事変、その後

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事変、その後


 昼と言うには暗いような夕方というには明るいような部屋で、女性がひとり床に臥せっている。本を読むには暗く、電気をつけるには明るすぎる。どうやら午後であるらしい。女性は目を覚まして自身の左腕を見た。その女性、は去年の夏から皮膚に異常をきたしていた。左腕の皮膚にはガーゼが当ててあったが、血と思われる赤が混じった黄色い染みができていた。いちはだるそうに起き上がり、換えのガーゼと洗浄道具と”くすり”を探し、洗面所まで歩いた。


 皮膚は排泄器官だ。今もなお私の肌から膿を出している。時に痛み、時に痒みとなってその様子をつど私に報告してくる。

 膿出し、生み出し・・・。膿には身体にとって毒になる要素が含まれている。体内に溜まった毒や不要なものを膿として押し付けて、菌や細胞を犠牲にして押し出すのだ。排泄とは体外に「ソレ」を出す行為だ。

 ヒトを生殖し、作り出し、生み出すとは、毒を、不要なものを、性を、生を、文字通り他人に「押し付けて」体外に出すのだ。せいを押し付け合い、押し付け愛?吐き出し、押し付けられる最終地点は子どもだ。

 帝王切開で生まれてくる子どもが抗生物質にまみれて出てくるのも同じ仕組みなのだろう。ヒトの体内から作り出る子どもは、文字通り「不要なものを押し付けて外に出されてしまった」ものなのだ。

 いちは自身の身体の膿を見ながらそんなことを考えた。


「本当にろくなことをしないな」


 誰に言うでもなく毒づく。正確には、自分を生み出した存在に対してだろう。現に、身体が弱いのも、食べられないものが多いのも、五感が鋭すぎて生活に支障をきたしているのも、薬害を被っているのも、自分を生み出した人間たちがいたせいだ。そして無責任にも自分を生み出した人間たちはけして今の私の困難を引き受けることはない。押し付けたあとは、同情したり心苦しそうにすることはあっても、結局は放って置かれるだけだ。場合によっては、生み出した人間たちの言う「良かれ」がより状況を悪化させることもある。いちの身体の「膿」がまさにその結果だった。


 患部の洗浄と処置を終え、部屋に戻ろうとしたいちは玄関に新聞が置かれているのを確認した。見出しはこうだ。


”シロアリ会、ペット制度の適用拡大を検討”


その下の記事はこうだ。


”23歳男性、クロアリに噛まれ死亡 クロアリ「殺す気はなかった」痴情のもつれか”


さらにページをめくった。


”石油自動車、廃止検討 「ハチがたくさん死んだ」”


”美飾院、入学年齢引き下げ 15歳以上の男子も”


”誘蛾灯工場摘発 工場長の男性45歳を逮捕”


次のページには身体が変形した羽虫やひどい皮膚炎のヒトの写真が載っていた。


”ファイヤー社の不正農薬開発、きょう本格調査”


何枚かまとめてページを繰ると、美しく化粧しきらびやかに着飾ったヒトのオスたちが蝶のオスを真ん中にして扇情的なポーズを取った写真が出てきた。美飾院の広告だった。


 いちが住んでいる国は虫に支配された世界だ。ここでのヒト、つまり人間は、家畜化して人間だけで生き残るタイプと、虫にペットにされて生き残るタイプと、働きアリやハチと同じように順応させてもらうタイプといる。ヒトのオス、男の腕力は虫たちの前では威嚇の意味をなさなくなり、土方か装飾者として受容される。生殖をしない健康な女性は働きアリの仲間入りを果たして豊かにくらす(あくまで仲間入りだが)。人間の男たちが牛耳っていた政府はもともと高度な社会コミュニティを作っていたハチとアリが独占した。わずかなヒト植民地を残して。虫が嫌いな人間には最悪だったろう。なんせ、ヒトはかれらの元の大きさですら悲鳴をあげて血相変えて逃げ惑うくらいなのだし。いちは高校時代に一匹の蛾が教室に入り込んだだけで男たちが阿鼻叫喚の嵐になったのを思い出し、鼻で笑った。


 2年前に虫たちが支配した世界はいちにとっては幸運だった。いちはその体質のせいで、もともと人間たちの生活に合わせるのが困難だった。だからいちがよく接していたのはむしろ動物や虫や植物だった。ヒトに話しかけるのと同じ要領で接する私を、人間は「アタオヵ」呼ばわりした。今ではそんな”かれらが”、つまり虫たちが私達と同じような大きさで、言葉を交わしてもくれるのだ。もちろん私を「アタオヵ」呼ばわりしたヒトたちにもわかるように。そういえばあるアーティストは、いつかの作品の中で「虫の弟子になりたい」と言っていたっけ。そのヒトもある意味願いが叶ったのだろう。


 隣の国は犬が支配したと聞いた。彼らは別に大きくならなくても、人間を噛み殺せるだけの力を備えていたから、そして長い間人間のそばにいたから、ここよりひどい惨事は少なかったと聞く。そう、あくまでも聞いただけだったが。虫の国よりも情けをかけられていたのだけは確かだろう。南部は猫の国になったという。猫もまた人間を狩るのに苦労しなかったそうだ。猫の国は特にヒトのオスが先の事変で激減したと言う。事変はヒトを狩るのが目的ではなかったそうだが、猫はヒトオスの所業を、つまり虐待をよく覚えているものが多かったそうで、復讐を目的に動いた猫もたくさんいたのだという。もともと猫を飼っていたヒト女性たちはこの騒動を大喜びしたそうだ。


 いちの友人である如意も、この「大喜びした」女性たちのうちの一人だった。彼女もまた、ヒトのオスの所業を忘れていなかった。いちもまたその一人だった。今日は如意が見舞いに来る予定だ。いちは寝間着を脱ぎ、人前に出る用の着替えを始めた。如意はいちが寝間着姿であっても気にはしないだろうが、いちには自分の寝間着から発せられる情報が、長い間寝ていたであろうあの匂いが耐えられなかったのだ。


 そうだ、今日は如意だけじゃなくて墨須も来るのだった。墨須もいちの友人、いや友虫と言える虫だった。墨須は名の通り黒い身体を持つ、立派な働きアリだった。彼女はいちに仕事も持ってきてくれる。こんなに不便な身体を持っていてもなんとか生活ができていたのは墨須のおかげとも言える。小さい頃からかれらに声掛けしていた努力が報われたと思ったのは、墨須が小さな頃の私を覚えていて見つけてくれた時だった。いちはこの時ほど不便な身体に感謝したことはなかった。


