ページ18 パジャマ

「な、なんで脱いでるの!?」


 渚さんは顔を真っ赤して、両手をブンブンと目の前で振っていた。


「うん? 雅の看病で疲れたし、それに汗もかいてるから」


「そういうことじゃない!」


「どういうこと?」


「なんで七海さんは一ノ瀬くんの部屋で着替えてるの? 一ノ瀬くんもいるよ!」


「別に見られて減るものじゃないし、というか、今までさんざん雅におっぱいを見られてたよ?」


「一ノ瀬くん!!」


 琴葉の発言によって、渚さんのヘイトは俺に向けられた。


 一応事実だけども……


「それは、あの、小学校? 中学一年生までのことだから。ほら、琴葉とは幼馴染だし、よく一緒に風呂入ってたから、その時にね……」


「……その時に?」


「女の子の体に興味がないと言ったら嘘になるし……思春期だし……思わず見ちゃったというか……」


 渚さんの妙な威圧感により、俺はしどろもどろに事情を説明した。


「七海さん、一つ確認してもいい?」


「なに?」


「中学一年生の時の、その、七海さんの胸のサイズって……」


「うん? 今と一緒よ? 私小学校の高学年から成長が止まっているから……はあ」


 そういって琴葉はため息をついた。


 自分の胸がこれ以上大きくならないことに絶望を感じているのだろう。


 でも、それはあくまで琴葉自身の考えだ。


 客観的に見ると、琴葉の胸は決して小さくはない。


 むしろ、小学校高学年の時、琴葉の胸はすでに今みたいに大きかったから、男子たちの視線は毎日とめどなく琴葉の胸に注がれていた。


 幼馴染としていつも琴葉のそばにいる俺はその度にいたたまれなくなっていたのを今でも思い出せる。


 風呂場で直接琴葉の胸を見たことのある俺だから言えることだが、琴葉は着やせするタイプで、実物は服の上から見た感じよりもはるかに大きい。


 だから、本人がため息つくようなことはないと思う。


「はい! アウト!!」


 琴葉の返事を聞いて、渚さんはいきなり番組の司会者みたいなことを言い出した。


「それってつまり一ノ瀬くんは今の七海さんのお、おっぱいを見たのと同じじゃん!」


 言われてみれば、そういうことになるね。


 そんなことは考えてなかったな。


 というか、自分で言ってて、顔を真っ赤にする渚さんはすごく可愛く思えた。


 そんなに恥ずかしいのなら、胸って言い方をすればいいのに。


「もう忘れたよ……琴葉の胸とか」


「は? 私のおっぱい見といて忘れただ!?」


 渚さんをたしなめるつもりで言った言葉が、今度は琴葉を怒らせた。


「今ブラ外すから、私のおっぱい目に焼き付けろ!!」


「ま、待って! 七海さん、落ち着いて? ねえ?」


 暴走しかけた琴葉を渚さんが慌てて止めにかかる。


 なんかおじいちゃんとおばあちゃんがロバに乗るという話を思い出す。


 二人とも納得させる言葉は俺には思いつかないや……




「ちょっとコンビニに行ってくる」


「は? 雅、あんたばかじゃないの? 熱が下がったばかりだよ!」


 俺の熱が下がったばかりだというのに、さっきまでの優しさがなくなった琴葉には言われたくない。


 ていうか、これも琴葉のせいだ。


 琴葉は俺のために買ったプリンを、俺が寝てる間に平らげたのだ。


 ベッドから起きた後、プリンの残骸を見た俺の心情はいかなるものか、琴葉には想像もできないだろう。


「プリンが食べたい」


「プリンなら私が買って……あっ、ごめん」


 謝ってくれるなら許す。


「俺がプリン好きなの知ってるでしょう? それなのに、プリンの残骸を見せつけられて我慢できるわけないじゃん」


「でも、それはそれ、これはこれ。病み上がりの病人をこんな遅くにコンビニに行かせられないよ」


「七海さん、私もついて行くから、それなら問題ないでしょう?」


「渚さんがついて行くなら……雅のばか! 食いしん坊! 甘党男子!」


 渚さんがついて行ってくれるから、琴葉は渋々納得したが、俺への悪口を炸裂させた。


 最後の甘党男子は悪口ではないような気もするが。


「渚さん、付き合わせちゃってごめんね」


「ううん、大丈夫だよ。私もちょうど買いたいものがあるから。それにどうしてもプリンが食べたい気持ちは分からなくもないよ?」


 そう言って、渚さんはえへへと笑った。




 春とはいえ、夜風はまだ少し肌寒い。


 家を出る前に、渚さんはカバンからマスクを取り出し、それを付けて、またいつもの格好に戻った。


 重度の花粉症か……きっと凄くしんどいだろうね。


「なんか初めて会った時みたいだね」


 そんなことを考えている時に、渚さんは急に口を開いた。


「うん?」


「ほら、私たち、初めて会った時も日が暮れた後でしょう?」


「そういえば、そうだったな」


「……まさか覚えてないの?」


 急に渚さんは足を止めて、上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。


「覚えてる! 覚えてるから……その、近い」


「近いって?」


 街灯の明かりでも分かる。


