第3話

 その日の午後、藤館香子は実家に呼び戻され、母親と会っていた。姿勢を正し、藤色の上等な着物に身を包んだ母親は、落胆気味の香子をにこやかに迎えた。


「せっかく作家として認められてきたのに・・・」


「ええ、私達は貴方のお願いを聞いて作家として認めてあげましたよ。ですから今度は貴方が私達のお願いを聞く番ですよ、香さん。そういう約束ですもの」


藤館の実家は、端的に言うと豪邸だ。それぞれの部屋には日本庭園があり、さらに客をもてなす用の応接間からは最も大きな庭園が望め、池もある。庭師も雇っている。時々茶道や和歌のイベント会場として貸し出すこともあるくらいだ。香子に「お願い」をしているこの厳かながらも上品さを決して崩さない、有無を言わせない雰囲気を持つ女性が、香子の母親である。父親は某有名企業の会長だ。

 だから、腹立たしいことにも、昨日男たちが「いいとこのお嬢さん」と言ったのは嘘ではないのだった。そして彼男らの完全なやっかみではあるが「コネ」を疑うのも無理はない。それだけの条件が藤館香子には揃っている。


「作家として世間に認められれば、見合い結婚はなくてもいいとおっしゃったのに?」


「見合い結婚はなくてもいいと、確かに私達は言いましたが、見合いは無しにするとは言ってません。それに今日相手に会ったからと言っても、すぐに結婚をしろとは言いませんよ。私達は貴方を、尊重しますから」


尊重。尊重とは結局こういうことなのか。親が用意したものの中から、好きなものを選べるだけ。その好きなものすら、本当に香子が好きかどうかも香子本人にもわからないような選択肢が用意されるだけ。

 香子が作家として、ひとりの成人女性として、市民として生きていくことへの尊重ではなかったのだ。香子は重い気持ちそのもののようなため息をついた。


「会うだけ、でいいんですよね・・・」


「もちろん。それに貴方の今後の実績次第では、より貴方の要望を反映させた相手を探すことも許可しますよ。大事なムスメですから」


そう言って母は微笑んだ。母は別に嘘をついてないだろう。私を大事なムスメとして思っているのは確かだろう。そしてムスメの幸運を祈っているのも。そう、あくまでムスメとしての幸運を、だった。

 

 香子は母に連れられて見合いの会場の客間まで出向いた。そこいたのは、香子よりも明らかに年上であろう、それでいて人懐っこさを感じさせる男だった。男が言う。


「香子さん、お待ちしてました。お父様からお伺いしてましたが、やはり噂通りのお嬢さんですね。とても気に入りました。秋なのに、今にも春が訪れそうな温かな華やかさ。それでいてけしてけばけばしくない、お嬢さんが歩いたところはどんな雪景色も一瞬にして満開の桜や藤棚になるでしょう」


香子は顔には出さなかったが、かなり辟易した。母は明らかに気を良くしている。しかもこの男は、給仕にも礼を言うし、母の茶道での実績や身のこなし方も褒めるのだからたまったものではない。母が会話中によろければとっさに手助けにも動く。母の好印象得点は豪雪地帯の積雪よろしくどんどん高く積み上がっていくが、母の積雪が積もるほどに香子は寒さをこらえるようになっていった。男は男で、犬を失わずに花咲か爺さんにでもなったかのように、ひとりで春爛漫になって調子づく。


 母の積雪と男の桜吹雪に耐えられなくなった時、香子はおもむろに口を開いた。


**


「ということがありまして・・・」


藤館は見合いを終えたあと、打ち合わせのために編集者とファミレスで会っていた。藤館の担当編集者は赤坂恭子あかさかきょうこという。面倒見が良く、忍耐強い。藤館の受賞後もなるべくプレッシャーをかけないように配慮しながら仕事をしてくれる。他の作家からも評判がよく、さらに社内での信頼も厚い。藤館がデビューする前からよく面倒をみてくれた女性でもある。仕事以外にも、個人的に知り合いだった。あまり人と積極的に関われない藤館でも、打ち合わせの前にはついつい長話をしてしまう。


「そして、なんて言ったの藤館さんは?」


「貴方様は私を春のようとおっしゃいましたが、こちらはあいにく豪雪地帯の出身ですゆえ。いまだ春の感覚も気配も遠くに感じます。貴方様が春の桜吹雪を満喫している時、私は本物の雪の、吹雪の中にいます」


「さすが、小説家だねえ!とっさの返しも、皮肉を効かせつつ、でもちゃんと詩的になってる・・・やっぱり、藤館さんは才能あるんだよ、うん」


目の前の女性は朗らかに笑う。そして、あっと言う。


「次の作品はそういう女性を書いてみたらどうですか?」


「え?見合いを断って自立する女性、ですか?」


「それもいいけど、自立のなかにもちゃんと好きな人を見つける、とか。ほら、梅見物語は悲恋が多かったじゃない?そういえば、藤館さんは将来結婚は考えてないの?」


「え、ええ?見合い結婚がいやですと今さっきお話ししたのに?」


「でも、わからないですよ〜?これから良い人に会うかもしれないし、今はお見合いのこともお家のこともあっていやかもしれないけど、子供が産めるのってリミットあるし」


 正直、お見合い会場よりも心身が凍える思いがした。

 どうして?

 なぜこんなことを言われなければならないの?

 なぜ、私を、そう見るの?