 ああ、日が暮れる前にもうひとり、いや一匹、私のもとに帰って来るものがあった。しかもその一匹のことを私は如意に伝えていなかった。その存在を知ったら如意は私を軽蔑するだろうか。


 いちは体調の問題とはいえ、寝過ごしたことを少し後悔した。



 昼を過ぎた頃、は仕事を終え、友人の見舞いに持っていくための菓子を買いに店に寄った。昨今では珍しくヒトが運営している菓子屋だ。如意はその店で、紫陽花に似た見た目の、薄青色と薄紫色の柔らかな色彩の菓子を注文した。ここの店はいわゆるヴィーガン仕様で、ヒト運営店のなかでも虫が食べられるということで残された貴重な店だった。そうでなくても、友人には、いちには食べられるものが少ない。この店のものは、いちの身体にも大丈夫なものばかりでほっとしたのを覚えている。店内には相変わらずアリやハチや、名前のわからない羽虫や見目麗しい蝶が入り浸っている。この国に来て最初の半年はこういう光景を見るたびにぎょっとしていたのを覚えている。もう慣れたが。店に入るたびに中にいるヒトの男を確認して、店内にいる時間を調整したり、客層を(特に子供連れと男を)確認してイートインを諦めてテイクアウトを選択していた時期に比べれば遥かによかった。


 如意は現在で言うヒト植民地、つまり人間だけで生活することを選んで鎖国した地区の出身だった。いくら虫や犬や猫が支配したとはいえ、やはりヒトだけで生活を望むものはけして少なくはなかったわけで、そういう人間たちは(というか、アリやハチに追い出された政府の男たちだが)集まりコミュニティを作り、増やし、鎖国したのだ。いちはその地区に好き好んで留まった人間たちを「家畜みたい」と言っていた。


 いちの表現は単なる人間嫌いの悪口とも言えない。実際にあの地区はそうなのだ。現にあちこちで起こった事変により人間の数は減った。追い出された政府の男たちは躍起になって人口を増やそうと画策した。その地区の人間たちを情報から遮断し、きらきらした恋愛物語や人間賛美を溢れさせ、人間の出生を素晴らしいものとして広めた。あそこにいる人間たちは皆「いのちは素晴らしいもの」と言いながら、カネも場所も資源も無いのに繁殖を続けている。女性たちは皆「あたらしい命を宿すもの」として神聖視される。神聖視に気を良くした女性たちは進んで生殖をするようになる。産めば「あなたは素晴らしいことを成した」と誰からも称賛される。生んでない女性たちには尊敬され慮られ、美しい男たちにもモテる。子どもさえいれば男を買っていいし、不倫にもならない。なんなら新たにその男を夫に迎えてもいいのだった。

 子どもを生んだ女性たちは仕事も少なくて済み、手当も支給される。子どもを生んだとすれば、意見もよく聞いてもらえるので、労働環境も自治も「子育て支援」が中心に行われた。子どもができないなら、治療という名目で生殖が行える。女性の生殖に協力した男は当然手当が出るし、仕事で出世することもできる。よく家事をすることが判明するなら尚更出世しやすかった。


 「意見を聞いてもらえる女性」が増え、男も「家事育児」によく参加するようになったので、住んでいる女性たちからは「男女平等になった」と評判だった。この「男女平等」の制度のことを「結婚」または「婚姻制度」と言った。


 だが、平等なのは「生殖をするもの」だけだった。生殖をしない女性たちは、生んだ者たちの請け負わなくなった仕事のぶんを肩代わりさせられた。生殖の分の手当をもらえない女性たちは、賃金も低いまま長時間労働を強いられていた。障害を持って生まれた女性にはろくな仕事もなかった。「支援」という名目でタダ同然の賃金で働くことはあった。それでも生殖すれば生活には困らなかった。なんなら生殖を商売にする女性もいた。もちろんその商売をする女性たちはみんな・・・貧しくて、健康じゃなかった。生殖を拒否した女性には、どれだけ困窮してもなんの支援もなかった。男は性行為による生殖をしなくても、精子を提供すれば手当が出たから、女性ほどは困らなかった。

 如意は賃金の低さゆえに週に2〜3回は食費を削っていた。身体が頑丈で健康なのは幸運だった。身体を壊せば、如意もいつ生殖商売をしていたかわからない。

 如意は男がきらいだったし、男と恋愛したことはあっても性行為をするのだけは考えられなかった。ましてや、子どもを生むなんて如意にとっては論外だった。自分の身体を痛めつけるのもいやだったし、子どもに労働や、性や、病気や、事故や、最悪の場合は虐待や殺人や、女の子なら性犯罪などの危険、ゆくゆくは生殖商売に、男児ならその加害者になり消費者になる。そのようなリスクを負わせるなんて考えられなかった。そして何よりも、自分の身体から別の人間を作り出し、自分の支配下に置くということが、どうしても恐ろしいことに思えた。

 如意は子どもを生んだ者たちの傲慢さと無責任さも好きにはなれなかった。私のような地位の女性が陥っている境遇なんてどうでもいいのがありありと伝わるからだ。挙句の果てには「そんなにつらいなら産めばいいのに」とすら言われる。私があらゆるリスクを話しても「子供はかわいいよ?考えすぎ」としか言わない。彼らは、生まれてきた子どもがどうなろうと知ったことではないようだ。彼らは如意の仕事時間より半分も早い時間で帰って行った。


 あの地区において私やいちを含む女性たちは、「産む機械」だったのだ。男と番い繁殖することが存在意義。男と番っても番わなくても、繁殖しない妊孕性保持者は「人でなし」だった。繁殖して作り出された子供の行動を注意するのも、また作り出された人間を連れて周囲を気にせず騒ぎ傍若無人に振る舞う繁殖者を批判するのも「ひとでなし」だった。私達を「ヒトデナシ」にしたあの地区の正式名称は、「うつくしいくに」という。

 少なくとも虫の国では、人間の繁殖を推奨していない。だから、如意が働きアリに負けないくらいの人材として認められた今ではとても生活しやすくなった。賃金が増えたのに仕事の時間が以前の3分の1も減ったことも大きかったが、同僚たち(つまりアリたち)がみんな生殖しないのが前提で働いているからだった。ここでは誰も如意を「産む機械」として扱わないし「子育て練習生」としても扱わない。希望すれば彼らと近い身体の仕様に、つまり不妊になることもできる。


