第8話 許嫁という事だけ教えてやる

「中々に面白い子だな。七瀬川さんは」


 五限の体育の授業。

 本日は体育館でバスケットという事で、体育館を男子半分、女子半分が使いそれぞれ試合を行う。


 試合をしていない人達は端っこで見学という事で、野朗の試合なんか見てもつまらないし、女子の試合を見ていると隣で冬馬が眼鏡クイをしながら言ってくる。


「まさか飯食って気絶するなんてな」


 華麗にドリブルをして相手をかわし、レイアップシュートを決めるシオリを見ながら言う。

 お腹が減ってるはずなのに、機敏な動きとジャンプは折れた翼が復活した天使を彷彿させる。


「俺達も初めて食べた時はあんな感じだったな。小次郎に至ってはマジで戻していた」

「その経験があったからシオリにはやめておけって言ったのに、あいつ食券買う時無視しやがって」

「ふむ……」


 冬馬は眼鏡をスチャっとして女子の方を見る。

 俺が女子の方を見るのは良くあるが、冬馬が見つめるのは珍しい。


「おうおう。お前も高校生になって色気付きだしたな。なんだ? もしかして一組に好きな奴いるのか? それとも二組か?」


 体育は二クラス合同で行われる為、今、この体育館には一組と二組の生徒が存在している。


 もしかしたらこいつの好きな人がこの場にいるのかもと思い冬馬の視線の方を見ると、そこにはシオリの姿があり、彼女はスリーポイントシュートを決めていた。


 体育館から「おおー」という歓声が聞こえる。


「まるで天使が飛ぶように美しいフォームだな」

「だなぁ。容姿もフォームも綺麗だと最早芸術だな。――って、冬馬もしかしてお前――」


 やっぱりシオリが好きなのか?


 そう尋ねる前に俺が問いかけられる。


「いつからだ?」

「――え?」


 呆気に取られた声が出てしまう。なぜなら冬馬の言っている事が理解出来なかったからだ。


「いつから冷徹無双の天使様と親密な関係になった?」

「な、何の話? 俺は別にそこまで親しくないけど? 今日の飯の事を言ってるなら、たまたま一緒になったってだけだぞ?」


 苦笑いで返すと眼鏡をカチャリとして光らせる。


「惚けるな。名前で呼び合っている者同士が親しくない訳ないだろ」


 図星を突かれて「あ……」と声が漏れてしまう。


「い、いやいや。名前で呼び合ってるから親密とか古いっての。今時はクラスメイト同士でも名前で呼び合う時代だろ」

「ほう。中学の頃から女子は皆名字で呼んで来た男がいきなりの心変わりだな。それじゃあクラスメイトの四条 純恋(よじょう すみれ)や中野 陽奈(なかの ひな)も今は名前呼びという訳か……」

「あ、あははー。純恋ちゃーん。陽奈ちゃーん。――みたいな?」


 苦笑いで言ってのけると「やめとけ」と鼻で笑われてしまう。


「さっさと白状しろ。冷徹無双の天使様と小次郎がどういう仲なのか。さもなくはファンクラブの連中に賄賂として情報を引き渡すぞ」

「あ! おまっ! きたねっ!」

「ふふふ。聞ければ良かろうなのだ」


 クールにゲスな事を言う友人。


 しかし、ドジったな。自分からシオリに許嫁の事は黙ってろって言ったのに自ら地雷を踏んでしまうとは……。


 冬馬は気になる事への執着心は物凄く強く、その為なら何でもしてくるだろう。

 このまま黙っていて言いふらされるより、今、この場で曝け出し、黙っていてもらう方がリスクが低い。


 ――後でシオリに謝ろう。


「昨日……知ったんだけどさ」

「ぬ? 昨日知った……。なんだ? 生き別れの兄妹的な感じか?」


 面白そうに聞いてくる冬馬に一言。


「許嫁」


 そう言うと冬馬はゆっくりと眼鏡をクイッとする。


「予想の……斜め上だな……」


 流石の冬馬もいきなり聞き慣れない言葉に唖然とした様子であった。


「それはこっちの台詞だっての。昨日いきなり言われたんだから」

「昨日いきなりって事は親同士が勝手に決めたとか、そんな所か?」

「ご名答。何でもウチの両親とシオリの両親は高校時代の先輩、後輩でめちゃくちゃ仲が良かったらしい。それだけの理由だ」

「くくっ。お前の両親なら頷けるな」


 冬馬は小さく笑ってくる。


「でも、良いじゃないか。あれほどの美貌を持つ女子と許嫁なんて。かなりレアな体験だと思うが」

「いや、勝手に決められた許嫁だぞ? 俺が片思いしてたって言うなら最高な気分だろうが、昨日まであんまり喋った事もない女の子が許嫁っていきなり言われても脳が追い付かないよ」


 そう言うと「ふむ。それは言えてるかもな」と呟く。


「向こうはどういう感じなんだ?」

「どういう感じって?」

「嫌がってるとか?」

「うーん……」


 俺はシオリを見つめながら昨日の事を思い返す。

 脳裏に焼き付いた彼女の裸を思い出して息子が元気に直立しだした。


「分からんな。冷徹無双の天使様は無表情で無口なクールキャラだから。どうでも良いのか、嫌なのか、分かんねーよ」

「確かに見た目じゃ分からないな」

「ま、別に親同士が勝手に言ってるだけだ。こちとらそこまで気にしてねぇよ」


 その事はな――と心の中で付け加える。


 流石に天使様が俺の家に転がり込んで来ているという事は言わなくて良いだろう。そんな事を言うとこいつは面白がって面倒な事になりそうだ。


「ふむ……」と何か腑に落ちない様子の冬馬。


 まずいな。これ以上根掘り葉掘り聞かれるとややこしくなる。


「ま、そういうこった。ほら、俺等の試合始まるぞ」

「あ、ああ。もうそんな時間か」

「――で? 冬馬の好きな人は?」

「教えん」

「なんでぇ。俺の事教えたろー」

「それとこれとは話が別だ。お前の場合は確かにレアケースだが、俺の話と天秤にかける種類が違う」

「なんだそれ。おいい! せこいぞー」

「さ。行くぞ」


 そう言って先にコートに向かう冬馬の背中を見て、計画通り、とほくそ笑む。

 どうやら話を背ける事に成功したみたいだな。

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