 赤坂編集者はたしかに面倒見がいいし信頼はしてる。赤坂に藤館を傷つける意図も、女性なら結婚出産すべきとの思いがあるわけでもないだろう。それは私にも一応わかってはいる。

 しかし、赤坂編集者は既婚女性で、おまけに子供もいる女性だった。赤坂にとって結婚出産がいいものであることは疑いようがなかった。だから、いまここで結婚出産を拒否している女性の気持ちはほんとうには理解できないのだ。彼らはそれを、よしとしているからである。


「はあ」


返答に困った挙げ句、結局一番便利な反応を返してしまった。ため息でもなく、同意でもなく、反対でもない。私が日本語に感謝をするのはこういうときだ。中国語だったら、好吧、だろうか。いや、好吧だと一応了承にはなるけど、「いやいやの了承」が露骨になるから、やっぱり日本語の「はあ」の曖昧さには適わない。

 藤館は大学時代に中国語を選択していたときもよく日本語との表現を見比べては、その似通った言語文化と言葉の曖昧さに感心していたが、結局自分のメンタルは日本語のままだと思った。外国語を学ぶということは、最終的にはその言語の思想を内面化するということになる。だが、中国語や漢詩を好きでいるだけの、それこそ嗜んでいる程度なら、思想に影響を与えることはあっても内面化するまでには至らなかった。


 昨日のあの人なら、こんな時になんて答えるかな・・・。恐れもなく男性を「オス」と呼んで、その加害性を「悪性生物」と言いのけてしまったあの人。男から加害されて傷心していたのすぐに見抜いたあの人、清野さんはどうしているだろう。あの時は強引に約束を取り付けてしまったけど、また私と会ってくれるだろうか。それとも、酔っ払った女の愚痴まで聞いて、挙げ句連絡先まで交換させてしまったから、私のことなんてこっそりブロックしてるかもしれない。でも。


「まあまだ若いんだし、そんなに早くから結婚したくないって思ってももったいないかもしれませんよ?あ、ごめんなさい、お節介で・・・」


赤坂は一応申し訳無さそうにはしている。しかし本心では藤館にもいずれ結婚をしてほしいと思っているのは伝わってきた。それが赤坂なりの精一杯のであることも。

 藤館にはそれがなんとも居心地悪く感じられた。私はなんて言ったら良い?どうすれば赤坂さんの気を悪くさせずに、その話題に「NO」ができる?どうしよう、また、喉が狭くなってきた・・・。言いたいことを我慢するといつもこうだ。最終的には喉の塊が大きくなって、喋れなくなってしまう。このあたりでなんとか切り上げないと。


「そういえば赤坂さん、この前の雑誌のインタビューってどんなテーマでしたっけ?」


藤館は精一杯ので持って、なんとか喉が締まり切る前に話題を変えた。


「ああ、そうでした。雑誌のインタビューも話さなきゃでしたね。テーマ自体は自己紹介の延長に、作家としての文芸への姿勢を、とかそんなに難しくはないと思うんですけど・・・」


「たしかにそれくらいなら」


「ただ、藤館さんあんまり人前に出るの得意じゃないですから、大丈夫かなって」

「うーん、確かに人見知りなんですよね。メールで答えるのとかは無いんですか?あるいはなるべく早く終わりそうなものとか・・・」


「やっぱりそうですよねえ・・・風言さんみたいにほとんどインタビューには応じない人もいるから、無理に受けなくても大丈夫ですよ」


「風言さん・・・」


「そうそう、エッセイとかよく出してて、たまに小説も出してる女性に人気の字書きさんね。インタビューには答えない代わりに自分でネットで発信したりもしてますよ。私も担当したことありますし」


「あの人、けっこう皮肉っぽい文章書きますよね。きつい性格なのかなというか、自分の文章を認められて当然と思ってそうなフシがあるというか、男性に対する批判もうなずける反面、言い過ぎな気もしましたし。ちょっと苦手です」


赤坂さんはきょとんとしている。私の口から風言氏への苦言を聞くとは思わなかったのだろう。


「風言さん、文章ではわざとああやって書いてるけど、本人はいい子よ?ちょっと気難しいけど、なんの理由もなく悪口言ったりするような、ましてや自分の文章を認められて当然と思ってるような傲慢な子じゃない」


「あ、すみません。失礼でしたよね・・・」


思わず手元のコーヒーで口元を隠す。しかし初めて風言氏の作品を呼んだ時に、すこし腹が立ったのも事実だった。それ以来風言氏の作品はまともに読んでいない。


「文章への好き嫌いはみんなあるけど、なんで風言さんが女性に人気あるかって、藤館さんは考えたことある?」


「最初に読んだ時にあまり良い印象を抱かなかったので、あんまり考えたことないですね」


「最初に読んだのはいつ?」


「去年ですね・・・」


赤坂さんはにっこり笑って、席を立ち上がった。


「今日はもうひとり打ち合わせあるからこのへんにしますね。藤館さん、このあと本屋寄ってみるといいかも。他の作家さんから刺激受けるかもしれないし、今読んだら風言さんの印象も変わるかもしれないですよ。梅見物語は、女性の境遇を表してたんですし」


 風言氏が女性に支持される理由。梅見物語との共通点、か・・・。清野さんも風言氏の作品を評価するだろうか。立ち読みだけでもしてみようか。当時はなぜ腹が立ったのだっけ。

 藤館は促されるまま、書店で風言の作品を探した。そして、タイトルと表紙、あらすじ等をいくつかななめ読みし、なんとなく手に取ったものを購入した。帯にはこう書かれていた。

 ”小舟 ー 女性がひとりで生きるということ”

 本のタイトルは『小舟』だった。

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