 如意は店の人間と、店に入り浸っている虫たちを見ながらかつての生活を思い出していた。自分はたまたま健康で、いちのツテもあってここで生活ができるけど、あの地区にいたほかの女性たちはどうしているだろう。特に気になるのは、商売として生殖を続ける弱い女性たちのことだった。いちは人間こそが一番の家畜とよく言っていたけれど、働きアリとしての生活が染み付いてきた今では本当にそうとしか見えない。現に、あそこで増えすぎた人間は・・・虫たちが「処理」することもあるらしい。


 そうこうしているうちにいちに持っていくための菓子が出来上がっていた。如意はそれを受け取り、店を出た。店を出る時にハエとすれ違った。振り向くとハエは店の人間に何かを聞いているように見えた。上空では爆撃機顔負けの轟音が響いている。如意は空を見上げた。やはりたくさんのハエやハチが飛んでいる。如意は飛んでいくかれらを見ながら、自分のところにあまり関係のない仕事であることを祈った。




 いちは支度を済ませたあとテレビを着けていた。黒髪ボブの女性がアリたちに囲まれて厳かに、でもどこか誇らしげに微笑んで映っている。ニュースの見出しは「人虫外交官、猫の国との交渉へ」だ。人虫外交官のこの女性をいちは知っていた。いちと同じように「アタオヵ」の部類の人だった。彼女は、いちと同じようにヒト以外のものと交流していて、さらに虫や動物たちの言葉が理解できていた。かれらの言葉を理解するだけでなく、ちょっとした占いもできた。だから虫の国になる前の「虫の国」では、彼女は占い師を生業にしていた。彼女は今では「アタオヵ」ではなくなったから、その能力を見込まれてヒトと虫の間の橋渡し役も、他動植物国の政治通訳も任されるようになって、ついには外交官になった。彼女は猫の国でもその能力と人柄を見込まれ信頼されたらしい。つぎのニュースの見出しは「猫の国、観光受け入れ開始、制限緩和か」だった。映像は猫たちがリラックスしながら海辺の日陰にいるところが映し出された。


 海は浅葱色から納戸色、混ざり混ざって遠くは紺碧に染まる。南は猫の国。いちは猫の国になる前の「猫の国」に何度か訪問したことがあった。あの国はもともと猫好きな人間たちが多かった。「猫の国」になる前から、猫たちが多くいて、人間たちも猫を好きなようにさせている印象だった。それでも、あの国では事変が起きたのだった。猫にとって治安が良いのは一部の地域だけで、あの国全土がそういうわけではなかったから。猫たちはあの国のすべての猫のために決起したのだった。最初は穏便に済んでいたが、都市部では次第に血の海になったそうだ。猫の革命を阻止しようとしたヒトのオスが、猫に暴力を振るおうとしたのだ。それは猫たちのトラウマを刺激し、怒りを買った。現場はたちまち血の海になり、同じようなヒトのオスたちは次々と猫に狩られていった。のちの報道で知ったのだが、あのとき狩られたヒトのオスたちのほとんどが動物虐待の前科者だったそうだ。なかには明るみにならなかった虐待常習者もいた。猫たちには、猫たちにしかわからない独自の情報網を持っていたのだ。この事変によって、猫の国ではヒトのオスの数が激減した。

 「うつくしいくにチャンネル」では猫が如何に凶暴で恐ろしい動物であるかを強調していたが、猫たちは闇雲に狩りをしていたわけではないのだった。今現在でも、猫の国では動物虐待の罪が非常に重い。

 その一方で、社会の時間は猫の都合に合わせて動くようになったので、とてもゆとりが生まれたのだと言う。猫が働きたくなければ、その日は仕事が動かない。基本的に締切は守られたことがない。いちのところにも時々、猫の国に住んでいる知り合いから連絡が来る。


”今日は上司が昼寝するから、連絡は明日以降になるかも。ごめんよ〜。”


このメールのなかで書かれている上司とは、もちろん猫である。いちはその状況を想像して微笑ましく思った。タメ口を聞いてきたりハラスメントしてきたりするヒト同僚やヒト上司の相手をするより、よっぽど働きやすいだろう。現に、もともと猫好きが多かったあの国での住民満足度は年々高まっていると聞く。


 猫の国では、猫にとって毒になる食べ物や化学物質はすべて使用禁止になったので、皮肉なことに人間の健康状態も良好になっていったそうだ。この状況はいちが住んでいる虫の国でも起こっている。いちが薬害から逃れ、こうして「安全に」休養を取っているのも、あらゆる農薬の使用や開発が禁止されたからだった。「うつくしいくに」では、農薬も皮膚炎の薬も「安全な化学物質」として使用されていた。これらの薬は、いちにとっても毒だった。農薬を使用した食べ物では口腔内に炎症を起こし、皮膚には赤い腫れがいくつもできた。皮膚炎の薬を使えば、患部には黒い跡が残り、数ヶ月もすればぶり返すようになった。いちが今も左腕から膿を出しているのは、その残滓だった。虫の国では、脱農薬保険ができた。薬害によって生命を脅かされた虫たちを想定していた制度だったが、人間もその対象になれた。いちは未だ膿を出しているが、虫たちが開発した”くすり”によって随分身体が回復していた。このくすりは、おもにハチ医療グループが担当している。


 猫の国がいいなあ。住みたいわ。如意はよくそう言っていた。ニュースでは観光の規制を緩和すると言っていたのだから、先の事変の後片付けもあらかた終わったのだろう。体調がもっと良くなれば如意を誘って観光に行くのもいいかもしれない。あの国のことだから入国審査に時間がかかるかもしれないが。そのへんの調整や相談を人虫外交官に頼むのかもしれない。


 玄関のベルがなった。来客だ。


「おーい、生きてるかー?くすり、たべてるか?」


金属のような足音を立てながら家屋に侵入し、のっけから軽口を叩く、つややかな黒い生き物がそこにいた。墨須だ。相変わらず惚れ惚れするほど漆黒の光沢だ。ピアノみたいに黒くて品のある趣と、鋼鉄のような頑丈さも併せ持っている。墨須はトゲアリである。


「生きてるし、くすりも食べてる、体調より、仕事の状況は聞かないの?」


「あんたが療養中なのは知ってる。いくら仕事の進捗を聞きに来た働きアリだからって、体調の配慮を優先するに決まってるでしょ。人間と一緒にしないで。うつくしく、ないんでね」


墨須は「うつくしいくに」の人間たちの環境を言っているのだろう。あそこでは多少の体調不良など配慮の対象にはならない。配慮されるのは、人間を作り出し生んだ者たちか、最悪死んでからだ。そして、墨須はあのくにでヒト女性には美しさも求められていたことも皮肉っている。


