い時の夢物語を押し付けるって。許嫁とかは別に本気にする必要はない――」


 父さんは言葉の途中でクスリと笑う。


「まぁ付き合っているとはな……。それは嬉しい事だ。なんせ親友の子供と付き合ってるんだから」


 心底嬉しそうな顔をしている。


 ――もう、これが本当なのか嘘なのか俺には分からない。


「あっそ……」


 俺は立ち上がりリビングを出ようとする。


「どこ行くんだ?」

「バッティングセンター」

「バッティングセンター? なんで?」

「今日高校野球の決勝って考えたら見るよりも打ちたくなったんだよ!」

「あっ……そうかい。夕飯までには戻って来なさい。それ位には二人が来るから。そこでまた話の続きをしよう」


 俺は全然スッキリしない頭のまま近くのバッティングセンターへ足を運ぶ事にした。

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