 渚さんの顔は少し赤くなっている。


「……確信犯だね」


「なんのこと?」


 そっと、渚さんは少し離れて、また俺の隣に並んで歩き出した。


「渚さんってほんとに意地悪だよね」


「まあ、お姉ちゃんだから」


「そんなの関係ないと思う。しかも俺ら同い年だし」


「お姉ちゃんに歳は関係ありません」


「屁理屈……」


 俺に言われて、渚さんはクスクスと笑いだした。


「やはり一ノ瀬くんは面白いね~」


 面白いか……渚さんと出会った時から、何度もそう言われたっけ。


「俺はただの高校生兼ラノベ作家だよ」


「ただの高校生兼ラノベ作家はそうそういないけどね~」


「確かに……」


「あはは」


「そんなに面白いのかな」


「うん! 面白い」


 渚さんは早足で俺の前に歩み出て、軽やかに回転して俺に向き直った。


「一ノ瀬くんは面白いんだよ……」


 回転の拍子にスカートが夜風に捲られて、少し渚さんのパンツが見えた。


 俺の好きなピンク色。




 コンビニに着いて、俺は足早にスイーツコーナーに向かった。


 お目当てのプリンを取り、渚さんがある棚の前で頭を傾げているので、俺は渚さんのところへ歩いた。


「な、なんでこっち来るの?」


 近づいてくる俺を見て、渚さんはオオカミに襲われかけてる子羊のように震え出した。


「え? 来ちゃダメだったかな」


「そ、その今買うものを見られたくないから……」


「見られたくないもの? コンビニにそんな商品置いてるかな?」


 そう言われると興味が湧いたので、俺は視線を渚さんの前の棚に落とした。


「あ! 泊まりだから、着替えのパンツを買おうとしてるんだね!」


「うわー! 声に出さないでよ」


「わざわざ買わなくても、琴葉の借りたら?」


「……それはちょっと嫌かな?」


「なんで?」


「対抗心?」


 渚さんの言う対抗心は俺には分からなかった。


 しばらくして渚さんは棚から白いパンツを取り、にこっと笑った。


「で、一ノ瀬くん、いつまで見てるつもりなの?」


「あっ、ごめん」


 俺は慌てて先にレジに行って会計を済ました。




「ただいま」


「2人とも早かったね! あれ、渚さん、顔めっちゃ赤いんだけど、どうしたの?」


 自分の部屋に戻ったら、俺のベッドの上でうつ伏せの姿勢で漫画を読んでいた琴葉が振り返って声掛けてきた。


 琴葉はすでに風呂に入ってきたのだろう。パジャマに着替えている。


「……なんもないから」


 そう言って、渚さんは俺を睨みつけた。


「あっ、渚さん、パジャマ持ってきてないでしょう?」


「う、うん」


 すると、琴葉はベッドから降りて、クローゼットを開いて、その中から自分のパジャマを取り出して、渚さんに渡した。


 それを受け取った渚さんはぽかーんと口を開いて突っ立っていた。


「な、なんで七海さんのパジャマが一ノ瀬くんの部屋のクローゼットにあるの!?」


 しばらくすると、渚さんはぶるぶると震えて大声を上げた。


「パジャマだけじゃないよ? 着替え諸々雅の部屋に置いてるから」


「そういう意味じゃなくて……これじゃまるで2人は同棲してるみたいじゃない?」


「ど、同棲じゃないわ! 幼なじみだから泊まる時便利なだけだよ!」


 渚さんの言葉に、なぜか琴葉が動揺した。


「幼なじみか……」


 渚さんは俯いて、なにかを呟いた。




「パジャマのサイズどう?」


 渚さんがお風呂を済ませて、部屋に戻ったあと、琴葉が聞いてきた。


 琴葉はともかく、渚さんからも俺の使っているシャンプーとボディソープの匂いがするから、背徳感に似たような感情がひしひしと湧き上がってくる。


「そうだね……」


 渚さんはお母さんが敷いてる布団の上でぐるぐると回ってみて、言葉を続けた。


「胸のところが少しきついかな」


「ぐっ!」


「あと、お尻のところもきつい」


「ぐはっ!」


「あ、でも、腰のところはぶかぶかで動きやすいかも」


「げほっ!」


「渚さん、もうやめてあげて! これ以上琴葉は死んでしまう!」


「なんで? 私変なこと言ったかな?」


 無自覚なのもまた罪である。


 琴葉は失神したように自分の布団の上に倒れ込んだ。


 しばらくして、寝息を立て始める琴葉。


 ショックで寝込んだのかな。




 風呂に入ってきたということは、渚さんは今、さっきコンビニで買ったパンツを履いてるのだろうか。


 布団の上で女の子座りをしている渚さんを見ていると、ふとこんなことについて考え始めた。


「今は白か……」


「えっ!?」


「えっ、今の声に出てた?」


「出てた! 出てた! 思いっきり声に出してた! もうお嫁に行けないよ……」


「なんかごめん」


「もう……」


 部屋の電気を消して、渚さんが横になったのを確認してから、俺もベッドの上で横になった。


 渚さんと同じ部屋で寝てるなんて、ほんとは夢なんじゃないかな。


 そう思ってしまった。

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