「たしかに、まだ人間の悪い癖が抜けないんだわ、ごめんよ」


「謝ることじゃない」


「あんたは一生ヒトでしょ。それに、ヒトのなかでも弱い個体の。でもここはあんたの適した環境と天職があるから、あんたは生きていけてる。あたしらも仕事量が必要なぶんにならないと働かない。ヒトが供給されたおかげでもっと働かなくなったし。だからあんたもそれでいいんだよ。悪い癖が抜けないままのあんたでさ」


「そりゃどうも。感激して泣いちゃうよ」


ヒトの供給。それは文字通りの供給を意味している。この虫の国にはアリたちのなかでも多くの種類がいる。そのなかにはサムライアリもいる。サムライアリはクロヤマアリを奴隷にするが、先の虫事変によりヒトが供給されるようになったので、クロヤマアリはサムライアリに条約を持ちかけたのだった。それは、今まで供給されていた自分たちの代替案として、ヒトのオスを労働力として使うというものだった。ヒトのメスは政府上層部に多少必要なので、より筋力のあるヒトのオスを、と言うのだった。サムライアリはこれを了承した。

 ちなみに「うつくしいくに」にも同じような制度があった。先進的な技術と外国語を学ぶ機会を提供し、人々の友好関係を促進するその制度を「技能実習制度」と言った。


 いちのおもな仕事は、「うつくしいくに」での実態を記事にすることと、ヒトの言語と虫の言語の翻訳通訳だった。時には社会派ライターとなることもある。これらの仕事を持ってきたのが墨須だ。いちにとって墨須はいい友虫だが、同時に頭が上がらない存在でもある。いちは墨須の黒が好きだったが、あまり見すぎないようにしながら言った。


「うつくしいくにについての記事ならできてるよ。それだけでも持ってって」


「ははあ、”抜けないままの悪い癖”のおかげで仕事が早いね」


「ああ、”うつくしい”悪い癖のおかげでね。皮肉なことにも食いつないでる」


墨須の深刻になりすぎない人柄、いや虫柄もいちにはありがたいものだった。墨須は軽口を叩いていても、いつも本質をおさえている。その場の雰囲気を和ませるとか言いながら弱い誰かを侮辱したりしないタイプだ。もちろん、彼女も立派な働きアリなので、ヒトのオスにはあまり良い態度をしないが。そんな墨須の虫柄は如意にも好評だ。

 

「あれ、いちさん、起きて大丈夫なの」


いちが寝ていた部屋の縁側から声がする。夏の夜の涼しさを集めて運んでくる風みたいな声。針葉樹の樹々の間の空気を駆けて纏わせたベールのような柔らかな匂いもする。水蘭だった。


「だるいけど大丈夫。キミこそつらくはなかったの」


「私がいちさんより軽いのは知ってるでしょう」


「軽いからといってつらくないわけではないだろう」


「あんたら、虫前でのろけんな」


墨須が呆れる。水蘭も薬害の影響を受けていた虫だった。水蘭といちは幼なじみと言っていいのかわからないが、そういう関係だった。いちは幼虫だった頃の水蘭を知っているし、水蘭も子供時代のいちを知っている。”ふたり”が再会したのは虫の国が建国してからだった。いちはその時初めて水蘭の性別が雄であることを知った。それでもいちが恋愛感情を抱いたのは、後にも先にも水蘭だけだった。

 水蘭との生活にも、墨須が持ってくる仕事にも問題はない。問題は、貴重なヒトの友人が「飼われている友人」を見てどう反応するかわからないことだった。




 連絡機が振動する。如意は自分の上着のポケットから水色の機械を取り出してメールを確認した。


”犬の国での取材の件について、資料を送りますのでご確認を。詳しい日程が決まり次第また連絡します。”


如意の仕事はいわゆる雑誌の記者だ。雑誌はそのへんによくある働きアリ向けのものだが、スキャンダルの事件や時々政治的な記事も載せる。

 猫の国と同じように犬の国でも事変があった。事変と言っても、犬は大変人間に近い親しい生き物だったので、猫の国ほどの流血沙汰はなかった。犬たちは精一杯の「慈愛」を持って、革命を成功させた。代わりに、ペット制度をいち早く取り入れた。同時に、繁殖賛美の規制を行った。犬の国で最も厳しく取り締まられたのはいわゆる「うつくしいくに」で言うところの「ペットショップブリーダー」である。ペットショップブリーダーを規制したのに「ペット制度」があるとはどういうことであるかというと、すごくシンプルだ。飼い主が違うだけだ。ようは犬がヒトを飼うのである。これはヒトへの情けを捨てられない元飼い犬たちと革命犬たちの折衷案だった。虫の国のペット制度も、犬の国が発案したこの制度をベースに進められた。情けとは言っても、若い犬が老人を飼うのは大変であるらしく、よく事故で飼いヒトを骨折させたり、時には死亡させたりすることもあるらしい。もちろんかれらに悪気はない。ちょっと大変なだけだ。

 もちろん犬たちはヒトの所業も覚えている。犬は人間たちに利用された過去の「名犬」たちや、実験により宇宙に飛ばされたライカたちなどの追悼も行った。

 虫や猫の国に比べてヒト待遇の「やさしい」犬の国には人間たちの移住希望が多かったが、犬の国は人口増加と繁殖を厳しく取り締まっているため、特にヒトの入国を制限していた。その犬の国に取材に行けるのは如意にとっても貴重な機会だった。


 如意が特に犬の国で興味を持っているのは、繁殖の取り締まりだった。聞くところによると、その目的はループを止めることにあるという。ブリーダーの件を教訓にし、生まれてしまって苦しむ思いを犬にもヒトにもさせないために繁殖を規制したと言う。

 「うつくしいくに」では、みな生まれてきたくて生まれてくる。少なくともそう信じ込まれている。あのくにでは、エコーを使って胎児とコミュニケーションが取れるのだ。繁殖者たちはお腹の赤ちゃんと言葉が交わせる。出産する前から、どんな服が着たいか、どんなことが好きか、どんなことを楽しみにしているか、なぜ親を選んだかをやり取りすることができてしまう。

 赤ちゃんと交流ができ、親子の絆を深められるこの素晴らしいシステムを「KAPPAシステム」と言った。

 如意もいちもこのKAPPAシステムの被害者だった。システムの中身は実際はただの統計と音声データによるインチキである。好みの話題なんぞは、女らしさ男らしさといったジェンダー再生産を助長している。繁殖者たち(つまり親だが)が赤ちゃんの言葉と信じて疑わないその言葉を作っているのはAIである。つまり胎児が本当に生まれてきたいかどうかなんてわからないのである。ましてや、生まれてきた子供が本当にピンクやブルーが好きかもしれたものではないのだ。

 このシステムをすっかり信じ込んでいる親たちは口を揃えて言う。「あんたは生まれてきたくて生まれてきたんだよ」と。

 子供が自身の境遇を嘆いたら「勝手に宿ったくせに」と追い打ちをかけてくる。 

 親の押し付けてきたものを拒否すれば「あんたはこれが好きなんでしょ?前にそう言ってたじゃん」と返ってくる。

 なぜ生んだのかと聞けば「あんたが選んだから」と責任転嫁されてしまう。母親の愚痴を聞くのを嫌がったときは「あんたは私を喜ばせるために生まれたんでしょ!」と泣かれたこともあった。如意は何度親たちを恨んだかしれなかった。いちは繁殖者たちの発言で病み、自殺未遂を起こしたこともあった。自殺未遂を起こした友人に対して如意の親はこう言った。「生まれてきたくなかったら死ねばいいのに」と。その言葉は如意にも刃となった。それをきっかけに如意は自分の親を含む繁殖者たちと縁を切ろうと決めた。


 如意といちはKAPPAの基となった著作を調べたことがあった。基となった著作は発禁処分されていた。基となったのにもかかわらず発禁処分になる理由はひとつだろう。システムの開発者がその著作を確認されたくないからだ。如意たちはその著作を虫の国で発見した。KAPPAシステムの基は河童であり、そのシステムの中身は「出生の同意を取ること」であった。「うつくしいくに」で行われているシステムは、河童の仕組みと真逆であった。


 如意はメールを確認しつつ、友人の家へ向かって歩を進めていた。友人の家は如意が住んでいる地域と比べると明らかに樹々が多い。働きアリ向け集合住宅地と比べて建物も少ないし、何より静かだった。匂いも、空気も澄んでいて、ヒト影よりも木陰と多くすれ違う。川辺も多く、ヒトの話し声よりも川の流水音が大きい。ここを訪れるたび如意は少しだけ故郷が懐かしくなる。実家の庭にあった胡瓜の香りや、秋に色付く葡萄の香りが恋しくなった。だからといって「家に」帰りたいとは思わないが。


 脳内に葡萄と胡瓜を思い受かべながら、ふと友人に持っていくための菓子を見た。帰り際にあの店にもう一度寄っていこう。そして無農薬胡瓜を買うのだ。買って、家で漬け物にするのだ。葡萄の菓子とかもあったっけ。まだ季節外れだから無いかもしれない。

 そういえばあの時すれ違ったハエ・・・。多分買い物ではなかったのだろう。ハチとハエが動くときというのはたいてい腐った案件だったりする。ハエにはその”匂い”がどんな生き物よりもよくわかるからだ。


 如意は友人の家に着いた。ベルを鳴らす。ドアを開けて出てきたのは如意がよく知る友人ではなく、馴染みある黒い虫でもなく、天色の翅に黄赤の腹をした蝶だった。




 水蘭は如意をいちのいる部屋へ通したあと、お茶を用意するために部屋を出て台所へ向かった。

 なんとも言えない表情で如意が口を開いた。


「やっぱ家間違えてないよね」


「間違えてないよ」


「あんた・・・虫に飼われたの」


「水蘭は・・・彼雄かのおは、蝶だから、お互いに生殖できないのがいいんだ。そもそも私のような個体は”ふつうの個体”みたいに生きられないし。もちろん人間とも暮らせない」


「だからって、誰かに飼われるなんて。そんなの結婚と変わらないんじゃ・・・」


「それでもヒトオスやヒトメスに飼われるよりマシなんだ。それに生殖しないなら、私の”せい”はここで終われる。ペット制度って言ったって、どこかのかれらみたいにゾンビ化されるわけじゃないよ」


ペット制度によるゾンビ化。虫の中には確かに相手を文字通りゾンビ化して使役してしまう種もいる。現在はサムライアリとクロヤマアリの新たな条約により、表面上はそういった行いでのペット制度は禁止されているが、実際には何人かのヒトオスがその被害に遭っている。今朝の新聞に載っていた記事もその一例だろう。23歳の成人男性がクロアリに噛み殺された事件だった。クロアリは泣きながら容疑を認めたというから、二人は、いや一匹と一人はペット制度によって一緒に暮らしていたのだろう。うつくしいくに風に言えば「パートナーシップ」だ。ペット制度とパートナーシップの大きな違いは、優遇措置の有無だ。ペット制度は「ただの」ペットだった。

 この類の事件は多くて、探せば毎日ヒットする。アリやハチがペットのヒトを殺したり大怪我を負わせたりするのは珍しいことではなかった。そしてその事件の発端のほとんどがヒトのオスが感情的になって言うことを聞かないことだった。言うことを聞かないというのは、ゾンビ化に失敗したヒトオスが暴れるとかそういうことだった。ゾンビ化しなくても、”好きで”一緒になったヒトオスが「こんなはずじゃなかった」と落胆し”飼い主”に悪態をついたところを”仕置き”されることもある。その結果、頭部や腕から血を流しながら家事をするヒトのオスが珍しくない。手足に包帯を巻きながら買い物に出かけるヒトのオスや、泣きながら家から出てくる青あざだらけのヒトのオスを見かけるのはもはや日常茶飯事で、最悪の場合は今朝の新聞記事のような事が起こる。

 それでも”好きで”アリやハチとペット関係になりたがるヒトのオスは少なくなかった。彼男かのおらにとってそれが一種の就職先とも言えるからだ。クロヤマアリの代わりに供給されるのを避けるために、また美飾院に提供されるのを拒むためにペット関係になりたがるものもいる。美飾院はうつくしいくに風に言えば「学校付き風俗」である。今朝の新聞の、豪華な広告写真には、ただただきらびやかな世界が広がっているように写されているが、実際はヒトのオスを観賞用に矯正して上層部のメスたち(虫もヒトも)の接待をさせるための仕組みだった。美飾院で優秀な成績を収めたオスには高給と高級ペットの道が待っているが、そんなヒトのオスは10000人に1人いれば良いほうだ。ほとんどのヒトのオスは矯正過程で病気になったり、捨てられて蚊の餌になるのがオチだった。

 こんな状況でも、中には本当に虫と恋愛するものもいるから尚更、彼男らにはハチやアリと結ばれるのが良いものに見えたのだった。


「あたしがいちをペットにしたら文句言わなかった?正直、身体性で言えばあたしのほうが”アレ”より危険だよ?なんなら今ここにいる生き物の中で、あたしが一番強い」


墨須が一番強いのはそのとおりだ。トゲアリはたしかに蝶のオスよりも強い。クロアリの王よりも強い。実際に、トゲアリはクロアリの王を倒して自分が王に成り代わることがある。墨須は働きアリだが、それを可能にする能力を持っている。そうでなくても、今現在この国のマジョリティで、身体的にも社会的にも権力を握っているのはアリとハチなのだ。蝶の雄は、美しさが認められない限りは基本的に地位が低い。それこそ美飾院の広告に載っていたあの蝶のオスのようでなければ。

 墨須の言う”アレ”が部屋に戻ってくる。美しい翅を傷つけないように慎重に動きながら、水蘭は言う。


「私にあるのはいちさんへの恋愛感情です。それに私達は、この姿で”そういうことは”しないのです」


装飾するオスなだけある。一人称も話し方も上品で物腰も柔らかい。つまり水蘭はわきまえている。水蘭は丁寧にお茶を差し出してくれた。


「蚊のメスよりマシでしょ」

 

墨須は相変わらず軽口を叩いている。蚊のメスと番ったヒトの例はあまり聞かなかった。虫の国に不正入国したヒトのオスがミイラ状態で発見された事件はあったが。


 如意は自身の心境が複雑なのは否めなかった。それでも、ヒトオスに飼われるより買われるよりずっとマシなのも否定できなかった。ヒトのオスに”かわれる”ことがどういうことであるか、よくわかっているからだ。自分の父親がいい例だ。作った私のことをろくにケアをしないし、ムスメを飼うだけじゃ飽き足らず他の女性を性欲解消のために買う。ヒトのメスに飼われるのも、自分の母親を連想させる。自分の趣味で如意の見た目も内心も管理しようとした。如意はまさに繁殖者たちのペットだった。いや、それ以下の、人形だった。

 そもそも私といちですら、身体性においてけして対等とは言えない。如意は自分で運転もできるし、音や匂いや光を避けなくてもいい。会社にも通える。アレルギーもあまり無いから食べられるものも多い。いちにはそれすら困難なのだ。私達には同じように生理があって、妊孕性もあるけど、同じではないのだ。


 如意は「うつくしいくに」のことを思い出した。あの”くに”では、生殖さえすれば生活が保証される。男と番い繁殖するのが最も望ましいこととされているが、だからといって同性婚が認められていないわけではなかった。むしろ、生殖商売と同時に同性婚も推奨されていったのだった。如意はかつて親しくしていたレズビアンの同僚を思い出した。彼女もまた如意やいちと同じく、人間のオスがきらいだったし、こんな不平等な世界で結婚して子どもを生むなんて考えられないと言っていた。だが、生殖商売と同時に同性婚が成立すると、彼女は態度を変えた。彼女は生殖商売を利用してパートナーに子どもを妊娠させて、それを自身の母親に嬉々として報告したのだった。如意に対して、彼女は「実はずっと、自分の彼女との子供ならほしかった」と言ったのだ。これをきっかけに彼女は昇進した。如意はその一件以来彼女との連絡を取らなくなった。

 如意はことさらにあの彼女たちだけを責めてはいない。どちらかと言うと彼女たちのパターンは少数派だ。同じように生殖商売を利用して子供を作るゲイのカップルは、それ以上に多くいたし、生殖の負担を完全に女任せにしてなんのリスクもない点においてゲイカップルのほうがより悪辣だった。そしてレズビアンカップルよりも、ゲイカップルのほうが子供創造率が高かったのは、何よりも彼男らが男性であるからに他ならなかった。彼男らは、どんなに女性に性的興奮を抱かなくても、女性の身体性リスクを体感することは無いからだ。ゲイとは、男性同性愛者というよりも男性至高嗜好者であると如意は思っている。

 如意は彼らを見て、人間同士であっても、そしてお互いに同じ性であっても、そこに「生殖」を望む限りけして対等にはなれないのだと知ったのだ。

 女性が、自分より弱い女性の身体を利用すること。そしてさらに弱い人間を作り出し支配下に置くこと。その支配下に置かれる側としての境遇を、利用される身体をもつ者としての「尊重」を、いちと如意はいやというほどよく知っていた。


 いちが幸せならそれでもいいかなという気持ちが無いわけでもないが、どこかでは「結局オスがすきなのかな」と落胆する気持ちが無いわけでもない。その一方で、如意自身についても同じことが言えた。オスがきらいだからといって恋愛対象までは変わらないのだった。

 如意のセクシャリティはヘテロのままだし、どんなに男に恋愛感情も性的興奮もわかなくなっても、セクシャリティはヘテロのままだと言える。女性に恋愛感情を抱いたことはないからバイではないし、けしてレズビアンではないのだった。そして生殖を前提とするなら、同性婚でも女性が救われないのをこの目でしっかり確認した。如意は自分のなかの”引っかかり”をどう表現していいかわからなかった。


「嫌じゃないなら二人だけで話さない?久しぶりだし、菓子もヒト用しか買ってないみたいだし」


 いちは如意が買ってきた菓子が入っている箱を見ながら言った。たしかに墨須のぶんは用意していない。当然、いちの「パートナー」のぶんもだ。


「久しぶりの再会を邪魔するほど野暮じゃないし、記事も受け取ったからあたしは帰るよ。菓子が無いのは残念だけどさ」


墨須は菓子の箱を若干うらめしそうに見つめながら言った。


「いちさんがそれを望むなら、私は奥に行きますよ。如意さんもお気になさらず。ごゆっくりなさってください」


水蘭は如意が答える前に行ってしまった。墨須は菓子をほしそうにしながら退室していった。墨須には悪いことをしたと思った。いちが予め如意に墨須が来ることを伝えていれば墨須のぶんも用意したのに。勘が鋭いくせにいちはこういうところが抜けている。


「墨須には申し訳ないことをしたなあ、私が伝えてれば三人で食べられたのに」


「まったくだよ」


「軽蔑してる?」


「墨須が来るのを伝えなかったことくらいでは別に・・・腹たったけど」


「水蘭とのこと」


やはり聞いてきた。というか気にしているのだ。ペット制度の枠組みに入ったことに対していちなりに葛藤があるのだろう。正直、誰かと生活をともにすることにいちいち報告はいらないと思っている。結婚しました報告とか、妊娠しました報告とか、うんざりしている。そんなことを私に報告してなんになるというのだ。特に妊娠しました報告は意味がわからない。生殖のために”そういうこと”をしたとか、誰かの身体を買ったとか、自分で報告してておかしいと思わないんだろうか。いや、思わないから、報告するのか・・・。如意は、実家に届いていた同僚からの「報告」ハガキのことを思ってげんなりした。


「よくわからないけど、悲しいとは思う」


「私も、水蘭への恋愛感情を自覚したときは、よくわからないけど悲しかった」


「相手がヒトのオスだったら即縁切ってたんだけど。あ〜はいはい、お達者で〜!ってな」


いちは笑った。いちにも経験があるのだ。仲の良かった女友達が結婚して出産したらさっさと縁を切っていた。


「蝶の雄はセーフ?」


「んー、仮にセーフだとして、それがなんでそう思うのか、なんで生殖しないのにペットの友人を見るのが悲しいと思ってるのか、うまく言えない」


「墨須と友虫になっても悲しくなかったのにね」


たしかにそうだ。友達がいてもなんとも思わない。でもパートナーは、ペット制度利用はモヤモヤした。


 なんとなくだったが、如意はいちがひとりで生きていくのだと思っていた。いちがどんなにヒトを避けていて、どんなにコントロールするのもされるのも忌避していたか知っていた。そのいちですら、心のどこかでそばに置きたいだれかを求めていたのかと思うと如意は少し落胆するのだった。

 そばに置きたいダレカの存在はエゴだ。そばに置かれたいダレカの存在は、諦観と自虐だ。パートナーは、作り出された子どもは、つまりそのヒトのエゴの現れだ。だからそのエゴを垣間見るその瞬間に動揺するのだろう。友人の存在がどこかで崩れるような気がした。


「私はね、如意や墨須の生存に感謝してるし安心もしてるけど、彼雄の生きている気配がすきなんだ」


その対象の生きてる気配、生活している気配が好き。この感覚はまさにペットに対するものだと如意は思った。その存在への愛着だ。

 如意はかつて自分が飼っていた猫のことを思った。猫を飼いたいと思ったのは如意のエゴだ。如意にはその自覚があった。猫が飢えるのも、猫が凍えるのも、猫が誰かに(特にヒトのオスや子どもに)捕まって虐待されおもちゃにされるのを防げないのも、如意がいやだった。今では猫がヒトを飼っている。猫はヒトに同じことを思うだろうか。

 友達には「存在への愛着」までは抱かない。いちの言うように、たしかに友達の生存には安心する。だが生存の気配そのものにまで感情がいかないと思う。ルームシェアをするほど仲の良い友人がいたとしても、やはり生活音まで好きにはなれないと思う。家族なら、胃の腑の煮え立ち、肝臓の秘める怒り、肺の悲しい圧迫感、腎臓の抱え込む恐れ怯え、身体の内蔵という内臓が抗議でいっぱいになって拒否するほどの嫌悪感すらあるのだ。


 性愛を前提とするパートナーは、そばに置きたいとかの次元ではない。相手の存在との境界を無くしたい欲望であり、その境界に対する”しっと”と憎悪だ。如意にはそれが恐ろしかった。いちもまた同様だったが、いちは如意よりもどこかで諦めが付き纏っていた。

 どんなに適度な環境を整えていても、身体性リスクを極力回避していても、尊敬していた相手が「飼われる」さまを見るのは悲しいのだ。

 ただ救いは、彼らが生殖から解放されてることだった。


「ペットという言い方は露骨だけど、パートナーに対等な関係はそもそも無理なんだと思う。私がこういう体質だからかもしれないけど。誰と一緒にいても対等に感じたことがなかったよ。ストレスが少ないとか、心地いいとかはあるけど、それって身体性の不利がチャラになることじゃない。だから、私との関係性にあるのは調整だけなんだなってずっと思ってるんだよ。”対等”も自己申告だよ」


「同性や異種族は生殖しない分マシ、はあるけどね・・・。誰かと一緒にいても、対等にならないから対等に近くするしかないのか」


「じゃなきゃ共生なんて言葉いらなかったでしょ。結局は弱い個体が利用されてくだけ」


「そう考えていくと、やっぱり一番いいのは生まれないことだね」


「河童、羨ましかったね・・・」


「”ちゃんと”システム開発してほしかったよな」


「選べるならノーって言う」


「私も」


「如意には会えてよかったけどね」


「私もいちくらいしかこういう話は無理だな」


日が暮れ始めてきた。空にはわずかに宍色や薄紅が混じりつつあるようだ。


「また来る」




 如意を見送ったあと、いちは朱の窓辺を見ながら水蘭が淹れた茶を飲んでいた。夏虫色の水色。甘みのある、新鮮な草の香り。喉にこびりつかない控えめな渋み。熱めに淹れても口中を満たす爽やかさ。龍井茶だろう。いちは奥の間から聞こえる翅の音に気付いた。


「聞いてた?」


奥の間から水蘭が姿を現す。水蘭が来ると目の前が水色の一番綺麗なところを集めて降ってきたように感じる。飛んでいるときは一番綺麗な水滴たちが宙を舞い漂っているようでもある。少なくともいちにはそう見えた。


「いちさんはどこにいても聞こえているくせに」


別に水蘭を責めるつもりはなかった。ただ確認しただけだった。そしていちがどこにいても聞こえているのは事実だった。生まれつき五感が鋭いから、大抵のことは盗み聞き状態だ。おかげで人間と生活するのがどれほど困難だったか。いちは人間と同じ空間で眠ることができない。人間の寝息に耐えられないからだ。人間が指を動かす音も、物を食べる音も、わずかに息を漏らして思案するときの鼻腔の音も、固いもの同士がぶつかる音も、痛みと内蔵を侵されるような不快感で耐え難いものだった。ひそひそ話もいちには無意味だった。

 水蘭の生活してる気配が好きということは、水蘭の生活音が不快ではないだけでなく、聞くたびに嬉しく、安心するからだった。


「責めてはいない、聞いてみただけ」


「おふたりの話は聞こえてはいたよ。」


「そう。感想や質問は?」


「いちさんは、生まれてきたくなかったんだね」


「そうだよ」


「遠くに、行きたい?」


「遠くか・・・」


水蘭はいちが過去に読んでいた子ども向けの本のことを言っているのだろう。主人公の鳥が自らの生とそのしくみを嘆き、遠くを目指しついには星になる。いちは寝る前にその本を水蘭に見せ、一緒に読んだことがある。


「キミがいるからまだ死ねないな。如意と一緒に猫の国も観光したいし。少なくとも今はまだここいる。」


「じゃあ、いつかは遠くに行きたいんだね」


「それで解放されるならね」


「いつか飛んで連れて行ってあげる。星になる保証はないけど。」


水蘭は本来なら渡りをする蝶だ。時期が来れば自らの翅で、本当に遠くへ行くはずだった。薬害がなければ。

 飛ぶことはできても、渡りをするだけの力がない。水蘭は群れと一緒に飛ぶことができなくなっていた。それでも身体が回復すれば、いつかはまた渡りをするかもしれない。そして遠くへ行くのだろう。

 水蘭が遠くへ渡る時、星になる保証はない。同時に、帰って来る保証もない。それはヒトも同じだった。

 いちは手中の茶杯に目をやった。外の光を反射した水色には何も写ってない。ただ鼻腔を通して草の香りを、手を通して暖かさを伝えている。いちは茶杯を少しだけ傾けてみた。そこに写る何かを期待して。


「いつかね」


**


 如意は帰路の途中、菓子を買った店に寄った。もちろん胡瓜を買うために。仕事の帰りに寄った時より少し虫が増えていた。胡瓜は残っているだろうか。若干やきもきしつつ店内を見回すと見知った後ろ姿を発見した。墨須だった。


「墨須も来てたの」


如意の声に振り返る。黒い身体に鎌のような触覚を着けた頭部と、黒く艶のある眼がこちらを向く。墨須に加害される危険はほぼ無いとは言え、立派な顎がこちらに向けられるといつもたじろぐ。


「菓子が心残りでな・・・」


「まじでごめん・・・」


「あんたが謝ることじゃないよ、あいつといいあんたといい、ヒトのメスはすぐ謝りすぎだ」


「はは、そうかも」


「ちなみにな、如意、胡瓜ならさっき売り切れたぞ。」


「うわ、まじか。なんかやらかす日だなあ・・・」


「いや、でもあれ日持ちしないだろ。買っていったやつがハエだったからな。腐りかけが美味しいのかもしれん。あんたはむしろラッキーだった」


「そりゃあどうも」


如意は墨須と話していると気が楽になる。買い逃した胡瓜は残念だったが、腹を壊すよりマシだ。しかし、なぜ墨須は如意の目的が胡瓜だとわかったのか。


「あたしはお目当ての物が買えて機嫌が良いからなんかおごってやるよ。このあと恒星と飯なんだ」


「恒星と?珍しいねあのヒト、じゃなくてあのハチが休みなんて」


恒星はクマバチだ。それに「処理係」のうちの一匹でもある。処理係とは平たい言い方をしてしまうと掃除屋と回収屋と刑事だ。恒星は特に刑事に近い。そんな人脈ならぬ虫脈を持つ墨須が何者なのか実は詳しく知らない。仕事についてたずねても、適当に「やくしょのもの」としか答えない。いちには「おせわするむし」と答えたそうだ。



1人と一匹は店を出て、恒星との待ち合わせ場所に向かった。もう日が緋色になっている。雲は灰色というより黒に近い。そろそろ虫たちが入れ替わる時間だ。昼には昼の、夜には夜の虫の世界がある。


 如意と墨須は藤の花で彩られた店についた。店といってもオープンテラスなのでほぼ外である。黒い腹に赤墨色の翅、山吹色の身体の恒星がこちらに気付いた。


「久しぶり、如意、墨須」


恒星の目は鋭く大きく、黄色い身体はふわふわしている。しかし飛ぶときの轟音は凄まじい。ヒトならその轟音で弾き飛ばされるだろう。興味本位で近づいたヒトのオスやヒトのオスの子供が怪我をした事例もあるくらいだった。


「おおー早速食ってんじゃん」


墨須は恒星の食べているものを見て言った。藤の花の蜜の香りがする。如意にはちょうどラーメンのような麺料理にも見えた。


「いやーもう腹減ってさ。午後から忙しかったもんで全然食べてないんよ」


「お疲れ、午後の件って言うとあの店の近所か」


あの店の近所。如意はいちへの見舞いに持っていくための菓子を買った時のことを振り返る。そうだ。あの時、私はハエとすれ違った。そしてあのハエはヒトの店員に何かを聞いているようだった。そのあと私は上空のかれらの姿を見た。やっぱり「何か」が腐っていたのだ。


「うん、どこからか知らんけど、最近捨てられたヒトオスの死骸が多いんだよね〜。しかも身元不明なの。うちらみたいなのがいるってのに何考えてんだろ。どこに捨てようがさ、見つからないわけないだろ」


「あー、そりゃああんたもハエも忙しいわな。ハエたちにとっちゃあまかない飯が増えるんだろうけど、場所くらい考えて捨てろよな。いや・・・」


墨須が口ごもる。おそらく如意と考えていることは同じだろう。誰かが、わざと虫の国に「捨てに」来ているのだろう。しかも無作為に。良い予感はしない。これらの事件はいずれ如意の会社でも取り扱うことになるだろう。


「すまんね、飯がまずくなっちまう話しちゃったよ。うちはなんとか休みもらったからさ、今日はいっぱい食べてって」


「如意もあんまり気にしなさんな。あたしらでなんとかするよ。そんなことよりあんたも何か好きなの食いな。とりあえずこれはあたしから一杯。今日は空模様も多様だし」


墨須は蜜酒の入った杯を差し出してきた。杯に空が写る。空模様が多様。墨須は天を仰いだ。如意も上空を見る。目覚めた甲虫たちがたくさん見える。暮れの日と雲と混じり、実に色とりどりだった。


「もう少し寒くなったら渡りの連中も見えるんだろうねえ」


渡りの連中。虫の中には渡りをするものたちがいる。虫の国ができて以来、定住を好むようになった虫も数多くいたが、変わらずに渡りをするものも残っていた。今この空に渡りの蝶たちがいたら、空はどんなに鮮やかだろうか。鳥もいたら?音まで多彩になるだろう。

 如意はその情景を思い描いてみた。そしてふと、いちと水蘭のことを思った。思い描く空の情景のなかに彼らの姿を視た気がした。


渡りをするもの。

渡らないもの。

渡れなくなってしまったもの。

遠くを目指すもの。

いつかは遠くへ行くはずだったもの。

帰ってくるもの。

帰れなくなったもの。

そして帰らないもの。


もともと、どこにも居なくてよかったものは・・・?


 如意は友の器から漂う藤の花の蜜の香りで、意識を”いま”に戻した。そして手元の杯をもう一度拝んでから、多彩な空を飲んだ。

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事変、その後 huang-se @huang-se

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